富岡製糸場 HP東善寺        富岡製糸場は横須賀造船所の妹
                         +  ほんとうの「幕末明治日本の産業革命遺産」は横須賀製鉄所


横須賀造船所のDNAが伝わる富岡製糸場 

世界遺産の富岡製糸場は
横須賀造船所の
「妹」
共通点は 蒸気機関の使用

▲赤いタスキに高草履が一等工女で、
給料は1円75銭、
3等工女は1円25銭という
能率給制度をとっていた。

 錦絵 「富岡製糸場勉強之図」 朝孝 筆   東善寺蔵
           ▲一等工女の頭上の歌額に注意
            明治6年(1873)に行啓した
            昭憲皇后(明治天皇の后・美子
はる)の歌
               
             
 いとぐるま  とくもめぐりて
          大御代の
          富をたすくる 道ひらきつつ


◆「糸車が速く回転して この国を富ませる道を開いている……」と歌っています。この回転の原動力は人力や水力ではなく、横須賀造船所と同様に蒸気機関でした。

◆美子皇后の歌の上には製糸場の大きな煙突が描かれています。煙突は蒸気機関のシンボルで、この歌に対応しています。

美子皇后が蒸気機関の力に感嘆し、それで大きな煙突が画面の上まで突き抜けた構図になっている。

現代人は富岡製糸場のシンボルを「東繭倉庫」の長い木骨煉瓦の建物と思っていますが、明治初年の人々の眼は煙突=蒸気機関に注がれていたことがわかります。
   

 群馬県には日本産業革命の地・横須賀造船所のDNAが伝わる大きな産業が二つある。
それは

富岡製糸場(富岡市・今は稼働していない)【横須賀造船所の妹】 

中島飛行機(太田市・いま富士重工・スバル)【横須賀造船所の弟】  の二つ。
 参照:中島知久平
(リンク)*左記のページで「機関学校」とあるのは「横須賀の海軍機関学校」のことです。
  

 世界文化遺産 に認定された群馬県の富岡製糸場は、その建設の最初から横須賀造船所のDNAを受け継いで建造された。富岡製糸場を日本の産業発達史の流れから理解するには、横須賀造船所との関連を知ることが大切。
パンフレット  ―富岡製糸場は横須賀造船所の妹―
日本近代化の源泉・横須賀造船所』
を作りました!
16p ¥400
 
制作発行:東善寺 2014平成26年8月

◇わずか50日で設計図完成横須賀造船所「ロープ工場(製綱所)」がモデル   
 
横須賀製鉄所の建設開始は慶応元年(1865)、建設費240万ドルで明治2年(1869)にほぼ完成しフル稼働に入る。
 富岡製糸場は明治4年(1871)に建設を開始し、建設費24万ドルで翌明治5年(1872)に完成した。

富岡製糸場の設計図は横須賀造船所の建築担当技師たちが描き、明治4年に技師の一人、建築担当技師のNo.3、バスチャンが冨岡に派遣されて工事を進めた。 
  バスチャンは横須賀から冨岡へ日本人大工10名位を連れて行った。書かれた設計図はフランス語、寸法はメートルだったから、普通の日本人大工には読めなかったのだ。
                  
                  ▲東繭倉庫 104m
 冨岡製糸場の設計図を50日という短期間に仕上げられたのは、横須賀造船所にモデルとなる建物「製綱所」があったから。 横須賀造船所の長い建物「製綱所」は「金ヘン」ではなく「糸ヘン」で、「ロープ工場」ということ。長さ300メートルもの板壁の建物だった。その後民間にもロープ工場が出来、品質も良くなったので明治21年に「製鋼所」は操業を停止し、のちに解体された。今になれば惜しかった!  
              *以下の絵図は「横須賀明細一覧図」明治16年 より

製鋼所  外観は富岡製糸場によく似ている。ただし、長さ約300m、板壁だった。
「横須賀明細一覧図」より(東善寺蔵)
時計塔 製綱所の先端の時計が日本人工員に時間順守・定時就労を習慣づけた
 
▲製綱所 季刊 「大林」47-造船所― より


▲製綱所は慶応2年から蒸気機関で稼働した。右がダイエー付近   
                                提供:安池尋幸氏
◇蒸気機関だから―煙突と水槽
 
 人類の工業の原動力は、人力―牛馬の力―水力・風力―蒸気機関 と進歩してきた。幕末の日本も水力まで。
…でも横須賀に大きな川はない。横須賀製鉄所は最初から蒸気機関を原動力としていた。富岡製糸場も蒸気機関をはじめから使った。蒸気機関は大量の石炭を焚き、水を熱湯に変える。煙突と水槽はそのためのもの。たんに「繭を煮るため」だけではない。


日本で最初に蒸気機関を据え付けた本格的な総合工場・横須賀造船所はまさに「日本の産業革命の地」であった。
▼横須賀造船所の煙突 
スチームハンマーによる鍛造、ドックの水の出し入れなど、すべての機械工作と操作が蒸気機関を原動力として操作された。そのための煙突。                    ▼
▼富岡製糸場の煙突と水槽 この版画も器械製糸の原動力・蒸気機関に注目した構図。水槽は初めレンガの四角い水槽。水漏れのためリベット打ちの鉄水槽に作り替えた。   
         版画「富岡製糸場」 東善寺蔵

▲3トン・スチームハンマーも平成9年まで石炭と水の蒸気機関で稼働した 横須賀造船所

▲現在は鉄の円形水槽  富岡製糸場
現在非公開です
 ▲ マザーマシン まずこのハンマーであらゆる工作機械を作り、次に工具や部品を作って、それから船の製作に入る。大元の機械だからマザーマシンと呼ばれた。
オランダ・ロッテルダム1865年製。重要文化財
 ▲ 鉄水槽は横須賀製鉄所に先駆けて幕末に設置された横浜製鉄所の製作で、明治6年に船体製作技術によるリベット打ちで作られた。
直径15m。
◇経営にも横須賀が影響
 
 建物や施設のハードだけでなく横須賀造船所も富岡製糸場も「フランス式の経営」を採用して、ソフト面もフランス人に任せた所に特徴がある。
 横須賀造船所では従業員の職場内学校として「黌舎・こうしゃ」が職工を育て、後に設けられた「機関学校」がさらに上級の技師を育てた。慶応元年の工事着工時から始まったフランス人の日曜休日制度が次第に日本人職員にも波及し、従業員の健康診断、年功給、有給休暇制度、複式簿記が採用され、日本近代化の先取りがされていた。

 それらは富岡製糸場の経営にも応用された。

 横須賀造船所も富岡製糸場も建物や設備のハード面だけでなく、このように経営のソフト面でもフランス式を採用したところに成功のカギがあった。

 じつは中国も横須賀と同じ時期に、やはりフランスの指導で横須賀と同規模の造船所「福州船政局」を建設したが、ソフト面で中国式を通したため、「福州船政局」は現在でも小規模な造船所である。
黌舎 仏語で数学、物理など教え、のちの造船大国を生み出す職工を育てた。隣の「醫室」で医師サバティエが医療のかたわら、日本の植物調査を行い、フランスから持ち込んだサクランボ、ブドウ、イチゴなどが各地に広まった。 海軍機関学校  ゼロ戦のエンジンを製作したことで知られる中島飛行機を興した中島知久平など、全国から優秀な若者が学んだ。東大工学部生もここで1年の実地教育を受けた。
  ▲朝日新聞平成26年9月20日群馬版
「ぐんまシルク紀行」で紹介されました。
  問題は
中学・高校の歴史教科書で、上記のような幕末に建設が始まった横須賀造船所の価値を認めず、日本近代化の例として明治以後の八幡製鐵所や長崎造船所、富岡製糸場だけあげて、「日本の近代化は明治政府が進めた……」と教えていること。 
参考ページ…咸臨丸病の日本人 も関連しているように思う。
 
ほんとうの「幕末明治の産業革命遺産」は横須賀製鉄所

      **横須賀製鉄所を欠いた**
 政府の「明治日本の産業革命遺産」
     世界遺産登録運動
は不可解
                                 2015平成27年5月
 2015平成27年5月6日

 5月4日、イコモス(国際記念物遺産会議)が日本政府が進める「明治日本の産業革命遺産-製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業-」を登録するよう勧告した、というニュースが流れた。マスコミも一斉に大きく報じている。

 しかし、あげられた23候補地を見ると、横綱が欠けた相撲興行の感を否めない。なぜ横綱(横須賀製鉄所)を落としたのか。
 

【以下の表の 1原動力、 2設立年 をチェックしてみよう】
◯1,
産業革命の基本は蒸気機関を原動力とする、は中学生も知っていること。
候補に挙げられた施設の中で水力を原動力とするものを「産業革命遺産」にあげるのは不適切であろう。先人の努力は認めるが「近代化の努力遺産」とでもすべきものである。

例:薩摩の島津斉彬公が進めた近代化の遺跡「集成館」についていえば、幕末によくぞこれだけのことをしたと感心するが、反射炉が途中で挫折したのは、
原動力を水力に頼らざるを得なかったから、→十分な風力が得られず、→溶鉱炉を高温にできなかったので→生産性に欠けた。

例:幕末に大炮の製造で空洞をくり抜くのに、水力で一昼夜かかって30㌢しか開けられなかった。

当時の日本人の努力を否定するものではありませんが、日本の実情は残念ながらここまでだった。

◯2,
明治以前に蒸気機関を据えた本格的な産業工場はどこか。

間違いなく   日本で最初に
本格的な蒸気機関を据えて原動力とした総合工場は横須賀製鉄所
慶応元年に着工、慶応2年に完成した製綱所(日本最初のロープ工場)は蒸気機関を原動力次稼働し、1869明治2年にはほぼ(ドックは未完成)全施設がフル稼働している。

昨年世界遺産・国宝に認定された富岡製糸場は横須賀製鉄所の影響を強く受けて1871明治4年に着工、明治5年から稼働していることは上記の通り。

*もともとの横須賀製鉄所はたんなる「軍艦製造所」ではない。明治以後の政治が海軍専用工場とし、軍港化していったもの*

  
■ 政府が進める「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産
       
候補地( 23施設)         下記の1,2は村上泰賢が追加
                                   空欄は調査中
構成施設 所在地 1原動力 2 建設年
萩反射炉  *試験炉で非実用 山口県萩市 水力 1855安政2年
恵美須ヶ鼻造船所跡 1856安政3年
大板山たたら製鉄遺跡 足踏みフイゴ 江戸中期~
萩城下町  ―  ―
松下村塾  ―  ―
旧集成館 鹿児島市 水力 1852嘉永5年~
寺山炭窯跡  ー 1858安政5年
関吉の疎水溝(集成館の原動力) 水力源 1852嘉永5年
韮山反射炉 静岡県伊豆の国市 水力 1854安政元年~1858安政5年
10 橋野鉄鉱山・高炉跡 岩手県釜石市 水力 1858安政5年
11 三重津海軍所跡 佐賀市 1858安政5年
12 小菅修船場跡 長崎市 蒸気機関 1869年1月(明治元年12月)
13 三菱長崎造船所第三船渠 蒸気機関 1903明治36年
14 三菱長崎造船所
ジャイアント・カンチレバークレーン
蒸気機関 1909明治42年
15 三菱長崎造船所旧木型場 1898明治31年
16 三菱長崎造船所占松閣 1904明治37年
17 高島炭鉱 蒸気機関? 1868明治4年
18 端島炭鉱 蒸気機関? 1890明治23年
19 旧グラバー邸  ― 1863文久3年
20 三池炭鉱、三池港 福岡県大牟田市
熊本県荒尾市
 ― 1901明治34年~1908明治41年
21 三角西(旧)港 熊本県宇城市  ― 1887明治20年
22 官営八幡製鐵所 北九州市 蒸気機関 1899明治32年
23 遠賀川水源地ポンプ室 福岡県中間市 蒸気機関 1910明治43年
     参   考    
 横須賀製鉄所(造船所)  横須賀市 蒸気機関 1865慶応元年着工~慶応年間に順次稼働~1869明治2年ほぼフル稼働
 富岡製糸場(世界遺産)  群馬県富岡市 蒸気機関  1872明治5年
                          
◯司馬遼太郎が
「横須賀はかつて日本近代工学のいっさいの源泉だった」(『三浦半島記』)と見抜いたのはこの 1,蒸気機関であること、 2、早期性 を指している。

日本の近代化は明治以前の幕末に始まっていたことがわかる。

【不可解】
◯1,なぜはじめのタイトルが「明治日本の産業革命遺産ー九州・山口と関連遺跡ー」だったのか。
このサブタイトルは露骨でまさに「明治の薩長政府が日本の近代化を進めた」と強調したいがための「九州・山口」ではないか。

◯2, なぜ「萩城下町」「松下村塾」「グラバー邸」が産業革命遺産になるのか。

 当初は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」推薦運動が先行していたのを政府が抑えて、「明治日本の産業革命遺産
―製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業―」を優先させたという。
 候補地23の施設に含まれる「松下村塾」や「萩城下町」、「グラバー邸」からからどんな「製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が生まれ、なぜ産業革命遺産になるのだろう。どうこじつけても、不可解。

◯3,明治の産業革命を進めることができた背景に
260年間戦争をしなかった江戸時代に日本人が培った学問教養文化」
がある。
例:当時の日本は識字率8割の(いまでも)驚異的な国だった。

 それが→→明治以降~昭和20年敗戦まで77年間、日本は戦争続きの國だった→→昭和20年以降~現在まで70年間、日本は戦争をしない國だった。だから東日本大震災のあの悲惨な大災害にもなんとか耐えられた。どこかの国と戦争中だったら災害支援などできなかったろう。→→これから日本はどこへ。


◯4,中学高校の歴史教科書でも「工業の近代化」は長崎造船所や富岡製糸場まで。 

 お子さんやお孫さんの中学高校の歴史教科書や副読本をご覧ください。いまだに横須賀製鉄所が欠落しています。


◯5,このようなずさんな世界遺産候補地がそのまま通るとしたら、「ユネスコの世界遺産」も品位と価値が疑われるものになる。
    
   今回の世界遺産について事情通の方から
 次のような解説がありました。
2015平成27年5月(転載)
 
 … 今回の登録の発端は「九州・山口の近代化産業遺産群」として、地元自治体が文化庁の応募にこたえ運動を始めたものです。が、運動が進んだ ところで、急きょ全国規模に広げ、名称を「日本の近代化遺産群-九州・山口及び関連地域」とし、内閣官房が主導することになりました。

 その後、推薦段階では「明治日本の産業革命遺産-九州・山口及び関連地域」となり、最終的には「明治日本の産業革命遺産―製鉄・鉄鋼、造船、石炭 産業―」となりました。運動を進めた地元自治体は、トンビに油揚げをさらわれてしまったわけです。

 そのトンビが、先の戦争を賛美し日本の軍事大国化をねらう安倍政権だったわけです。ですから、名前に冠した「産業革命」とは無縁の松下村塾や萩城 下町がはいったり、蒸気機関を使う工業化とは関係ない資産が入ったり・・・と矛盾だらけの世界遺産になってしまったわけです。ちなみに松下村塾や 萩城下町は安倍首相の地元である山口県にあります。

 さらに、昨年の「富士山」の登録に注文がついたり、「武家の古都・鎌倉」が無条件に落選させられたのとは真逆で、すべての構成資産が無条件で登録 されることになったことから、安倍政権のかなりなテコ入れを感じざるを得ません。

 事前予測では、産業革命遺産とは無縁のものがある、産業革命でくくるには時期的な問題がある、軍艦島のように保存に値しないものがある・・・など 等、多くは登録勧告がでたとしても相当な注文がつくのではないかというものでした。

 真相はわかりませんが、ユネスコの世界遺産事業そのものに疑問符を付けざるを得ないことになってしまいました。
 小栗ファンのM氏から次のような情報がありました。
2015平成27年6月16日(転載)
       「産業革命」の語源から
 今回の遺産登録が、三菱財閥設立の学校を卒業し長州を地盤とする政治家に、あまりにも諂(へつら)ったものであることを恥ずかしく思っています。
 
 およそ「革命」という言葉を嫌う人たちが、産業革命と安易に口にするのはその真意を知らないからで、不勉強の謗(そし)りは免れません。
 
 多分、産業革命=「技術革命」と思い込み、もう一つの側面に「社会革命」があったからこそ「産業」と名付けられたことに、疑いも持っていないからと思われます。
 
 私の知っているところでは、“Industrial Revolution”のindustrial(形容詞)は、名詞のindustry(ラテン語のindustriaが語源で、勤勉、熱心の意味)がもとですが、古くからあった形容詞のindustrious(勤勉な、熱心な)では、人力→機械化=工業化という時代の変化を表現するのに相応しくないのでindustrialという新語が考え出されたということです。
 
 industryが工業の意味にも使われるようになったのは後になってからで、産業革命の少し前に出版された国富論の中でアダム・スミスはindustryを全て勤勉、勤労の意味に使っています。その形容詞industriousは industrious people、industrious poor(勤勉な貧民、勤労貧民) という使い方で、industrialは出てきません。
 
 水力利用の自動織機、蒸気機関、鉄道などの発明による技術上の変化は、一方で、労働者階級の窮状、労働組合の結成、社会主義の勃興などという社会上の変化を引き起こし、それらがあまりにも急速であったためrevolutionという激しい語が使われ、「技術革命」+「社会革命」=「産業革命」と名付けられたわけです。
 
 産業革命発祥の地イギリスでは、これを至上主義とするのみでなく、マイナスの側面も評価した議論(論文、著書など)がたくさんあります。
 どうも最近の日本では明治維新にしろ、戦後の経済復興にしろ、プラスの側面の評価に片寄り過ぎているようで、今回の遺産登録に対し韓国が異を唱えているのはマイナスの側面があの人たちに極端に表れているためと思われます。
 
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