| 遣米使節●●小栗忠順の従者・三好権三 |
|
遣米使節 小栗忠順の従者 |
|---|
|
遣米使節小栗忠順の従者9名のうち、これまでどういう人物か不明だった三好権三が、このほど島根県日原町の出身であることがわかったので、墓参と調査をしてきました。 |
|
日原町は、東西に長い島根県の西部に位置し、益田市から25キロほど南へ入った高津川に沿った山あいの町。私ごとになるが、群馬県の赤城国体の前年昭和57年秋が島根国体で、住職も山岳競技の視察のため近くの六日市町に一週間滞在し、ここも訪ねた町だったことをしだいに思い出した。残念ながらそのときは小栗上野介にまつわる縁のある町とは気づかないで、再度訪れることになったゆかりの町である。(2004・平成16年11月) |
| ◆日原町の三好家を訪ねて *権三は帰国2年後に江戸駿河台の小栗家屋敷内で死去したので、島根県ではほとんど知られていない |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 三好権三の墓 正面・「釈教證信士」 右側・「七代三好藤左衛門秀紀ノ八男 俗名三好権三義路事 行年二十八才 文久二年五月二十二日江戸駿河台ニテ死ス」 持参した最中「小栗公」を供えて読経した |
背面・「万延元年一八六〇年最初ノ遣米使節ハ新見豊前守副使村垣淡路守監察小栗豊後守忠順也 三好権三ハ小栗豊後守ノ小姓トシテ渡米 当時ノ米国大統領ジェームスブカナン胸像入り銅メタル一個記念トシテ受領 | 左側・「元墓石風化破損セルニヨリ 十代妻三好筆子再建之」 実は昭和59年に亡くなった筆子さんが生前に風化破損を気にしていたので、筆子さんの墓碑建立に際して寺井正運氏が再建した、という。 |
三好家元祖の墓 正面「釈超玄禅定門」 裏に「元祖三好藤左衛門藤原國嗣墓」 右「寛文五乙巳年二月朔日」 左「寛政十一巳未年仲秋下旬 六代三好勝右衛門藤原秀寿改建」 とある |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 町役場の近く、背後の山際に並ぶ三好家の墓地左手にあった | 三好家墓地 三好家代々の墓石が並ぶ |
案内してくれた町教委の桑原さんと村上文化財保護会長さんら | 三好家 20年ほど前に建て直した。 現在の当主は東京にいるので、空き家となっている |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 三好家の門 菩提寺丸立寺に移築され寺の門となっている |
門の瓦 門で使われていた瓦が歴史資料館に保管されていた。 |
駕籠(かご) 三好家で使われていた駕籠 |
日原町歴史民俗資料館 三好家の瓦や駕籠のほか、おもに大庭良美氏が収集した豊富な民俗資料がよく整理されている |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 高津川 島根でも有数の清流として知られ、鮎がたくさん取れるという |
日原小学校 小学校のホームページに「三好権三」を作っておいてくれたお礼を述べる |
日原町史 町史にも三好権三のことが少し載っているが、若くして江戸で死んだのでほとんど知られていない |
日原小学校 この町の子供たちが「日本・島根県で最初に世界一周した三好権三」を知って誇りにしてほしい |
| ◆権三の遺品・関連資料 | |||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 記念メダルのケース ケースが箱に入れてきれいに保存され、開けると江幡(荒川)祐蔵の遺品でおなじみの模様が迎えてくれた |
記念メダル 周囲の文字は「JAMES BUCHANAN, PRESIDENT OF UNITED STATES.」 合衆国15代大統領ブキャナンで、次がリンカーン大統領となる |
メダルの背面 「IN COMMEMORATION OF THE FIRST EMBASSY FROM JAPAN TO THE UNITED STATES.1860」 |
写真 残念ながら画像が消えてしまっている。「C.D. FREDRICK」とあり、ニューヨーク・ブロウドウェイで撮影したもの |
![]() |
![]() |
![]() |
|
| 権三の位牌 江戸で作られたものが安置されていた。 |
従者の任命書 「三好権三 右御供頭被仰付 御給金四両弐分被成下 九月」 |
古文書 いくつかの関連資料が大事に保管されている |
|
| 関連ページ 毎日新聞島根版…群馬版でも12月1日に 従者・江幡(荒川)祐蔵の記念メダル 木村鉄太(リンク)…熊本からの情報 |