| 小栗上野介随想●●横須賀造船所 |
| 将来を見据えて建設した横須賀造船所 「土蔵付き売家」 |
|---|
|
横須賀造船所建設で現場を指揮した栗本鋤雲(じょうん)は、「小栗は、これができあがれ土蔵付き売家の栄誉が残せる、と笑った」と書いている。 一枚の写真が残っている。140年前に遣米使節が、ワシントン海軍造船所を見学したときの記念写真だ。使節の小栗上野介も写っている。 |
![]() |
|
▲ |
|
この時案内されて造船所に入ると、そこは造船だけの施設ではなかった。建ち並ぶ工場では、蒸気機関の仕掛けで鉄の部品を造り、船の機関、大砲・小銃の部品を造り、それらを結びつけるネジも造る。砲弾、弾丸が次々に造られてゆく。次の工場では木材から船の船体が作られている。その向こうで船も組み立てられていた。ここは総合工場だったのだ。「日本人は熱心に見学している」と書いたニューヨークタイムズは続けて「とくに小栗は近い将来日本にこういう施設をぜひ造りたい、と熱心に語った」と報じている。 |
![]() |
| ▲ クレーン 30トンクレーンが初期に設置された |
|
さて大勢のフランス人技師が指図しても、日本人の大工、石工、鍛冶屋はフランス語がわからない。横浜に設けた日本最初の仏語伝習所で学んだ若者が、現地で技師の言葉を伝えて職工を指揮し、ゆくゆくは、出来上がった造船所の幹部に育ってゆくシステムも作った。養子小栗又一もここで学んだ。明治維新後、工事は明治政府に引き継がれ、明治二年に完成、同四年から本格的な造船を開始して、海運国日本の原動力となった。 (2000・平成12年3月11日・上毛新聞オピニオンに加筆) |
| 関連ページ ◇勝海舟の海軍500年説ゆらぐ ◇小栗上野介の言葉「幕府の運命、日本の運命」 ◇横須賀明細一覧図を読む ◇横須賀造船所のレンガ ◇横須賀造船所の借款説 ◇小栗の濡れ衣・四国・蝦夷を担保にした:幕末世情混乱の中の根無し草 ◇森林保護育成の提唱:造船には多量の木材が必要だから・・・ ◇技師長フランソワ・レオンス・ヴェルニー:横須賀市のページ(リンク) |