横須賀造船所 ●● ほんとうの「幕末明治日本の産業革命」の地・横須賀造船所 建設 |
ほんとうの「幕末明治日本の産業革命の地」
横須賀造船所建設
現在の横須賀造船所(造船はしていない。すべて米軍横須賀基地として、米軍と海上自衛隊艦船の修理部門が機能している。) |
従来、日本の工業の原動力は人力・牛馬・水車までだった。横須賀製鉄所ははじめから蒸気機関を原動力としていたから「蒸気機関を原動力とする日本最初の総合工場」といえる。まさに日本の産業革命の地である。司馬遼太郎が「日本の近代工学のいっさいの源泉」(「三浦半島記」)と書いたのは、このことを指す。 | |
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慶応三年に着工したドック (右から1号・3号・2号ドックの順) 幕末に掘りはじめ、明治に完成したドックは現在も米軍基地の中で使われている。国産のセメントはなかったから床も壁も石積みで、石は真鶴から運ばれた小松石。 「横須賀明細一覧図」明治16年版より |
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技師長 ヴェルニー Francois Leons Verny 日本に来たときは29歳。あまりにも若いので「小栗殿はフランス公使ロッシュにだまされたのでは」とささやかれた。 卓越した技術と的確な指揮、誠実な運営で造船所建設の大事業を完成させていった。 |
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3トンスチームハンマー 「1865年オランダ・ロッテルダム製」と刻印がある。 *このハンマーは、いまJR横須賀駅前の「ヴェルニー館」に展示しています。 |
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マザーマシン まずこのハンマーで、「工具や部品を造るための機械を造った。船はその機械で造った工具や部品で造る」から、大もとになる造船所最大の3トンハンマーは「マザーマシン」と呼ばれた。 「横須賀はかつて日本近代工学のいっさいの源泉だった」(司馬遼太郎)・・・ということは、 言い換えれば 「横須賀はかつては日本のマザーマシンだった」 ということ。司馬遼太郎氏がこのマザーマシンを見ていればそう言ったに違いない。 「19世紀のオランダは海外に数多くの機械を輸出したが、今世界に残っているのはこの2台のハンマー(3トンと0.5トン)及びインドの潜水器具だけだという。」(「JFA」日本鍛造協会/2002.Nov.bQ号) |
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・横須賀造船所建設は、遣米使節小栗上野介のワシントン海軍造船所見学から発想された。 ・横須賀造船所は日本を木の国から鉄の国にするための礎となる総合工場。船だけ造るところではない、「船も」造るところ。 ・のちの政治が「軍港」にしただけで、初めは日本の構造改革を進めるための基礎工場だった。 ・だから「製鉄所」→「造船所」→「海軍工廠」と名称が変わっている。 |
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フランスに技術指導を依頼 初めは遣米使節の旅で実地に見学してきたアメリカに依頼したかった。しかし南北戦争に入っていて日本を支援するゆとりはなかった。 日本との古い歴史のあるオランダは国力が落ちて、乗り気でなかった。 イギリスはインドや中国で手を汚して日本に接近してきている。遣米使節の帰途にアフリカや香港で見た原住民をいきなり棍棒でぶちのめすような植民地支配の実態では、とても危なくて話を進められない。 ロシアも早くから日本に接近してきていたが、対馬事件に見るように欲しいものにいきなり爪を出すような乱暴なところがある、と敬遠された。 たまたま横浜で蒸気船翔鶴丸の修理をフランス軍艦に依頼したところ、きれいに直してくれて高いことを言わない。人柄もイギリスよりもいくらかマシだ…という消去法でフランスが残った形で、製鉄所建設指導を頼むことになった。 小栗上野介はフランス派だから、という話ではない。 |
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