小栗上野介のビール瓶 (東善寺)    小栗上野介が飲んだビール瓶(伝) 


小栗上野介が飲んだ
ビールの瓶(伝)

 権田村で「小栗様はビールを飲んだ」と言い伝えられてきました。ではビンはどこかに残っていないか、と探してもこれまで見つかりませんでした。
 ところが、法事でやってきた塚越家で長年マムシ酒に使っていたビンを「小栗様が飲んだビールの瓶」と言い伝えてきたことが判明し、鑑定の結果フランス製ビール「ビエール・ド・ギャルド」の瓶とわかりました。

 
ビンを東善寺へ寄贈した塚越敬氏の父泰平氏はことし亡くなったが、第2次大戦の南方戦線でマラリアにかかって帰国したので、時々マラリアが発症すると「寒い寒い、と夏でも震えだし、このマムシ酒を飲み、布団をいっぱいかぶって寝ていた」という。

鑑定≫幕末にフランス人は、夏場にも持ちこたえるようアルコール度数が高く、瓶内発酵させ、濾過しないで瓶詰めされたビール『ビエール・ド・ギャルド』を日本へ運び、飲んでいた。ガラスが手作りで、コルク栓にかけた針金を瓶に巻き、ねじって末端を納めた瓶口の段差と、底のへこみの深さが約4pもあるのが特徴。


・日仏文化交流史を研究しているクリスチャン ポラック氏が「確かにこれは当時のビエール・ド・ギャルドの瓶」と鑑定してくださいました。

    
現在、東善寺で展示しています。
   寄贈:塚越 敬様(権田)・2006平成18年11月

   ◆資料提供:榊 弘太様(横浜ビール)

今も太いマムシが入っています。少々不気味ですからあまり接写しません。「マムシが入っていたから、ビンが残った」ということでしょう。

    

 コルク栓の針金を瓶に巻いたあと、写真の瓶口の段差に末端を納めた。
ビンを透かして見ると歪みがあり、さらによく見るとわずかに傾いているから、明らかに手作りのビンとわかる。


       ビン底のへこみが異常に深く、4pある(右の絵→)

ビール裁判(『ジャパンパンチ』明治12年より)
ビールをめぐる在日外国商人の裁判を見守る舶来の酒ビンたちの中に「ビエール・ド・ギャルド」も混じっていることから、幕末・明治初期に日本に入っていたことは間違いない。
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