| 遣米使節 ●● 小栗忠順の従者一覧 |
| 小栗忠順の従者 |
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| 遣米使節は正使・副使・監察ともに、それぞれ9人ずつの従者を連れていた。監察小栗豊後守(のち上野介)忠順の従者9人のうち、木村鉄太・佐藤藤七・木村浅蔵は諸国からの参加として従者に加わっている。 |
| 役目 氏 名 | 年齢 | 出身・帰国後・その他 | 没 年 |
| 用人 吉田好三信成(のぶしげ) | 33歳 | 不明 | 不明 |
| 従者 塚本真彦(まひこ)勉 |
29歳 | 元建部家の家臣・道子夫人に随って小栗家家臣となり、幕末期には用人を務める・権田村に移り又一とともに高崎で斬首さる | 慶応4年閏4月7日・賢宗良哲居士(墓地・東善寺) |
| 江幡祐蔵尚賢(ひさかた) | 29歳 | 常陸・茨城県小川町下吉影出身・のち荒川姓・権田村に移り忠順とともに斬首さる | 慶応4年閏4月6日・ 久山全長居士(墓地・東善寺) |
| 三好権三義路(よしみち) | 24歳 | 島根県鹿足郡日原町出身・帰国後文久2年に神田駿河台小栗邸内で病死す ◇関連情報「三好権三」(リンク) |
文久2年5月22日・28歳・釈教証信士(日原の墓地) |
| 福島恵三郎義言(よしこと) | 19歳 | 浅田宗伯の娘幾子の婿となって浅田憐之助(麟之輔)惟季(これすえ)となり、歩兵指図役頭取となって、戊辰戦争を戦い下野―会津―函館に転戦。戦後、牛込横寺町で薬商となり浅田家の高祖乙葉姓を名乗って乙葉林八と改名。のち牛込矢来町に住んでいたが、晩年(大正5年ごろ)に大連に渡る。「花旗航海日誌」・戊辰戦の記録「北戦日誌」の著者〈「江戸」第3巻渉外編などを参照〉 | 大正7年7月17日、大連で病没。享年77. 谷中霊園(乙8号10側)に墓がある。 浅田宗伯の墓の裏手で乙葉林八ほか2名連記の墓 |
| 三村広次郎秀清 | 17歳 | 不明 | 不明 |
| 木村鉄太敬直(よしなお) | 32歳 | 肥後・熊本藩士・玉名市亀頭迫(きとさこ)出身・『航米記』著 |
文久元年(1861)・熊本で病死・33歳・玉名市亀頭迫の大倉団地東斜面 |
| 佐藤藤七信有(のぶあり) | 54歳 | 上州・権田村の名主・『渡海日記』著 | 明治5年6月27日・72歳・瑞雲院観叟良光居士・権田の十王堂(俗称じょうど)墓地 |
| 木村浅蔵正義 | 26歳 | 備前・御野郡木村(岡山市下中野)出身 | 不明 |