小栗上野介の濡れ衣(東善寺)  ●    横須賀製鉄所の借款説を糺(ただ)す

小栗上野介の濡れ衣
横須賀製鉄所の借款説

(「べし」の誤認かー


 小栗上野介は幕府財政窮乏の折にフランスからの借款(しゃっかん)で横須賀製鉄所の建設を進め幕府を強化しようとした、という説が一部にあり、あたかもフランスに国を売ったかのように非難するむきもあった。
 このことに疑問を持った高村直助東京大学教授は検証し、『再発見・明治の経済』(塙書房・1995年)および『幕末維新論集2・開国』(吉川弘文館・2001年)で、幕府から新政府に引き継がれた横須賀製鉄所関連のフランスへの未払い金は「せいぜい数万円ではないか」、それも「借款ではなく未払い金」と述べている。

<借款説のもとは>
 芝原拓自氏が解釈したつぎの部分「約定書によれば」から始まっているように思われる

「慶応元(1865)年1月末に交付されたこの海軍工廠の約定書によれば、横須賀に製鉄所一・造船所一・修船場2、横浜に訓練用の小製鉄所一を四ヶ年で建設し、その建設費計240万ドルを年間60万ドルずつフランスに借款するというのである。」
    (芝原拓自著『開国』日本の歴史23・小学館・1975)

日本の歴史23『開国』芝原拓自・小学館・1975
<問題の約定書は>
 芝原氏の解釈の元になった約定書の、問題の部分は次のとおりです
(『開国』には約定書本文が記載されていないので、学者がそういうのだからと読みすごしてしまうところです)

○横須賀製鉄所約定書
「・・・・・・・・・(省略)・・・・・・
一、、製鉄所一箇所修船場大小二箇所造船場三箇所武器蔵及び役人職人等の役所共に四箇年にして落成の事
一、製鉄修船造船の三局取建諸入用総計凡高一箇年六十万ドルラル都合四箇年二百四十万ドルラルにて落成のこと
  但フランス政府へ約定書相届候上は右の六十万ドルラル取揃置べく猶四箇年の間年々 納方ドルラル差支不申様可致事
・・・・・・・・・・・・元治二丑年正月二十九日(4月から慶応元年)       水野和泉守
                                              酒井飛騨守 」
*約定書の全文を見たい方は『横須賀海軍船廠史』、『海軍歴史』、『横須賀百年史』および高村教授の『明治の経済』(塙書房・1995年)・『幕末維新論集2・開国』(吉川弘文館・2001年)で参照して下さい。

*細かい話になるが『海軍歴史』(「勝海舟全集13」279p・勁草書房)で「・・・約定書相届候上は、・・・」と送り仮名「」を入れているのは、「」とすべきである。原本(国会図書館蔵・明治22年)には送り仮名はナシ。
*『横須賀海軍船廠史』(大正4年発行)のどの部分を見ても、借款の話は出てこない。
<読解の誤り>
この芝原氏の解釈した借款説に疑問を唱えて、『再発見・明治の経済』(塙書房・1995年)で高村直助教授は次のようにいう

「芝原氏は傍線部分を<(フランス政府が)六十万ドルラルを納める>と読んだわけであるが、借款を与えるほうが「納」めると表現するのは妙である。そもそもこの書類は、幕府の老中・若年寄がフランス公使に交付したものであるから、但書の主語も幕府であると解するのが自然というものであろう。第一、借款契約につきものの担保、期限、利子などについて、この書類はまったく触れていないのである。横須賀製鉄所建設には四年間毎年60万ドルが必要であり、建設をフランスに委託した幕府が、毎年60万ドルを「取揃」えてフランス側に「納」めることを約束した文書としか解しようがない・・・」  (高村直助 『再発見・明治の経済』・塙書房・1995年)

『海軍歴史』
勝海舟編・海軍省・明治22年・国立国会図書館

<「べし」の解釈>私(住職村上泰賢)も、高村教授と同じくこの部分を次のように解釈する

「但し、(フランス政府へ)この約定書を届けたからは、右の60万ドルを(いつでも渡せるよう幕府は)取り揃えておきますし、なお、今後4ヵ年の間毎年納めるべき側として(60万)ドルに支障のないよう致すつもりです」

*「べし」を芝原氏は「取り揃えておきなさい」という命令に解釈したわけだが、ここは幕府側の「取り揃えておきます・そのつもり」という意志と解釈するのが自然である。


*ちなみに、次の言葉は横須賀においてヴェルニーと小栗上野介胸像除幕式が行われた翌日、1922大正11年9月30日にフランス大使ポール・クローデルがフランス本国へ送った報告書の一部であるが、
「幕府の財政状態が良くなかったにもかかわらず、小栗は自らが最重要と見ていた〈造船所〉の建設資金は滞りなく用意すると約束しました」(ポール・クローデル「孤独な帝国 日本の1920年代」より)

ここで「滞りなく用意すると約束した」とあるのが、フランス側へ渡された約定書にもとずいての記述と見られる。


<結局明治新政府の借金清算は>
 横須賀製鉄所は幕府が毎年支払いをやりくりしながら建設を進めてきたが、完成しないうちに明治維新となり、新政府に引き継がれた。新政府に引き継がれた外国関係の未支払いは
「長崎製鉄所引き当ての金高、併横須賀製鉄所、灯明台、造幣局、鉱山局、軍艦等外国人に関係する諸払高」
のほか、旧幕府が発注したが支払いがされないまま現物引取りを終えていない武器・軍需品などがある。では、このうちで純粋に横須賀製鉄所建設に関する支払い残高はいくらか。

高村教授の見るところでは、
「新政府が別途返済したのは14万余円ということになり、しかもこの額は「和蘭商社」分を合わせたものである。横須賀製鉄所建設関係の未払分があったとすれば、このうちに含まれると思われるが、それはせいぜい数万円程度ではないか。<240万ドル借款>が実際に存在し、その未償還額を新政府が払ったと見るには、その金額はあまりにも少ないといわざるをえない。」


〈150万8千ドル支払って残りが83万1500ドル…『横須賀海軍船廠史』原書房

慶応4年閏4月1日 明治新政府が神奈川裁判所東久世通禧長官を派遣して旧幕府から新政府への受け取りを行なった。この時引き継ぎの精算として、

「  横須賀横濱両製鉄所経費
一洋銀二百四十万ドル      一箇年60万ドルずつ4箇年分仏国政府に約定せし目当高
    内
 150万8424ドル41セント
慶應元年乙丑8月起工より本年戊辰3月に至るまで機械物品の買上代価并に造船、造家、土工の費用其他雇仏人の給料職工人足の賃銭各経費支払の分
 83万1575ドル59セント
現今より落成に至るまでの目当高なり。然れども製鉄所起工以来物価騰貴に付概略1箇年分の経費即ち60万ドル内外不足すべき見込」
  …だけれども、起工以来の物価騰貴であとおよそ1年分すなわち60万ドルくらいの予算が必要」との見込みを書いている。

高村直助『再発見・明治の経済』
(塙書房・1995年)
「結局、幕府の対仏借款は、下関償金や、代金支払いが焦げ付いて結果的に債務になったものを別にすると、現実に資金を借り入れたという意味でのそれは1件もなかったのであり、新政府に引き継がれた対仏債務は、幕府崩壊で支払い不能に陥った兵器・軍需品代を中心として、最大限55万ドル以内であったというのが私の結論である」   『再発見・明治の経済』(塙書房・1995年)


*念のため付け加えれば、じつは横須賀製鉄所(造船所)には「完成」という日時はない。いちおう明治2年からフル稼動したということになっているが、すでに慶応年間に出来上がった施設から蒸気機関を原動力として順次稼動に入り、整備、補充を加えて増殖していったわけだから、いつが完成ということはない。

<石井孝氏との外圧論争>
 
芝原氏は幕末当時の日本は外国からの外圧を受けて「半植民地状態だった」という論を立て、その証拠のひとつに横須賀造船所の借款をあげていた。しかし、石井孝氏は、その根拠となるべき横須賀の借款話は「(芝原氏の)とんでもない事実の誤認」としている。
 参照:『明治維新と外圧』石井孝(吉川弘文館・平成5年)

<借款説の影響>
(小栗は)フランスと結んで何かやりかねない」としたり
フランスから金を借りて、その代わりに北海道を渡して、横須賀に造船所を作って・・・」(『封印の近現代史』渡部昇一・谷沢永一著・ビジネス社・2001年8月発行)

と語る学者は、この借款説を元にしているものと思われる。『開国』(日本の歴史23)が小学館から発行されておよそ30年、ほかにもかなりの人がこの「とんでもない事実の誤認」の借款説に乗って「小栗上野介は日本をフランスの植民地にしてでも徳川家を守ろうとした」と信じているに違いない。まったくの濡れ衣である。
(2004.12.8)


  ▲3トンスチームハンマー

幕末にオランダ・ロッテルダムから購入したもの。平成9年まで稼動していた。
(ヴェルニー記念館・横須賀市)

   ▲フランソワ・レオンス・ヴェルニー

横須賀製鉄所首長として29歳で着任し、誠意をもって建設にあたった

参考
小栗の濡れ衣・四国・蝦夷を担保にした:幕末世情混乱の中の根無し草の話
横須賀明細一覧図を読む:横須賀は近代工業の先端設備をそろえ、多くの見物客でにぎわった
横須賀造船所のページ
「土蔵つき売家」の横須賀造船所のページ
レンガのページ:横須賀で作られたレンガ
森林保護育成の提唱:造船には多量の木材が必要だから・・・
技師長フランソワ・レオンス・ヴェルニー:横須賀市のページ(リンク)
勝海舟の「海軍500年説」は:「海舟日記」の信憑性ゆらぐ
小栗上野介よこすか顕彰会はここ(リンク)