人物紹介 佐藤藤七  ー世界一周をした権田村の名主ー

世界一周をした
権田村の名主 佐藤藤七

「ブルック大尉」についてはページを新設しました。


佐藤藤七(東善寺・小栗上野介)
佐藤藤七 (写真は、1860(万延元)年4月13日ワシントンで撮影)

同行した飛騨の加藤素毛の記録によると、この日「米側士官4人の案内により、従者方14人、伊勢屋3人で市中を散歩していたところ偶然目にした写真館に入って撮影した3点の写真のひとつ」。3点とは、このとき佐藤藤七、加藤素毛のほかに外国方御用達岡田平作手代の山本喜三郎が撮影したという。

1860(安政七・3月から万延元)年1月22日、日本を出発した遣米使節小栗上野介の従者として随行した権田村名主の佐藤藤七は、地球を一周して9月27日に帰国した。このときの体験をもとに書いた通称「渡海日記」と、「諸用留・しょようとどめ」が残る。

藤七は藤岡市本動堂(もとゆるぎどう)の出身。上野介の父小栗忠高に認められて権田の佐藤家に婿入りした。

パナマの汽車(東善寺・小栗上野介)
汽車 この汽車でパナマから大西洋側のアスペンウオールへ出た。機関車の左右に日の丸と星条旗を掲げて歓迎をしている。

藤七の地球一周の記録・通称 『渡海日記』

佐藤藤七の残した地球一周の記録。このとき54歳で使節に随行した。
1860(安政七・3月から万延元)年1月19日、江戸を出発して羽根田沖の米国軍艦ポウハタン号に乗り込むところから書き出し、太平洋横断・ハワイ・サンフランシスコ・パナマ・ロアノーク号でカリブ海を北上・ワシントン上陸・フィラデルフィア・ニューヨーク・ナイアガラ号で大西洋、インド洋を横断・インドネシア・香港・9月27日(日記では28日)江戸帰着までを記録した日記。

所々に極細の筆によって墨一色で描かれた絵が入っている。絵の描写は細かく、ハワイのカメハメハ王夫妻の表情、パナマで乗った汽車、動植物などがきわめて正確な描写で描かれている。 

藤七個人の感想や批評の文は一切なく、客観的な文章に終始してコースと旅行の概略がつかめる内容となっている。このため、若干文章としての面白みに欠ける。

この日記は藤七が帰国後に、いろいろな人に外国の土産話をするに当って、まずこの「渡海日記」で、コースの概略や外国の様子をつかんでもらうために整理されたもののように思われる。現在日記は個人蔵。そっくりに書き写された別の写本は東善寺蔵。

藤七の地球一周のメモ帳『諸用留・しょようとどめ
 (
主な内容

1、渡米準備記録
小栗上野介は渡米の事前学習として、前年の秋安政6年10月4日横浜へ出かけ、コースや日程、持参品などについてアメリカ人船長ジョン・マーサー・ブルック大尉から聞いている。藤七は従者の一人としてこれに随行し、上野介とブルックの一問一答を書き留めることから、この記録ノート『諸用留』を書き出している。ブルック大尉はこの後10名の部下とともに咸臨丸に乗って太平洋横断航海を指導援助した。ブルックと通訳のジョン万次郎がいなかったら、咸臨丸は大嵐を乗り切ってサンフランシスコへ着くことはできなかったといえる。

2、『米利堅志・めりけんし』の写し
中国の地誌『米利堅志』を写して、米国についての概念を学習しようとしている。すべて漢文。
当時アメリカですでに手話によって聾唖者が会話をしていること、パナマに運河を造る計画があること、などがわかる。

3、英語単語ノート
「2月4日、この日から米人教師英学を始める」と渡海日記にあることから、ポウハタン号の船中でこの頃からはじまった英語の勉強の記録であろう。農民が学んだ振り仮名つきの英語単語帳として、注目される。

4、滞米中のメモ
アメリカ滞在中のメモなどが記録されている。
ドル銀貨の価値/ワシントンでの見聞/帰国に当って太平洋廻りを希望したが大西洋廻りになった経過/ジャワでの新聞報道「日本の最近の事件」「第2次アヘン戦争の記事」など。

5、渡米に当っての持参品
藤七の持参品リスト

新刊
遣米使節小栗忠順従者の記録佐藤藤七の世界一周ー
村上泰賢編著

上毛新聞社発行 2000円+税=2100円


□「渡海日記」と「諸用留」2冊をまとめて、活字で読めるようにし住職が刊行しました□

第一部 『渡海日記』
第二部 『諸用留』 、で上記内容をそれぞれ解読し、解説をつけた。
第三部 『小栗忠順のアメリカ』・・・で小栗にとって、アメリカ見聞が、帰国後の活躍の源となっていることを論述した。

表紙がいいと、読者からおほめいただきました。
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(2007・平成19年11月)

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