| 小栗上野介随想 ●● 咸臨丸病 |
| ホワイトハウスに現れた勝海舟!? 咸臨丸病の日本人 |
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明治以後の日本人は幕末の歴史や、遣米使節団を語るとき、なんでも勝海舟と咸臨丸を登場させなければ気がすまなくなっている。たとえば、 |
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◇毎日新聞(昭和50年10月3日)は・・・ 毎日新聞は昭和50年に下記のように報じて、 サンフランシスコから帰った咸臨丸の勝海舟を、ワシントンに(!)登場させ、ひんしゅくをかった。 |
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◇「日本大百科全書」は・・・ 小学館の「日本大百科全書」では、遣米使節が会ったブキャナン大統領をこう説明する。 |
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◇週刊「再現日本史」(2001・平成13年7月31日号)は・・・ つい最近も似たような本が売られている。 |
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| ▲週刊「再現日本史」(2001・平成13年7月31日号・表紙) | ▲ 1・2ページ サンフランシスコの古い街並みと福沢諭吉・木村摂津守・勝海舟の合成写真 |
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| ▲3・4ページ 初めてのサムライ、アメリカで熱烈歓迎 | |
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ここまで見てくるとふつうの読者は、咸臨丸でアメリカへわたった勝海舟らが大歓迎を受けている、と理解(誤解)する。 |
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| ワシントン海軍造船所を見学した遣米使節一行 1860萬延元年4月5日 |
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◇産経新聞(2003.平成15.5.14)は・・・・・・ コラム「産経抄」で、「日本の近代産業は造船業から進水したといっていい…」、として浦賀ドックが明治29年に誕生したこと、そして今年閉鎖されることになったので、ぜひ造船博物館としてのこすべきである、という識者の提言を紹介して、保存を呼びかけている。 |
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小栗上野介が遣米使節での見聞を活かして行なった、日本近代化の業績を知っていただくには、明治以来の咸臨丸への過大な評価を拭い去ることからはじめなければならない。随行船の咸臨丸はいわば、横綱に従う太刀持ち露払いだから、いつまでも立ちふさがっていては横綱の業績が表に現れない。(2003平成15年5月) |
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