遣米使節が乗った船   遣米使節三船  ポウハタン号 ・ ロアノウク号 ・ナイアガラ号

遣米使節三船
ポウハタン号
 ロアノウク号 ナイアガラ号

                       


ポウハタン号

◇ポウハタン号 Powhatan 2,400トン <江戸→ハワイ→サンフランシスコ→パナマ>
■1860(万延元)年1月22日、横浜出港。北太平洋の暴風雨にもまれ、77人の日本人は船酔いに苦しむ。ハワイで燃料を補給し、3月9日サンフランシスコ到着。先に到着していた護衛艦の咸臨丸と再会。17日、サンフランシスコから日本に帰る咸臨丸と別れ、さらに南下してパナマまでこの船で送られた。2,400トン。船名の「Powhatan」はネイティヴアメリカンの酋長で、ディズニーの物語「ポカホンタス」の父の名前。この模型は、宮城県古川市在住の岡崎英幸氏が1999年3月制作完成したもの。「遣米使節勝海舟が咸臨丸で太平洋を初めて横断した」という明治以来の日本人の誤解を正すため、皆様からの募金を元に住職が依頼し岡崎氏が7ヶ月かけて制作した。東善寺所蔵。

「遣米使節三船」の模型製作資金
募金中: 世界一周した遣米使節を伝えるため、帆船模型の製作費を募金しております。いちばん下の段をご参照下さい。 終了しました。皆様のご協力に感謝いたします。
ポウハタン号 POWHATAN
小栗上野介ら遣米使節一行をアメリカへ運んだ米国軍艦  帆船模型:東善寺所蔵

参考までに  ほかのポウハタン号
    
      
ステンドグラス



横浜市の「横浜開港記念館」の2階窓にあります
描かれたポウハタン号
下田では船腹の赤線から「赤筋のポウハタン」と呼ばれ、識別されていたそうです。


下田の了仙寺
描かれたポウハタン (古河市歴史博物館蔵)


ロアノウク号

◇ロアノウク号 Roanoke 3,400トン <アスペンウォール(パナマの反対・大西洋側の町・いまコロン)→(カリブ海)→ワシントン>
■パナマから大西洋側アスペンウオール(現在のコロン)へ汽車で出た一行は、米国軍艦ロアノウク号でカリブ海を渡って、ワシントンへ向かった。
(フランクレスリー・イラストレイテッド新聞 1860.5.26/東善寺所蔵)

*ちなみに*
松浦玲著『勝海舟』(中公新書1997年)のP71挿絵で「咸臨丸(アメリカの新聞にのったもの)」として使われているのは、この「ロアノウク号の絵」です。
 明治六年から始まった学校教育で、遣米使節の話は、日本人初の太平洋横断をした勝海舟という虚説*にすり替えて教えられ、その結果、使節が乗った船までも「勝海舟が乗った船」にすり替えられています。

*日本人初の太平洋横断は:支倉常長が1613(慶長18)年に石巻〜メキシコ〜ローマへ渡り、その3年前には田中勝助がやはりメキシコへ渡っています。勝海舟・咸臨丸ではありません。

◇ロアノウク号 ROANOKE
(フランクレスリーイラスト新聞 1860.5.26・東善寺蔵)
ロアノウク号(東善寺・遣米使節)
ロアノウク号に迎えられる使節一行
(フランクレスリー・イラスト新聞 1860.5.26・東善寺所蔵)
乗り込み(東善寺・遣米使節)

完成した帆船模型ロアノウク号  2005(平成17)年5月小栗まつりで除幕披露


ナイアガラ号

ナイアガラ Niagara 4,800トン <ニューヨーク→ロアンダ(アフリカ)→ジャワ(インドネシア)→香港→江戸>

▲帆船模型ナイアガラ号:岡崎英幸制作・2007(平成19)年5月27日小栗まつりで除幕・東善寺蔵
■米国海軍最新鋭のスクリュー船「ナイアガラ号」
帰国の途についた使節一行を、ニューヨークから大西洋〜アフリカ・ロアンダ〜インドネシア・ジャワ〜香港〜江戸まで運んだ。この絵は江戸品川沖に着いて使節一行が下船しているところ。
  
    ▲ハーパーズウィークリー新聞(東善寺)(画像提供:アメリカ海軍資料局・ワシントン)
登檣礼(とうしょうれい・船員が全員マストに登って見送る最高の儀式)で見送っていることがわかる。
この時、英語では「Hip! Hip! Hooley!」(ヒップ!ヒップ! フ−レー!)と三回声をそろえて叫ぶ。


登檣礼の関連ページ(リンク・独立行政法人航海訓練所)…日本語では何と叫ぶか。


咸臨丸をどかすと見えてくる、小栗上野介の渡米の業績  

     米海軍軍艦三隻で世界一周
 遣米使節が、品川沖から太平洋を渡ってサンフランシスコ〜パナマまでポウハタン号で行ったことはかなり知られてきました。しかしこんどは、「ポウハタン号で世界一周した」という誤解も生まれていますので、「遣米使節が乗り継いで世界一周をした米艦3隻」の帆船模型を展示し、史実を伝えたいという趣旨です。
    
 
   史実としては、
○パナマでポウハタン号を下りると汽車で大西洋側へ出て、ロアノウク号でアスペンウオール〜ワシントンへ上陸。
○帰国はナイアガラ号でニューヨーク〜アフリカ〜インド洋〜インドネシア〜香港〜日本、というコースでした。

 遣米使節が150年前に世界一周していた歴史じたいが、明治以後は教えられていません。とくに、2010年は「遣米使節150年」の年となりますが、うっかりすると「咸臨丸150年」にすり替えられて、小栗上野介の渡米による業績がまた隠されてしまう恐れがあります。

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咸臨丸を教科書からはずす会 の会員資格があります。

会員の責務:教科書から「遣米使節の説明に使われている(遣米使節が乗らなかった)咸臨丸の絵」をはずして、代わりに遣米使節のワシントン海軍造船所見学記念の写真を載せよう、と主張する。
会員の特典:「勝海舟は遣米使節ではない」「「勝海舟はサンフランシスコから帰った」「遣米使節は咸臨丸には乗らなかった」・・・などの知識をひけらかすことができます。
会費:無料

東善寺の帆船模型の制作は、宮城県大崎市・岡崎英幸さんが快く引き受けてくださいました。岡崎さんは世界的な帆船模型の作家で、そのすべて手作りの精巧な模型は、リアルな質感があり、見る人を魅了しています。小栗公の業績を伝える仕事になるなら、と献身的なお気持ちから引き受けてくださいました。一隻の制作に半年以上かかります。
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