東善寺HP  御蔵島の旅-1    小栗上野介の盟友・栗本鋤雲を訪ねて


小栗上野介の盟友・栗本鋤雲を訪ねて
〈小栗上野介の史跡を歩く会〉
巨樹とイルカの島
御蔵島の旅 (1) 石膏像を訪ねて

東善寺境内の栗本鋤像の原型となった石膏像が、東京都御蔵島村にある。

◆平成17年11月に、御蔵島の栗本一郎さんが、島の文化財調査の一環で「群馬のお寺にあるという栗本鋤雲の胸像」を確認においでになった。これを勝縁として、以前から御蔵島へ石膏像を確認に行きたいと願っていたので、「小栗上野介の史跡を歩く会」で御蔵島の石膏像を確認に出かけた。

2006平成18年5月25日(木)~27日(土)・参加者9名
◆25日 早朝群馬発=羽田~(JNN)~八丈島~(ヘリ)~御蔵島
 島で巨樹・イルカなどのツアー・史跡探訪・石膏像拝観・小中学生に 講話「栗本鋤雲と御蔵島+小栗上野介」
 27日 午後御蔵島発…船…三宅島…竹芝桟橋=群馬


▲栗本鋤雲の石膏像
この像を確認したくて御蔵島を訪ねた。
 制作者は「山口駿河守の養子」といわれている。島の子供たちは石膏像を「白ん爺・シロンジイ」と呼んで怖がっていた。たしかに壁の奥からこれが出てきたら、いささか不気味だ。



東善寺境内の
栗本鋤雲像
▲東善寺境内の小栗上野介胸像と並んでいる
◇吉田直(のぶる・元海軍建築局長)は、横須賀製鉄所建設に現場責任者として才覚を振るった栗本鋤雲の業績を小栗上野介と並んで顕彰すべきと考え、私費による胸像作成を発案。横須賀市内への設置を働きかけるも当時の市当局の理解を得られず、東善寺境内の小栗上野介胸像の隣に設置することになる。

◇昭和30年1月28日吉田直は病気で急逝。遺族が遺志を継いで制作は続行される
◇ 同 4月17日(?)の船に御蔵島の栗本惣吉の手配で、石膏像が積み込まれた。
◇ 同 5月7日彫刻家牛越誠夫のもとに着く。(牛越は複製作業を開始)
◇ 同10月13日、完成したセメント像の栗本鋤雲像を東善寺境内に据え付ける。

◇昭和31年5月6日、栗本鋤雲胸像を除幕し披露
                       〈以上、東善寺蔵の書簡類で確認〉

横須賀市の
栗本鋤雲像

栗本鋤雲(左)  小栗忠順(右)
横山和夫横須賀市長は開港の恩人栗本鋤雲の胸像を市内に設置して顕彰することを決意し、昭和60年に東善寺境内の栗本鋤雲胸像から複製をして、自然人文博物館前庭(横須賀市深山台)に小栗忠順像(朝倉文夫制作)と並べ、建立した
        ◆これで栗本鋤雲の像は計3基となった
➀御蔵島(石膏像・原型)
②東善寺(セメント像)
③横須賀市(酸性雨の浸食を防ぐため黒い塗装が施されている)



御蔵島へ入る 
羽田~八丈島へ飛び、八丈島でヘリコプターに乗る前に計量。 荷物は一人5キロまで 全員パス ヘリは9人乗り 八丈島から北へ戻るように飛んで、たちまち御蔵島の海岸が見えてくる。
   
 途中、足元の海に黒い塊がいくつも見える、あとでそれが黒潮だと聞いてナットクした。 
東京から南へ200キロ
お椀を伏せたような島、という形容にふさわしく、周囲は太平洋の荒波に削られ、切り立った断崖が囲む。役場前のテラスのように張り出したヘリポートに着陸した。前方は三宅島
 
御蔵島
人口280人前後 もとは火山で出来た島だが、有史以来噴火の記録はない。古くは縄文遺跡の土器が出土し、江戸期には流人も送られてきた歴史がある。
 
   
現在は、たくさんの若者がイルカウオッチングに訪れ、また島に残る自然や巨樹を探訪するトレッキングでも知られて、春から秋までのシーズン、狭い島が活気に満ちる。 
 ◇島への渡航  ①定期船が毎日夜東京竹芝桟橋を出航、朝三宅島~御蔵島~八丈島へと運んでくれる。  ②飛行機で羽田~八丈島~ヘリで~御蔵島  
*注意:宿の予約をしてない人は島に上陸滞在できない。(小さい島で荒天が続くと食料危機が起きる)
栗本鋤雲(石膏)
   祖霊社前で栗本鋤雲の講話  
           栗本鋤雲
(石膏)がこのお堂の中に納められている
 祖霊社の境内で、御蔵島小中学校の生徒と先生が「栗本鋤雲と島と小栗上野介」の話を聴いてくれた。ここはもと浄土宗万蔵寺が明治以後の廃仏棄釈で祖霊社というお堂となって残り、その奥の扉を開けると石膏像がしまわれていた。
御代が池入口▲ 栗本鋤雲は島に来た客が退屈しないようにと自宅の池の鯉を島に贈った。船で運び、小舟で島に上げて、どうやってここまで運んだのだろう。案内してくれた一郎さんは「中学生のころ釣りに来た」と語る。
少し登って急に下り
霧が深くて写真にならない。
あきらめていると、霧の中でバシャンと魚のはねる音がした。たしかに鯉がいる
!
御代(みよ)が池  鋤雲は島人の相談に応じて、暮らし向きがよくなる手立てをあれこれ考え援助を惜しまなかった。その素地は箱館時代の鋤雲の活躍にうかがうことができる。そして自邸の池の鯉を与え、島の御代が池に放流させた。今もその鯉が代々生き続けている。また養嗣子秀二郎は、経営する病院から島へ医師を派遣し続けた。洋館の診療所が祖霊社の隣にあり、三宅島や遠く伊豆大島からも診察を受けに来たという。
ヴァイキング号漂着
ヴァイキング号(1400㌧)
1863文久三年六月四日、難破して御蔵島に漂着。アメリカへ運ぶ途中の乗組員23人、雇用の中国人460人を全員無事に島人が救出している。  絵は島の教育長室で撮影
錨・イカリ
稲根神社に残されている。大小二つあったという。保存の手立てをしないと、潮風で錆び痩せてゆき、消滅する恐れがある。
   
 燈籠 稲根神社境内
台座をよく見ると四角い穴がいくつもある。バイキング号のキャプスタンcapstanを利用したもの。(穴に棒を差し込んで数人で回し、錨を巻き上げる)
 高橋基生博士顕彰碑
稲根神社境内 ヴァイキング号の歴史を世に出したこと、御蔵島が亜熱帯地域でありながら北アルプスに見られる植物もあるなど、貴重な植物相の島であることを調査発表して、島の人々に大きな影響を与えた。
「西洋黒船漂難一件記」
当時31歳だった島の書役栗本市郎左衛門(のち一郎)が、米船の乗組員や乗客救出の先頭に立って処理し、後に事実をまとめた貴重な記録
◆近刊で『西洋黒船漂着一件記』高橋基生・ノーベル書房・昭和44年 /小林咳一『文久三年御蔵島英単語帳』平成10年・小学館  がある

バイキング号の歴史発見のキッカケはこの石
 民家の石垣に御蔵島にはないはずの花崗岩に気づいた高橋博士は、島の伝承からバイキング号の歴史を掘り起こした。石はバイキング号の船底のウェイト(重り)だった。

 戦後、米軍が御蔵島を空爆の演習地(全員立ち退きで射的の島)に計画した時、米国船員救出の島の歴史をアメリカ市民に訴えた。アメリカ側の事情も変化してこの計画は中止となった。
東京都移管100年記念碑
幕末まで天領だった伊豆諸島が、明治1年以来の東京都移管100年を記念する碑 昭和53年
おいしかった!
美美庵・みんみんあん」のホウロクヤキの元祖焙烙
ホウロクが柱に吊るしてありました。
お宿にしかわでは、食べきれないほどの魚尽くし。
純米酒・純米吟醸酒
水を生み出す巨樹の島

御蔵
(みくら)
初めて訪ねる御蔵島。どんな酒が飲めるか気がかりで、特製ラベル「御蔵」を考えて手書きデザインし、牧野酒造で「馥露酣」に貼り付けてもらって、「馥露酣の御蔵島バージョン」として前もって宿「にしかわ」
に1ケース送っておいた。
 宿でおかみさんに持込料がわりに一本上げたら、「アラ、おいしい!」
 オヤジさんも気に入って「西川商店」で売りたい、と我々が飲んでる最中に牧野酒造に電話して、商談成立。

 
今では島の酒として認知され、いい酒は冷やして飲むが普通になった

群馬県内でも入手困難な銘酒「馥露酣・ふくろかん」が御蔵島で飲める.
「にしかわ」商店で買えます
本格米焼酎
御蔵島、巨樹の森を育む
樹雨(きさめ)・

牧野酒造の本格焼酎が島の酒として発売になりました
「にしかわ」商店で買えます


樹雨とは…島にぶつかった気流が山に沿って上昇し霧となって木の枝葉からしたたり、御蔵島を豊かな水と巨木の島に育てている。枝葉から降る雨だから「樹雨」  
 :命名者は平岡忠夫(全国巨樹巨木林の会・奥多摩)・ラベルの書は村上泰賢

巨樹の島 御蔵島の酒

  純米酒 御蔵(みくら)    本格米焼酎 樹雨(きさめ) 

 

(しろ)(じい)」の栗本鋤雲(じょうん)はやさしいおジイ

明治の頃に 訪ねた島人を気持ちよく迎え

島の暮らしの あれこれを手助けし

御代(みよ)が池に鯉を贈った

病院からはお医者様が 島へ送られ

病の苦しみを救った

 

シロンジイの像は 門人犬養(いぬかい)(つよし)

鋤雲に贈った プレゼント

鋤雲は島へ置いてくれと島人に渡し

祖霊社にしまわれた

 

シロンジイから 

東善寺の像ができ 

東善寺の像から

横須賀市博物館の像が出来た

 

御蔵島 東善寺 横須賀市

どこの像もみんな シロンジイは

やさしく 日本を見つめている

いい国になれと 見つめている

         文と酒ラベルの書 小栗上野介の寺・東善寺 村上泰賢

 

関連ページ:
栗本鋤雲の事績 
栗本鋤雲と御蔵島(リンク・雷神)…胸像の原型となった石膏像を訪ねる門前の小僧さんの旅
御蔵島名物・美美庵(みんみんあん)(リンク)…小栗上野介・栗本鋤雲ー横須賀ー富岡製糸ー御蔵島のつながり
御蔵島の純米酒「御蔵・みくら」(宿「にしかわ」へリンク)
御蔵島の酒(リンク)
御蔵島の旅人(リンク)


■朝日新聞 2006.06.22 御蔵島の『ほうろく焼き』 (リンク)
■朝日新聞 2006.05.31 御蔵島との交流(リンク)
■朝日新聞 村消えても続く交流(リンク)