住職のコラム(東善寺)    小栗上野介の濡れ衣・四国・蝦夷を担保にした

小栗上野介のぬれぎぬ》
「四国を担保にした」、あるいは
「北海道を売ろうとした・・・・」という説 

明治以後「小栗は四国を・・・」あるいは「北海道を担保にして、フランスから借金をしようとした・・・」という説が語られ、幕府を守るためになんでもする男のように見られてきました。

小栗上野介は、
遣米使節の任務を果たした帰途、アフリカ・ロアンダで奴隷の売買を見、香港がアヘン戦争によってイギリスに借り上げられ、中国が手を出せない島になっている状況を見てきた。さらに、1861文久元年、外国奉行として対馬事件で、居座ったロシア軍艦ポサドニクを退去させるのに、たいへんな苦労をしている。
こうした経験を持つ小栗上野介が、国土を担保にするという話は、どうにもつじつまが合わない。

1、四国を担保説は・・・歴史学者・中村孝也氏説

「先年、天皇中心主義の最高潮期に、当年の有名な史家、中村孝也氏は当時発表した論文の中に、
『小栗は時勢を理解する明が欠けていた。そして、四国を担保として、仏国から資金を借り入れようと企てた。それは、日本のために危険なことであった。』
私は果たしてそんな事実があったものかを知りたいとの研究心から、一書を中村氏に呈して、氏の論述の根拠となっている文献を教えられたいと、丁寧に同氏に願い出て見た。
それに対して、中村氏は『文献はない。ただ自分のノートの端に書き記してあるのみである』との返書を私に送られた。」
(蜷川新『開国の先覚者・小栗上野介』P204・昭和28年)

「四国を担保」説の出処は勝海舟の言葉から

この説は勝海舟の言葉から始まっていると思われる。
勝海舟は、小栗上野介から江戸で聞いたフランスからの借款話を、大阪城に出向くと老中に説いて
「国(の)財宝空費し尽くるを以って、地を質して、払郎西(フランス)より・・・金幣を借る」(『海舟日誌』)
このようなことは私は大反対だ、と勝海舟が語ったことになっている。

国どうしの借款は今ふつうの話で、誰も驚かない。問題はその中に国土を担保にした話が含まれているかである。 

経済学者・坂本藤良説・・・「担保の話は、小栗は無関係」

坂本氏は次のように述べている、
「少なくとも小栗の交渉に関する限り、担保の話など皆無であり、ほかにも密約は一切なかったことが、明らかにされている」(『小栗上野介の生涯』坂本藤良・講談社・1987昭和62年)
としてつぎの大塚武松氏の著を引いている。

2、樺太を担保にする説は…「ロッシュの提案だけ」

「ロッシュは、・・・(慶応3年2月6,7日に大坂で徳川慶喜と会見した後24日間滞在して)・・・しばしば老中板倉勝静・外国奉行・平山敬忠らと会見し、その間、財政確立のために、英仏両国より5百万ドルの借款を起こし、その担保として、樺太島における鉱山採掘権の譲渡を提案している。」(『幕末外交史の研究』大塚武松・宝文館・昭和27年)


『幕末外交史の研究』
大塚武松
・宝文館・昭和27年
もちろんロッシュが老中らに、樺太の鉱山採掘権譲渡を提案しただけで、実現を見なかったわけである。この話は、次の著に将軍への提出文書として出てくる。

「慶応3年4月13日仏国公使ロッシュより将軍への上書の一節に『大君このときに当り借銀を約定せんとす。ついてはその望み通りの質を差し出すべし。その内には大君収納の内たる蝦夷地を質に取らせん。政府の収納および今英仏の大商社へ与へんとする蝦夷地の金銀山より出ずるものの高を以って、右借銀の元利を払ひ納めんとす。故に、彼の旨趣にては此の両大国へ力を請はんとす。其の内一へは陸軍を頼み、一へは海軍のことを頼まれしなり。』・・・・北海道の鉱山を担保として英仏から借款し、英の海軍仏の陸軍の援助を得んとするの説である。」
(『幕末外交物語』尾佐竹猛・文化生活研究会・大正15年)
この蝦夷地担保説はロッシュが提案しただけで実現はされていない。小栗上野介とは無関係の借款話であることがわかる。

3、淡路島を担保にした説…「人心動揺の時機の根無し草」

ついでに「フランス公使が淡路島の租借を要請」という話についても、大塚武松氏の著に触れておこう。
「かの仏国公使(ロッシュ)が、淡路島の租借を幕府に要請したりと言へる説のごときは、この説の行われし当時に、大坂において、樺太島鉱山の採掘権を担保に、英・仏二国より借款を募集するといふ議が行われたことの、世上に漏洩訛伝したものなることが明らかのと同じく、非常時局に際し、人心の動揺の折からの根無し草と見るべきもの・・・」(『幕末外交史の研究』大塚武松・宝文館・昭和27年)

・・・と、淡路島の租借、樺太の担保の話、ともに実体のない根無し草の話が、一人歩きして当時の世相から疑心暗鬼を生み、誇張されたものと見ている


『坂本龍馬と明治維新』マリアス・ジャンセン・時事通信社・1965昭和40年

マリアス・ジャンセンの著『坂本龍馬と明治維新』からも、

「1865年・・・1月はじめには、小栗忠順のもとで特別の経済計画が作成されている、それはヨーロッパ向けのあるもの、とくに蚕の種板と繭についてフランスに事実上の独占権を与え、その代わりフランス側は資金と技術援助を提供し、・・・」(『坂本龍馬と明治維新』マリアス・ジャンセン・時事通信社・1965昭和40年)

・・・と、フランスからの資金援助に、蚕の種板と繭の買い入れ独占権を与える以外の担保の話は出ていない。

これらを総合して考えると、勝海舟の言葉をそのまま鵜呑みにして、小栗上野介を単純な佐幕論者に仕立て上げるための「四国」あるいは「蝦夷担保説」に思われてくる。

4、新しい「北海道売り渡し」・・・2002年1月追加

 さいきんまた「北海道を売り渡そうとした小栗上野介」と書いている本がでましたので紹介します。

『封印の近現代史』渡部昇一・谷沢永一著・ビジネス社・2001年8月発行
「小栗上野介はなぜ処刑されたか」(p170)で次のように対談形式で語っています。

「勤皇軍により本当に処刑になったのは、近藤勇と小栗上野介の二人である。あとは戦死で、処刑されてはいない。この二人が処刑されたのは、それだけ憎まれたからである。近藤勇は新撰組の大ボスで、新撰組のために維新の志士たちがどれほど苦しんだかを考えれば、当然のことである。それから、小栗上野介は彼のプランに従えば、官軍は負けるはずだったのである。だから憎まれて殺されたのである。」・・・・・渡部

小栗上野介は、すうーッと幕府の主流をのぼってきた、それはもう頭のいい純粋な官僚である。その幕府官僚が、フランスから金を借りて、その代わり北海道を渡して、横須賀に軍需工場を作って軍艦を作るという構想を持っていた。そうして、徳川の新しい政権を作ろうというわけだが、これは実にぞっとする構想である。結局はフランスの属国のようになることだから。」・・・・・谷沢
「それで、まだ北海道を売り払う前に攻めてきたら、箱根の山で一応食い止めて、軍艦で大坂にも逆上陸しようとも考えていたようである。・・・・(以下略)・・・・渡部
「(略)・・・昔から、落城のときには、相当な英雄が出るものだが、小栗はそれに値する。彼は、最後に横須賀に大きな溶鉱炉かなんか建てるのだが、そこでやむを得ず家を売り渡すが、蔵をつけて売り渡すところがせめてものプライドだといっている。あくまでも徳川の権威を重んじたわけである。」・・・・・谷沢      

「封印の近現代史」(ビジネス社2001年)より

「小栗上野介が殺されたのは憎まれたから・・・」とは、なんとも子供じみた非論理的な話で恐れ入る。ともかく、
「小栗上野介が北海道を売り渡す」話の根拠出典を、出版社編集部を通して両著者に問い合わせたところ、「いろいろな本を呼んでいるからすぐ返事できないが、とにかくそういう認識を持っている」というご返事を編集部を通して電話でいただいた〈2002年1月末〉。やむなくこれからこのページをコピーしてお送りし、誤りがあったら指摘していただくことにします。
(2002/平成14年1月)

*追加*

「フランスから金を借りて、その代わり北海道を渡して、横須賀に軍需工場を作って軍艦を作るという構想」・・・この部分の論拠と思われる誤りが見つかりました。下記のページをご覧ください。
「横須賀に大きな溶鉱炉かなんか建てる・・・」・・・「製鉄所」としてスタートした横須賀ですが、岩鉄から鉄を作る意味の溶鉱炉はありませんでした。下記のページをご覧ください。

(2004・平成16年11月13日)
参照「横須賀一覧明細図を読む」:横須賀製鉄所には、溶鉱炉はなかった
参考「小栗の濡れ衣・横須賀製鉄所の借款説」:造船所建設の借款話は古文書の読み違いから。