横須賀造船所   ● 横須賀で造られた幕末のレンガ 

横須賀造船所
レ  ン  ガ



従来、日本の工業の原動力は人力・牛馬・水車までだった。横須賀製鉄所ははじめから蒸気機関を原動力としていたから「蒸気機関を原動力とする日本最初の総合工場」といえる。まさに日本の産業革命の地である。司馬遼太郎が「日本の近代工学のいっさいの源泉」(「三浦半島記」)と書いたのは、このことを指す。

横須賀造船所の建設にあたり、ヴェルニーはレンガを造船所内の小海の土で焼いて建物に用いた。「ヨコスカ製銕所」と右横書きで刻印されたこのレンガは、造船所の建物の他に、灯台建設資材としても使われた。


横須賀造船所で焼かれたレンガ (東善寺蔵)

レンガの土を取った小海は、いま米軍基地の中
幕末に米国と結んだ日米和親条約で、洋式灯台の建設を約束した幕府は、観音崎・城ヶ島・野島崎・品川の四つの灯台を日本最初の洋式灯台として、フランス人フロラン建築課長の指導で建設し明治2年1月に完成・点灯した。

東善寺所蔵のこのレンガは、横須賀造船所建設のシンボルとして以前からほしいと思っていたところ、平成14年秋横須賀市民の協力で入手出来た。観音崎灯台に使われていたもの。

観音崎灯台 (『横須賀明細一覧』より)
最初の灯台は地震によって倒壊し、現在の建物は三代目。
富岡製糸場で「ヨコスカ造船所」のレンガを発掘

富岡市は、富岡製糸場の敷地内から「ヨコスカ造船所」という刻印のあるレンガを発掘、と発表した。これまで大きな鉄の水槽が「横浜製作所」の製品であることがわかっていたが、横須賀との関連を示す具体的な事物はなく、富岡製糸場が横須賀のつながりで出来上がっていることを認識する人が少なかった。このレンガで、ようやく少し認識が深まることであろう。
(2013平成25年10月23日)
富岡製糸場の水槽
*ここは現在非公開で一般の見学では見られません*

大きな鉄の煙突(はじめ鉄製・のちにコンクリート製)の手前に蒸気機関を据えた小屋があり、その手前に大きな水をたたえた水槽をおいた。
はじめの水槽は四角いレンガ造り

(明治6年の絵)
横浜製鉄所の鉄の水槽 レンガの水槽は漏れるので、後に鉄の水槽に変えたという。リベット打ちで接続された水槽がいつ設置されたのか、まだわからない。

        ▲リベットで鉄板をつないでいる。きれいにリベットが打たれていることから、明治10年代ではないかと推測。           
「鉄水槽」の説明板に蒸気機関が出てこない 
*ここは現在非公開で一般の見学では見られません*

説明板にはこの水槽は「繰糸用の水を蓄えるための水槽…」としか書かれていない。これでは「繭を煮るためだけの水槽」となってしまう。富岡製糸場は横須賀造船所と同じく、蒸気機関を原動力として製糸機械を動かしていた器械製糸だから大量の水を必要とする。その説明がないとおかしい。

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