小栗上野介の寺・東善寺     「トミービール」・遣米使節の少年通訳立石斧次郎ゆかりのビール

トミーポルカ
◇トミーこと立石斧次郎をテーマとしたポルカです。
斧次郎は16歳で遣米使節の無給の通訳見習いとして随行し、乗艦ポウハタン号で物おじしない好奇心を発揮してアメリカ水兵と交わるうち、「トミ―」と呼ばれるようになり、アメリカ上陸後「英語を話せる日本の若いプリンスがいる!」と新聞が書き立てたことから大人気となって、ワシントン―ボルチモア‐フィラデルフィア―ニューヨークと、行く先々の街で大歓迎を受けました。

◇ニューヨークの劇場で座付の音楽家が作曲したのが「トミーポルカ」で、当時のアメリカの雰囲気を伝えます。音楽的には日本人を連想させるようなメロディーは、日米交流が始まったばかりのことで望むべくもありませんが、軽快なメロディーを聴いていると、アメリカで大フィーバーした日本の若者の姿が見えるようです。

群馬マンドリン楽団定期演奏会で「トミーポルカ」を演奏しました。2008平成20年11月24日、前橋市民文化会館大ホール。 詳しくはこちら「記念演奏会」
毎年5月、高崎市倉渕町の小栗まつりで群馬マンドリン楽団が演奏しています。

 CD(2008年4月カザルスホールで演奏・録音)もあります。 1500円(東善寺で販売します)
 高原守指揮のニューヨークシンフォニック・アンサンブルが演奏する「トミーポルカ」。(ニューヨーク日本領事館のページにリンク。
 同じくユーチューブ版はこちらから
アメリカをとりこにしたアイドル・トミー…静岡放送60周年記念ラジオドキュメンタリー・2012平成24年2月26日放送  

ピアノ曲の「トミーポルカ」ユーチューブーブ(リンク)

 トミーという人物
                名前が八つもある・・・・・・

 立石斧次郎は、1860万延元年の遣米使節に「給料はいらないから…」と通訳見習として16歳で随行し、その好奇心と物おじせず奔放にふるまう態度から、アメリカ女性に「トミー」と呼ばれる人気者となりました。

 トミーはのちに日光奉行などを務めた小花和度正(こばなわなりまさ)の二男に生まれ、
本名小花和斧次郎(おのじろう) 。  
 ほかにも名前がたくさんあって、
・幼時に体が弱くて松戸の豪農横尾家に預けられて横尾為八
・元気に育って母方の米田家に養子に出て米田(こめだ)斧次郎
・米田家の親戚のオランダ通詞立石得十郎に連れ歩かれて外国人と接触し遣米使節にも随行して立石斧次郎
・アメリカでのニックネームがトミー
・帰国後はまた米田斧次郎
・そして米田桂次郎
・戊辰戦争で戦い明治新政府のお尋ね者となったので、明治以後は遠祖の姓になって長野桂次郎…、
・・・と、書いてるだけでも目が回る変転ぶり。その他トミーの詳細は次のページ「HOWDY TOMMY」 (リンク)でご覧ください。

 「小栗上野介日記」には「米田桂次郎」の名で何度か駿河台の小栗家を訪れています。
 
 下の「サムライビール」の写真左の兄重太郎は、このあと戊辰戦争の宇都宮付近(栃木県壬生町)の戦いで、慶応4年4月24日戦死しています。
トミーの異文化体験は幼年時代から
斧次郎少年は小さい時から義理の叔父立石得十郎(オランダ通詞)に連れられて外国人と接触していたと思われる。

左は斧次郎少年であろう

ペリー横浜に上陸の絵(W.Heine画)
画面まん中の大人と子供の二人連れは…


たぶん▲斧次郎と得十郎でしょう
叔父得十郎はしっかり斧次郎の手を握って、緊張していることがわかります

▲ペリーのお土産披露の絵(横浜)
大きな鎌に手を触れている少年も斧次郎で

(フランクレスリーイラスト新聞:東善寺蔵)

 トミーがアメリカ人の間に平気で混じって堂々とふるまえたのは、こういった幼児からの異文化交流の経験があったからと思われる

(フランクレスリーイラスト新聞:東善寺蔵)
サムライビール
(トミービール)

 サムライがうれしそうにビールを注ぎあっている、珍しい写真があります。
 左が小花和重太郎・右は弟でトミーと呼ばれた米田(もと立石)斧次郎です。
 
 将軍慶喜は慶応3年12月16日(1868年1月10日)に大阪城へ英米仏など六カ国の公使を招いて会談し、これまで幕府との間に結んだ条約等は履行する義務を負うことを通告し、こんごの日本の内政について不干渉を申し入れた。
 この写真は、わきに刀と陣笠が置かれ、肩から礼装の帯が下がっているところから考えると、トミーがこの時慶喜の通訳として大坂へ出かけ、仕事が終わって兄貴とやれやれ一杯、というくつろぎを演出したものと思われます。

 写真が桐の枠におさめられているので日本人の写真師(下岡蓮杖か?)が撮影したものかもしれません。

 写真が珍しい時代、正面を向いてきちんと撮影してもらうのが普通の時代に、かくもリラックスして撮影させたスナップ写真は、それだけでも珍しいものです。

 このほどこのなんとも楽しそうな写真をラベルにした「サムライビール(トミービール)」が発売となりました。横浜ビール醸造のほんのりと甘みとコクのある地ビールで、ソフトな口当たりが上品です。
                 ▼
正式名称はサムライビール
製造元は横浜ビール、発売は横浜高島屋と港南台高島屋で地域限定販売です。
小ビン 330ml

2008平成20年11月発売
           
横浜高島屋から小栗公墓前へと贈っていただきましたので、胸像前に供えて、ハイパチリ!
小栗公も「オゝ、斧次郎君!よかったねえ」と喜んでくれているようです。

◇小栗公も権田村へ移住してビールを飲んでいました
  
もうひとつの トミーポルカ 新発見!
【フィラデルフィア発】 アメリカの小栗上野介研究者・マルケット大学准教授マイケルワートさんからの報告で、トミーの人気ぶりを示す楽譜二つ「Japanese Galop」と「True Blue」が見つかったとのことです。とりあえず、その楽譜の表紙の画像をご紹介します。
下部に「立石斧次郎」のサインが入っています。
2011・平成23年2月

*この表紙には「ジャパニーズ GALLOP」とありますが、楽譜のタイトルは「ジャパニーズ GALOP」でこちらが正しいと思われます。アメリカ人もスペルを間違える?

ちなみに「Galop」とは1800年代に流行した音楽の一種。
「Gallop」は馬が四脚を上げて全速で駆ける様子。
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Brochure "Three Ships That Carried the First Japanese Embassy to the United States Around the World"


Bridge of Hope (English) … 小栗上野介の業績を紹介するJEWL発行の書籍
JEWL(Japanese Executive Women's League) in Los Angeles introduces the achievements of Kozukenosuke Tadamasa Oguri in the book they published.


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『航米記』従者・木村鉄太の世界一周記
本:遣米使節 「小栗忠順従者の記録」
小栗公が飲んだビールの瓶・・・ビエール・ド・ギャルドか
侍ビール・・・トミーの子孫の一人長野智子さんのブログです(リンク)
Howdytommy…トミーの詳しいページ(リンク)
150年前のクールジャパン・立石斧次郎(リンク)
キリンビールのページでも紹介(リンク)