横須賀造船所   旧横須賀造船所見学ツアー          


旧横須賀造船所を見学する
最新空母と幕末のドック

日本の産業革命の地・横須賀
従来、日本の工業の原動力は人力・牛馬・水車までだった。横須賀製鉄所ははじめから蒸気機関を原動力としていたから「蒸気機関を原動力とする日本最初の総合工場」といえる。まさに日本の産業革命の地である。司馬遼太郎が「日本の近代工学のいっさいの源泉」(「三浦半島記」)と書いたのは、このことを指す。

旧横須賀造船所を見つめる小栗上野介▲  JR横須賀駅前・ヴェルニー公園

ヴェルニー公園の駐車場 コチラ  公園散策・小栗上野介とヴェルニー胸像・ヴェルニー記念館見学が便利になりました。 大型バス予約申込用紙はコチラから
*進入コースにご注意!国道16号「横須賀街道」下り線からしか入れない。

見学・2014平成24年6月4日

2014平成26年6月4日
群馬日仏協会
富岡製糸場がまもなく世界遺産に認定されるか、ということでその元になっているのは横須賀製鉄所であることから企画されたツアー。小栗上野介ーフランス人技師長フランソワ・レオンス・ヴェルニー―横須賀造船所―富岡製糸場のつながりを再確認。
      
▲まず観音崎の横須賀美術館に入って昼食のあとアール・デコ鑑賞。「おいしかったわね、あのお魚料理。なんて言ったっけ…」「名前なんてどうでもいいのよ〜、おいしけりゃ、キャハハ」「そうよね!キャハハ…」
▲入構してまず基地広報部職員から米海軍第7艦隊司令部と横須賀基地司令部前で説明を受ける。
▲基地司令部の玄関ホールに小栗上野介とヴェルニーの写真が掲示されているのに驚く。幕末の近代化の努力があって今の基地がある、ということを示している。
▲左:第2ドックにまもなく修理の船が入るということで、船の設計図面に従って受台のセッティング作業が行われていた。この作業を見るのは初めてだ。  右:幕末の慶応3年に掘り始めて、明治4年に完成した第1ドック。
 見学・2011平成23年10月27日 

2011平成23年10月27日
朝霞鋼遊会有志

朝霞市でネジなどの鉄鋼製品を製作している朝霞鋼遊会のメンバーとともに見学。小栗忠順がアメリカから持ち帰ったネジ釘を知って東善寺に参拝した後、こんどは横須賀へ、ということで企画されたもの。横須賀駅前に集合し、市国際交流課と観光課からパンフレットをいただいたあと、ヴェルニー公園で小栗・ヴェルニーの胸像やヴェルニー記念館を見学のあと基地に入り、ドックや司令部などを見学。
▲ヴェルニー公園の胸像に挨拶する。              ▲基地の米海軍司令部
▲「横須賀鎮守府」のプレートが玄関にはめ込まれたまま保存されている。ロビーに入ると小栗上野介とヴェルニーの写真が壁に掲示されている。
▲幕末に掘りはじめ、明治4年に完成した第1ドックは今でも現役で使われている。
原子力空母「ジョージワシントン」は現在どこかへ出動中で、他の艦船も修理中であり乗艦見学は出来なかった。

   見学・2010平成22年3月
高崎市群馬地区民生委員・児童委員会の会員有志による小栗上野介史跡見学会が、現在米海軍横須賀基地となっている横須賀造船所跡地に入りました。
2010平成22年3月16日
横須賀造船所跡地のドック見学―昼食―空母ジョージ・ワシントン見学―ヴェルニー記念館見学―小栗上野介・ヴェルニー像見学
第1号ドック
まず幕末慶応3年から掘って6年かかって明治4年に完成した石造の1号ドックを見学。ユンボ、ダンプ、ブルドーザのない時代に手で掘って、かついで土を出した苦労に、感激の声が上がる。「ワアー、おっきいんネエ〜」が上州の女性言葉。
ドックのふたの上で、「このふた(扉)の中は空洞に水が入ります。まず水を抜いて軽くし、船で曳いてどかすと、修理する船を引き入れ、また扉を引いてきて水を注入すると沈んで安定します…」と説明を受ける。据えるのも船ごとに異なる位置に台木をセットして、なかなか大変。据え終わると、ドック内の水を抜いて船底まで修理し、修理が終わるとまたこの逆の方法でドックから船を出します。
対岸の白いビルの下に小栗上野介とヴェルニーの胸像が見えます。 昼食は将校用のレストランで、厚いステーキ。大きすぎてもてあます人もいたようで…。
私は「お肉なんて久しぶり…」
空母ジョージワシントン
全長358m、幅82mと聞いてもピンとこない。中間のタナは飛行甲板に下りた飛行機を下の格納庫に下ろすエレベーター、と聞くと驚く。人間なら200人乗れる。
ジョージ・ワシントン像
さすが船の名称ゆかりの人物の像を格納庫に設置して、「SPRIT OF FREEDAM」を標榜しています。
乗組員数6250名、一日の食事18,000食の大空母は97,000トン。けた違いの大きさ!
司令塔の指令室
今回は司令室まで案内してくれました。艦長のイスにも座らせてもらってゴキゲン
飛行甲板では模擬戦闘機を置いて、停止の訓練をしています。
停泊している時も暇ではない、という説明にナットク。 司令塔の前で記念撮影。日本は平和だなあ。

    見学・2009平成21年2月
前年秋から始まった明治大学博物館「小栗上野介講座」受講生を対象とした、旧横須賀造船所の史跡見学ツアーを、小栗上野介の史跡を歩く会(東善寺)主催で行いました。
2009平成21年2月12日
コース ヴェルニー記念館〜ヴェルニー公園〜米海軍横須賀基地(空母ジョージワシントン・ドライドック・旧鎮守府司令部)〜三笠公園〜市自然人文博物館
この見学が横須賀基地の新聞「SEAHAWK・海鷹」紙トップで報道されました。
ヴェルニー記念館 フランス技師長ヴェルニーの名を冠した記念館に集合。ここには、平成9年まで稼働していたスチームハンマーが保存されている。オランダ・ロッテルダム製、ハンマー重量3d、蒸気の力で持ち上げて台上に置いた焼けた鉄材を鍛造する。「マザーマシン」
ヴェルニー公園 公園の中央、朝の光にヴェルニーと小栗上野介の胸像が浮かび上がる。胸像の背後には、昭和28年に倉渕村から寄贈された小栗公最期の地水沼河原の川石が、きれいに並べられている。
ドックを望む 公園の対岸が幕末〜明治に掘られたドック。「あの潜水艦の右手が第3ドック、その右が第2で、さらに第1ドックが…」と概観をつかんでからバスで米海軍横須賀基地へ入構する。今日は潜水艦が2隻も入っている。
空母のパンフレット▲ 今回は空母ジョージワシントンの見学許可が取れた。見学用にパンフレットが用意されていて、概要がつかめる。パンフの中央、艦橋部の「73」という数字の3の下が右の写真となる。
飛行甲板上 迷路のような狭い階段を何回も上がって、出てきたところは飛行甲板。床は細かなさざ波のようになってスリップ止めとなっている。テントはいま補修作業中の作業小屋で、これもすべて甲板の上。戦闘機は上空からマッチ箱くらいに見えるこの甲板めがけて舞い降り、失敗したら「タッチアンドゴー」で再び舞い上がるため最大速度で着艦する。それを食い止める太いワイヤーが足元にあった。太いゴムだろうと思っていたのは錯覚で、完全にワイヤー。
乗組員数約6000人、映画館が二つある。中央写真の甲板が切れているところ▲は飛行機を下の階に格納するためのエレベーターで、左右に計4台あり、いまここは下りている状態、ということ。飛行機は横須賀へ入る前に立川基地へ移動して、船だけで入ってくるという。電話の数2000台、一日の配食量18000食、重さ30トンの錨が計2基…説明を聞くたびに、へーッと驚きの声が出る。
旧鎮守府   旧海軍鎮守府の建物は米海軍極東基地と、横須賀基地の司令部となっている。玄関ロビーには近年小栗上野介とヴェルニーの写真が飾られて、米海軍基地の将官もようやくここが日本近代化の大事な場所だったことを認識し始めたことを物語る。
ドック 慶応3年(1867)に掘り始めて明治4年に完成した第1号ドックは健在。切石積みの壁が歴史を物語る。
横須賀製鉄所…造船所は初め明治4年まで横須賀製鉄所という名称であった。しかしここで現在の意味の製鉄はしていない。「鉄製品を製する所」という意味であった。明治以後に製鉄所の意味が変わって、鉄鉱石から鉄を製する意味になった。
昼食 基地内のレストランでステーキの昼食。こんなに厚いステーキはめったにお目にかかれない、とつぶやく。  自己紹介  昼食の後、参加者の自己紹介と感想。小栗上野介講座で顔なじみになっていても名前までは知らない同士だったので、これで打ちとけた雰囲気になった。
三笠 軍艦三笠は戦後の荒廃から保存運動によって展示館となっている。「日本海海戦の勝利は小栗さんの造った横須賀造船所のおかげ」と遺族に礼をいった東郷平八郎の大きな絵も飾られている。ロシア艦隊がバルト海のリバウからはるばる極東日本までたどりついたことがわかる絵図が、印象的。
市自然人文博物館  深田台にある博物館で学芸員安池尋幸さんの解説のあと、特別にペリーのお土産の電信器を横浜で実際に実験している絵巻を見せていただいた。この絵が、お土産披露のもう一つの絵とつながる。

SEAHAWK」(海鷹…米海軍横須賀基地新聞・2009平成21年2月27日号
トップにこの見学の記事が載りました。

米海軍横須賀基地新聞 2009.2.27 記事
                             ベン・アヴィー記者(CFAY広報部)
   「SEAHAWK・海鷹」 
   日本人学生、CFAYツアーで
横須賀の歴史を学ぶ
                                       

 2月12日、東京の明治大学から日本人学生たちが横須賀艦隊司令部(CFAY)を訪れ、横須賀初期の造船所の起源とその創立者小栗上野介について学びを深めた。

 小栗は1800年代中ごろに徳川幕府の財務大臣(勘定奉行)を務め、日本の横須賀に大規模な造船所と港を造ることを決定するに際して大きな影響力をもった人物である。彼がなしたことの影響は今なお持続しているため、25人ほどの日本人の学生たちは小栗の生涯と遺産全体に焦点を当てた教育講座を受講することができた。

 米軍基地部隊史によれば、日本の歴史において発生した二つの重要な出来事が小栗を行動へ駆り立てた。
 一つ目の出来事は、アメリカ合衆国将校マシュー・ペリー提督による1853年の歴史的な訪問である。この訪問により260年にわたる日本の鎖国は終わり、日本において新たな「扉を開く」開国が促進された。
 二つめは日本最初の使節団が1860年にアメリカ合衆国へ派遣された際に、補佐長(監察)として小栗が果たした役割である。小栗が日本の経済を発展させるために造船能力を整えることの重要性を悟ったのは、この渡航においてであった。「世界規模の通商の中で日本が積極的な役割を担うならば、日本は大型遠洋航海船を建造し整備するにふさわしい施設を持たねばならない」と当時の小栗は言った。
「SEAHAWK海鷹」紙トップ→
写真説明(右)  

2月14日にCFAYを見学した明治大学の学生たちに向い、SRF―JRMCドライドック1号の歴史的重要性を説明する講座講師の村上泰賢氏。学生たちはCFAYとUSSジョージワシントン(CVN73)の見学ツアーに参加し、小栗上野介の生涯と遺産に焦点を当てた講座の理解を深めた。小栗上野介は、1865年ごろの横須賀の最初の造船所建造に大きな力となった人物である。(写真=河辺雄二)
 講座の講師の一人である村上泰賢氏は、教室での授業を補い、小栗が始めたことが長きに亘って影響していることを学生たちがよりよく理解できるようにとこのツアーを計画した。「歴史の勉強は、本を読むだけでなく歴史の現地を訪ね、自分たちが持つ歴史の理解力を高めることが大切です」と村上氏は語っている。

 小栗は他の日本史上の人物たちほど広くアメリカ人に知られていないが、横須賀のひなびた漁村を、日本のグローバル化(近代化)に拍車をかけた国際的な産業の中枢に変えたという功績がある。「日本の近代化は横須賀から始まったのです。小栗が成し遂げた仕事がなければ、日本の近代化は達成されなかったということを、受講生たちは学んでくれるでしょう」と村上氏は語った。

 小栗が大型専用の港の建設を促してからほぼ150年後に、学生たちは排水量97000トンの原子力空母ジョージ・ワシントンを見学することができた。ジョージ・ワシントンの乗船に加えて、学生たちは横須賀の港湾設備を増強するために作られたドライ・ドック1号を見学した。ドライドックは1871年に完成し、巧妙な石造りで出来ている。続いてドライドック2号と3号がそれぞれ1884年と1874年に完成した。現在では三つのドック全てが横須賀艦船修理廠・日本地域整備センター(SRF-JRMC)として稼働している。(嵩田紋子訳)


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◇ オランダ製スチームハンマー(リンク)
富岡製糸工場:技術のわくわく探検記(リンク)
富岡製糸を世界遺産へ:世界遺産暫定リストに登録され、あと一歩。(リンク)
小栗上野介よこすか顕彰会事務局はここ(リンク)

小栗上野介の言葉「幕府の運命、日本の運命」


横須賀探訪(リンク)