小栗上野介随想  咸臨丸病


ホワイトハウスに現れた勝海舟!?
咸臨丸病の日本人

明治以後の日本人は幕末の歴史や、遣米使節団を語るとき、なんでも勝海舟と咸臨丸を登場させなければ気がすまなくなっている。たとえば、

毎日新聞(昭和50年10月3日)は・・・

毎日新聞は昭和50年に下記のように報じて、 サンフランシスコから帰った咸臨丸の勝海舟を、ワシントンに(!)登場させ、ひんしゅくをかった。

「フォード大統領が両陛下をホワイトハウスに歓迎して催した晩餐会は、きらびやかで、しかも・・・・親しみのあふれた夜会だった。・・・・イーストルームは100余年前、勝海舟も加わっていた遣米使節団が日米修好条約に調印した部屋。・・・」

「日本大百科全書」は・・・

小学館の「日本大百科全書」では、遣米使節が会ったブキャナン大統領をこう説明する。

「ブキャナン James Buchanan
(1791-1868) ・・・1857年大統領に就任。・・・、なお、日米修好通商条約批准書交換のための遣米使節船、咸臨丸がサンフランシスコに到着したのは、ブキャナン大統領の時代である。(中谷義和)」(1988・昭和63年発行)

ワシントンで大統領に直接会見した遣米使節がいるのに、「(サンフランシスコに)咸臨丸がついたのはこの時代」という説明では、ポウハタン号の使節はどこへ行っちゃったの?、というおかしなことになる。
「遣米使節船、咸臨丸」
という表現もあいまいで、「遣米使節船(ポウハタン号)咸臨丸」「遣米使節船咸臨丸」と、どちらにもとれる。もしかしたら、追及されたときの言い訳と、後者にとられる錯覚と、「」一つで両方をねらったかと勘ぐりたくなる。

じつはこの文章は、たまたま私がゲラを見かけたことがあって、「遣米使節勝海舟が咸臨丸でアメリカへ渡って会った大統領・・・うんぬん」というでたらめな原稿だったので編集部あてに、間違っているから直したほうがよい、と手紙を出したところ「ご指摘ありがとうございます。・・・」と返事が来て、出来あがったら、まだ咸臨丸にこだわったおかしな文章のまま、CDにまでなって売られている。

週刊「再現日本史」(2001・平成13年7月31日号)は・・・

つい最近も似たような本が売られている。
講談社発行の週刊「再現日本史」という、CGを使った場面構成が新鮮で写真も迫力があり楽しく読める本だが、2001・平成13年7月31日号「幕末維新C」がやはり咸臨丸である。

表紙・・・「三七日間の大冒険、咸臨丸アメリカへ」という大きな見出しと、海を渡る復元された咸臨丸の写真。
1・2ページ見開き・・・勝海舟、福沢諭吉、木村攝津守3人が、サンフランシスコの町を背景にする、大きなCG複合写真。
3ページ・・・「アメリカで熱烈歓迎」という見出しで、ホテル前を出発する一行の馬車の列の写真。ホテルの窓にはびっしりと日の丸の旗。

再現日本史(東善寺・小栗上野介) 咸臨丸の3人(東善寺・小栗上野介)
 ▲週刊「再現日本史」(2001・平成13年7月31日号・表紙     ▲ 1・2ページ サンフランシスコの古い街並みと福沢諭吉・木村摂津守・勝海舟の合成写真
3・4ページ 初めてのサムライ、アメリカで熱烈歓迎

ここまで見てくるとふつうの読者は、咸臨丸でアメリカへわたった勝海舟らが大歓迎を受けている、と理解(誤解)する。

しかし、よく見ると3ページのホテルは遣米使節一行が泊まったニューヨーク・ブロードウェイのメトロポリタンホテルだから、サンフランシスコから帰国した勝海舟らは関係ない。4ページもよく見ると遣米使節一行の従者たちとワシントン・ニューヨークの町中で歓迎される写真で、勝海舟らは関係ない。

でも、よほど知ってる人でなければほとんどこれで、「咸臨丸の勝海舟がワシントン・ニューヨークで歓迎された」と錯覚する。

5ページでようやく本物の遣米使節一行の写真が登場する。ワシントン海軍造船所を見学した直後の写真で、この見学が横須賀造船所の建設につながった記念すべき写真である。しかし、この本の写真説明は「ワシントン上陸後の記念写真」と、あたかも観光地めぐりの説明でそっけない。

ワシントン海軍造船所を見学した遣米使節一行
1860萬延元年4月5日

産経新聞(2003.平成15.5.14)は・・・・・・

 コラム「産経抄」で、「日本の近代産業は造船業から進水したといっていい…」、として浦賀ドックが明治29年に誕生したこと、そして今年閉鎖されることになったので、ぜひ造船博物館としてのこすべきである、という識者の提言を紹介して、保存を呼びかけている。
 
 ただし文中で次のように書くのはいかがなものか。
 「日本人初の太平洋横断となった遣米使節団を乗せた咸臨丸もこの港から船出した」

@日本人初の太平洋横断は咸臨丸より約250年早く、1613(慶長十八)年支倉常長がメキシコへ渡っているから、誤り。
A遣米使節団は、ポウハタン号で渡米したから、誤り。
・・・です。

小栗上野介が遣米使節での見聞を活かして行なった、日本近代化の業績を知っていただくには、明治以来の咸臨丸への過大な評価を拭い去ることからはじめなければならない。随行船の咸臨丸はいわば、横綱に従う太刀持ち露払いだから、いつまでも立ちふさがっていては横綱の業績が表に現れない。(2003平成15年5月)

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