遣米使節の行程     遣米使節の行程・日本人初の世界一周 


遣米使節の行程
日本人初の世界一周
■赤い線……往路(日本〜ワシントン=ポウハタン号とロアノウク号)
緑の線……帰路(ニューヨーク〜日本=ナイアガラ号)
■灰色の線……咸臨丸のコース(随行船・遣米使節は乗っていない)
               (画像提供:月刊「NEWTON」2008.3月号)
以下の行程表で
・漢数字月日:一月十八日……は、和暦
・洋数字月日:(2月9日)……は、洋暦
・この年は閏三月があった
・この日付は日付変更線で変更したもの。通詞名村五八郎と小栗従者木村鉄太(途中から訂正)以外の日記は日付変更していないので要注意。
■パウハタン号でハワイ〜サンフランシスコ〜パナマへ

安政七年
一月十八日(1860年2月9日・木) 品川沖出発 (26日間航海)
二月二日(2月23日・木) 日付変更線通過 *ここで二日をもう一度繰り返すべき*
二月十三日(3月4日・日) 
ハワイ・ホノルル
  ハワイにて (14日間滞在)
二月二十六日(3月17日・土) ハワイ発 (11日間航海)

三月八日(3月28日・水)
 サンフランシスコ着 寄港せず咸臨丸を修理しているサンフランシスコ湾北北東のメーア島米国海軍造船所へ行く。咸臨丸一行に再会し滞在。
     
サンフランシスコにて(9日間滞在)
三月十日(3月31日・土) サンフランシスコ市街へ蒸気船「アクティヴ号」で行き、インターナショナルホテル泊
三月十一日(4月1日・日) サンフランシスコ滞在 
三月十二日(4月2日・月) 英仏露領事と面会 市役所へ行き幹部に挨拶、音楽学校で外国領事も列席の歓 迎昼食会ののち、メーア島へ戻る
三月十五日(4月5日・木) 咸臨丸の修理にまだ時間がかかること、米国の事情もわかってきたので、咸臨丸はパナマまでの護衛を取りやめここまでとし、別れてポウハタン号はサンフランシスコへ移動。
三月十六日(4月6日・金) サンフランシスコ滞在

月十七日(4月7日・土) 夕方サンフランシスコ発 (18日間航海)
(三月十八日萬延元年に改元) 
閏三月四日(4月24日・火) パナマ着(滞在なし・パナマ鉄道で大西洋側アスペンウォールへ)
 咸臨丸は
閏三月十九日(5月9日) サンフランシスコ発〜四月四日(5月24日)ハワイ着四月七日(5月27日)発〜五月五日(6月22日)浦賀に帰着

■ロアノウク号でアスペンウォール〜ワシントンへ
アスペンウォール発三月六日(4月26日)〜(19日間航海)〜
閏三月二十四日(5月14日・月)ワシントン着―【ウィラードホテル】

    ワシントンにて(25日滞在)
閏三月二十五日(5月15日・火)ホテル滞在。接待委員デュポン、リー、ポーターが挨拶と打ち合わせに来る。
閏三月二十六日(5月16日・水)12時、カス国務長官訪問
閏三月二十七日(5月17日・木)12時、ホワイトハウスへ。ブキャナン大統領に謁見・批准書を渡す。午後2 時帰館。午後8時ニューヨーク市の役人歓迎挨拶に来る
閏三月二十八日(5月18日・金)英・仏・オランダ・ベルギー公使と会見(ホテル)。正副使は露公使館を訪問、挨拶する。
閏三月二十九日(5月19日・土)露公使が昨日の答礼・面会(ホテル) 夕方5時、正副使ホワイトハウス訪問。納涼所で市民500人と面談。
閏三月三十日(5月20日・日)日曜で滞在・午後従者は市街見物
四月  一日(5月21日・月)三公ら博物館見学
四月  二日(5月22日・火)10時、三使らカス国務長官のもとで和文と蘭文の条約批准書渡し英文と蘭文を受け取る/午後3時オランダ公使を訪ねる
四月  三日(5月23日・水)12時、国会議事堂見学・副大統領(議長?)に面会/夜ホテルで童男童女の舞踊
四月  四日(5月24日・木)10時、国務省で金銀貨幣の件で交渉/午後2時海軍造船所見学/午後8時、金銀貨幣の件で交渉あり
四月  五日(5月25日・金)(従者らは市内で写真撮影)/午後6時、三使らは大統領招待の夕食会〈ホワイトハウス〉
四月  六日(5月26日・土)米議事官(議員?)ら使節を訪問/毎日各地からの訪問者多数面会
四月  七日(5月27日・日)〈市内見物〉
四月  八日(5月28日・月)米事務官とオランダ公使来訪。帰国の行程協議/午後7時半過ぎ天文台見学、月・土星を観察。
四月  九日(5月29日・火)午後、帰国の行程で協議
四月  十日(5月30日・水)金貨の件で米役人来訪し、交渉
四月 十一日(5月31日・木)帰国の行程を協議
四月 十二日(6月 1日・金)帰国の行程を協議
四月 十三日(6月 2日・土)三使をホテル礼拝堂で写真撮影・午後ニューヨーク市の役人来訪/午後2時電気器械見学
四月 十四日(6月 3日・日)休養/(午後市内と留置所見学)
四月 十五日(6月 4日・月)金貨の件で米役人来訪し、交渉
四月 十六日(6月 5日・火)12時、帰国挨拶で大統領官邸、財務省、軍役所、英・仏・露・オランダ公使を表敬訪問
四月 十七日(6月 6日・水)金貨の件で米役人来訪し、交渉/ホワイトハウスへ。別れの挨拶。大統領の像入り記念メダルを贈られる
四月 十八日(6月 7日・木)金貨の件で書翰受け取る
四月 十九日(6月 8日・金)8時にワシントン出発〜10時ボルティモア着―【ホテル ギルモアハウス】
    ボルティモアにて(1泊)
四月 二十日(6月 9日・土)ボルティモア発〜フィラデルフィア着ー【コンチネンタル ホテル】

    フィラデルフィアにて(6日滞在)
四月 二十一日(6月10日・日)休日
四月 二十二日(6月11日・月)ワシントンから使節宛書翰あり
四月 二十三日(6月12日・火)朝8時、米役人来訪し面談
四月 二十四日(6月13日・水)朝9時過ぎに造幣局見学、交渉/午後2時過ぎ、造幣局役人来訪し、交渉
四月 二十五日(6月14日・木)朝8時、造幣局で日米金貨の分析実験に立ち会う
四月 二十六日(6月15日・金)

四月 二十七日(6月16日・土)8時、フィラデルフィア発〜(船)〜カムデン〜(汽車)〜アンボイ〜(船・アライダ号)〜午後2時ニューヨーク着(バッテリーパーク〜ブロウドウェイ)―大歓迎を受ける―【メトロポリタンホテル】

    ニューヨークにて(13日滞在)
四月 二十八日(6月17日・日)休日
四月 二十九日(6月18日・月)午後1時、市役所訪問し挨拶/3時、オランダ領事来訪
五月     一日(6月19日・火)(10時「アプルトン書店」で本を購入)/午後ロアノウク号の艦長以下が挨拶に来る
五月     二日(6月20日・水)フランス領事、米軍造船所提督ら来訪面談
五月    三日(6月21日・木)午後1時〜6時、新聞社長邸訪問  午後7時、貿易関係者来訪し面談
五月     五日(6月22日・金)(金貨の書類翻訳)
五月     六日(6月23日・土)(金貨の書類翻訳)
五月     七日(6月24日・日)ハリス公使の親類が来訪
五月     八日(6月25日・月)(学校訪問見学)/午後3時、ペリーの遺族訪問
五月     九日(6月26日・火)(9時、盲学校見学)(午後3時、書籍印刷所見学)
五月     十日(6月27日・水)(結婚式見学)
五月   十一日(6月28日・木)午後3時発ーナイアガラ号に乗船


■ナイアガラ号でニューヨーク〜ロアンダ〜バタビア〜香港〜日本
五月   十二日(6月29日・金)午後1時ニューヨーク港出帆〜
五月 二十八日(7月16日・月)セントヴィンセント島ポルト・グランデ着
五月 二十九日(7月17日・火)滞泊
六月    一日(7月18日・水)ポルト・グランデ発〜
六月  二十日(8月 6日・月)ロアンダ(アンゴラ)着・滞泊9日
六月 二十九日( 8月15日・水)ロアンダ発〜
七月   十日(8月26日・月)〜喜望峰通過〜
八月  十六日(9月30日・土)バタビア(ジャカルタ・インドネシア)港着―滞泊ー
八月二十六日(10月10日・水)バタビア発〜
九月   九日(10月22日・月)香港着・滞泊7日
九月  十七日(10月30日・火)香港発〜
九月二十六日(11月 8日・木)〜伊豆松輪浦
九月二十七日(11月 9日・金)松輪浦〜横浜〜品川沖着
九月二十八日(11月10日・土)下船し帰国上陸   総計276日


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