小栗上野介(東善寺)     朝倉文夫の彫刻作品二つと小栗上野介胸像物語



高崎市倉渕町に―――
朝倉文夫の彫刻作品二つ

日本を代表する彫刻家の一人といわれる朝倉文夫の作品が高崎市倉渕町に二つある。
磯村産業の創始者磯村音介の立像と、横須賀市から贈られた小栗上野介の胸像である。


磯村音介像

倉渕町岩氷字大平(おおだいら)地内 磯村産業株式会社所有地
*訪ねる時は磯村産業の許可を得て、地元民の案内で訪ねてください。
深い山の中のわかりにくい場所です
「英偉なる識見を以て常に我邦実業界に先駆し寛仁よく士を遇した人物の生誕百年を記念し有志相謀ってここにその像を建て風姿を将来に伝える 翁願わくは永く上州の緑に憩ひ国家と子孫の歩みを見守られんことを 昭和41年4月除幕 制作者 朝倉文夫  磯村音介翁顕彰会 」
磯村産業は角落山(つのおちやま)山系一帯の山林を所有し、山林業も手広く行なっている。木材不況の現在でも、管理人と作業班が大平を基地として水源涵養保安林と一般林の管理に当って貴重な烏川水源の山を守っている。晩秋に訪ねると、わずかに残ったモミジの赤が鮮やかだった。
彫刻マニアは「なんでこんな山の中に…」というかも知れないが、「上州の緑に永く憩う」ことを願った、子孫の願いにふさわしい場所と思える。
小栗上野介胸像物語


朝倉文夫制作  高崎市倉渕町権田 東善寺境内
     【はじめ横須賀市で】
大正4年9月、横須賀海軍工廠創立50周年祝典が行われ、大隈重信総理大臣の代理が「小栗上野介が幾多の困難を乗り越えて着工…」と挨拶、小冊子『横須賀海軍船廠創設の由来及びその発達の梗概』と『小栗上野介末路事績』が配布され、ヴェルニーと小栗上野介の功績と、小栗上野介が西軍に斬殺される経過がおおやけになった。
これによって、海軍工廠の職工の間から幕末当時のフランス人技師たちと日本人たちの苦難と功績をたたえる胸像建立の声が起こり、フランス人を代表して技師長ヴェルニー、日本人を代表して小栗上野介の胸像建設が市をあげての運動となって募金が行われた。貞明皇后からの御手許金も寄せられた。西軍が小栗忠順を殺した手前、天皇や政府の名では出せなかったということであろう。

参考:(『小栗上野介末路事績』は倉渕町岩氷出身の文筆家塚越芳太郎・停春楼が執筆。塚越はほかに尾崎行雄の依頼で『東京市史稿』の刊行を開始し、死後の現在も刊行が続いている。)

除幕式  右:胸像前の袴姿が小栗又一 左へ4人目が朝倉文夫(ヒゲ)
左:ヴェルニー胸像の前、二段め左から二人目はポール・クローデル仏大使(白い袖)
    【胸像建立】
大正11年9月、横須賀市で彫刻家朝倉文夫、小栗又一(孫)、三枝守冨(大隈綾子の兄)や市・海軍関係者の参列で、胸像除幕式が行われた。昼は旗行列、夜はチョウチン行列や余興が何ヶ所も行なわれにぎやかであった。
     【以後、市では毎年お祭り】
式典を契機に横須賀市では毎年祭りを行うようになった。
▲上の画像は昭和10年の祭風景で、台車に載せられた大仏のように見えるハリボテの武士が小栗上野介と言われている。もちろん朝倉文夫の作品ではないが、現代のオグリン(上:ペリリンとオグリン▲)のハシリと思えばたのしくなる。
 【胸像受難と戦後の再建】
第2次大戦中、鉄が不足した日本は全国の寺社の梵鐘・鉄・銅器類や橋の欄干から、家庭の鉄瓶まで供出を命じ、小栗・ヴェルニーの胸像も供出となった。じつは安政6年(1859)9月にも、幕府は全国の寺社に新たに銅鉄で仏像・仏具を製造することを禁じている。日本は昔から鉄が少ない国だったのだ。

市では代わりに型どりしたセメント像を造って据えていたが、敗戦後の落ち着きを得て、新たに内藤春治芸大教授によって小栗上野介とヴェルニーの像を制作し、ドックの対岸の臨海公園(いまヴェルニー公園)に据え、昭和27年(1952)9月27日(小栗上野介の死後84年目)除幕式が行われた。
式典に参列した曾孫の小栗忠人・洋子兄妹と倉田・烏渕村関係者の記念写真が下の画像。

 
真ん中の小栗洋子さんの口元が小栗上野介にそっくり、と評判になった。
その右が曾孫の忠人氏(学生服姿)

【市から村へ】
外されたセメント像は東善寺前住職村上照賢の働きかけで横須賀市から倉田村(のち倉渕村)へ贈られ、東善寺境内の小栗上野介の墓前に据えられた。現在の小栗上野介胸像である。2年後に吉田直・元海軍建築局長の遺志で建立寄進された小栗上野介の盟友栗本鋤雲の像とともに並んで、往時を語り合うかのようである。



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小栗上野介の言葉「幕府の運命、日本の運命」


栗本鋤雲の像の原型は御蔵島に
朝倉彫塑館:朝倉文夫の作品を収蔵する 日暮里駅下車です
朝倉文夫記念館:出身地大分県朝地町の記念館