栗本鋤雲の事蹟・箱館 (HP東善寺) ●● 函館の旅・栗本鋤雲の事蹟を訪ねて |
函館の旅 -栗本鋤雲の業績を訪ねて- |
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函館・市内の史跡めぐり |
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◆2016平成28年9月26日(月)~29日(木) |
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安中榛名駅09:06―大宮駅で乗り換え、北海道新幹線はやぶさ11号6号車に座っているだけで新函館北斗駅に着く。函館本線に乗り換え15分で―14:06函館駅。ぴったり5時間、便利だけど、♫あアア、ア~ 津軽海峡冬景色~…の情緒はまったくない。 函館元町ホテルのオーナー遠藤氏(東善寺「たつなみ会」員)が出迎えて、ホテルに入る前にとりあえず市内の手近な史跡をガイドしてくれる。雨続きの関東から来ると、きれいに晴れた空、爽やかな空気が気持ちいい。 |
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▲旧ロシア領事館 対馬事件の時にゴシケービチ初代領事はここではなく、1860万延元年に実行寺からハリストス正教会境内に移った領事館にいた。 | |||
▲新島襄乗船の地 ここからアメリカへ密航した。 新島は武田斐三郎の学問所「諸術調所」で学ぶため箱館に来たが、入れ違いに武田は江戸へ移っていたので、新島は渡米することになる。運命の転変。 | 対馬事件は初めロシア海軍大臣コンスタンチン~リハチョフ提督~露艦長ビリレフの海軍筋が惹き起したもので、外務大臣ゴルチャコフは高見の見物だったからゴシケービチ領事にとっては寝耳に水の事件だった。 | ▲ロシア人墓地(ハリストス正教会=新島襄渡米を支援したニコライがいた)があって 中に入ると対馬事件を惹き起したポサドニク号の乗組員の墓が六つもあった。 | |
▲ロシア人墓地 ポサドニク号水夫の墓が六つもある。没年はすべて1862文久二年で、対馬から退去した翌年になる。月日も異なるから、伝染病とも思えないが…。2番めの大きな墓石は、▲同じ日に死んだ二人(26歳と28歳)の水兵の名が彫られている。一人は溺死とある。何があったのだろう。嘆いた母親がロシアから運んだ石だという。母の嘆きの深さを表すような墓だった。 右は▲1864年9月に亡くなったゴシケービチ領事の夫人(43歳)。 | |||
▲裏面 「明治辰巳實有此事 立石山上叺表厥志」(叺は口+人…以て、か) 「明治三年、此の事は実際にあった 山の上に石碑を建てその志を明らかにする」といった意味であろうか。「賊軍の慰霊などもってのほか」とする新政府の意向を憚って婉曲表現したことがわかる。 |
▲柳川熊吉翁寿碑 請負業の柳川は、「賊軍の慰霊をしてはならない」という明治新政府の指示で各所に放置されていた遺体を集め、明治4年、ここに土地を求めて明治8年に旧幕府軍戦死者約800名慰霊の碧血碑を建てた。 大正2年熊吉の米寿を祝いその義挙を称える寿碑がこちら。 |
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▲碧血碑(へっけつひ) 「忠義を貫いて死んだ者の血は、三年後に碧玉となる(「荘子」)」という話から命名。函館八幡宮の正面を左に入って妙心寺前を過ぎて草地に駐車し、さらに細道を上ったところにあった。これは地元の人でなければ簡単に来られない。 碧血碑からそのまま細い道を進むと石川啄木一族の墓がある立待岬に出た。さすが、遠藤氏による地元のガイドは強い。 |
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▲石川啄木一族の墓 立待岬は高校生の頃からあこがれの場所だった。隣の墓地は啄木を函館に迎えて最後まで世話をして尽くした義弟で歌人宮崎郁雨一族の墓があって、郁雨の啄木に寄せる敬愛の心情がそのまま伝わる思いがする。 | |||
▲函館市立病院 本来医師である栗本鋤雲が設けた「医学所」が始まりで、いまは立派な病院となっている。 | ▲栗本鋤雲の居宅跡 船見町の上のあたり、現在は雑木林になっている処、▲と箱館の外国人居留地研究会で調査してくれた。ここから箱館奉行所(いまの元町公園)に通勤していたらしい。仏人宣教師カションと日仏語の交換教授でフランス語を習得したのもこの頃。 | ||
サラキ岬の咸臨丸終焉の地(木古内町) | |||
▲サラキ岬の咸臨丸終焉の地 明治4年9月20日、岬の沖で暗礁に乗り上げて沈没。 函館から228号線松前街道を南西へ約40分。木古内町のサラキ岬は道路脇の草地のちょっとした広場で、あちこちにハマナスの実がなり、花も幾つか残っている。咸臨丸の立派な模型が置かれ、目立つ。標示の掲示板もよくできていて、ここには万延元年に渡米した説明に「木村喜毅が副使」とは書いていない、正確な記述だった。 町役場を訪ねて、観光係にプリント版「小栗上野介情報」65号を「ご参考までに」と渡してくる。 小栗上野介が対馬事件で対馬へ渡るときに乗船したことも書かれていたが、「小栗豊後守」を「豊前守」としたミスはご愛嬌。 |
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七飯町に幕末・栗本鋤雲の事蹟を訪ねて |
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▲赤松街道 箱館から七飯町への国道5号線は峠下まで「赤松街道」となっている。北海道にアカマツはなかった。栗本鋤雲が佐渡から種子を取り寄せ七重村御薬園に蒔いてできたアカマツの苗を、明治9年(1879)明治天皇の行幸を記念して御薬園地から運んで植栽したもの。「日本の道百選」として守られている。御薬園の功労者は吉野鐵太郎という。 | ▲ツリバナ 赤松街道の脇にマユミの仲間のツリバナが実をつけていた。 | ||
▲峠下まで赤松街道 最後は大沼への峠下地区まで続いていた。明治天皇が来たのがここまでなので、この先は植えなかったという。 | ▲アカマツ 峠下国道から少し北に入った「古峠の庚申塚」にも1本あった。 古峠とは、明治6年に我が国最初の本格的な西洋式馬車道札幌本道が完成する以前は、こちらが本道だったということかー。 | ||
▲七飯町歴史館 町の歴史を伝える立派な展示がされている。 箱館奉行所に勤める栗本鋤雲は八王子千人同心の子弟を入植させて半農半兵の開拓民とし、定着を図った。屯田兵のハシリ。 その栗本鋤雲の業績もきちんと展示されている。 初代館長清川清悦さんは農家から集め馬小屋に収納していた開拓当時の古道具を町に寄贈し、それが元になって歴史館ができたという。夜逃げする農民に「買ってくれ」と泣きつかれて買い取った農具もあって、そういう資料は見るたびに涙が出る道具だという。 | |||
▲久根別川 七飯町歴史館の初代館長清川清悦氏を清川美術館に訪ね、アトリエで話を聞いたあと、栗本が浚渫させて舟運が通じるようになった久根別川を案内してもらう。長万川との合流点はかなりの水量で、流れが意外に速い。ゴムボートで実験したら、40分で函館に着いたという。箱館へ七重村開拓民の米・野菜や木炭を運び、帰りは魚や町の屎尿を、岸伝いに馬で引かせて運び、肥料とした。それまで箱館町民は屎尿を海に捨てて「箱館の魚は食えない」と言われていたのが、きれいになって両方から喜ばれた。 |
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箱館戦争の史跡 |
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■鷲ノ木海岸上陸地 七飯町から峠を越えて大沼方面~森町に入ると旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三らが上陸した鷲ノ木海岸に着く | |||
▲鷲ノ木史跡公園 国道5号線沿いに小さな神社があり、奥が整備された公園になっている。解説板に上陸の様子がかかれている。 |
▲海岸への案内に従って下りる。下に函館本線の線路があって、線路に従って民家の前を通り、線路のガード下をくぐると海岸に出た。この民家あたりが旧道で、上の5号線は新しい道路ということになる。 海岸に立つ「旧幕軍 榎本武揚・土方歳三之鷲ノ木上陸地」標柱がすぐに目につく。 |
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▲鷲ノ木海岸上陸地 「明治元年(旧十月二十日)積雪のこの地に上陸す」と標柱にある。右手に駒ケ岳を望む寒々としたこの内浦湾の海岸に2,000人の兵士が雪を踏んで上陸した。 ・なぜ直接箱館に上陸しなかったか。当時の箱館はすでに国際開港地で各国の外交官や商人、その家族などが居住していて、もし、上陸を阻む松前藩士と戦闘になると、外国人に被害が及んだ場合、その後の蝦夷共和国建設に支障事態となることを避けたという。オランダ留学で国際法を学んだ榎本らしい気配りといえる。 |
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明治元年十月二十日に上陸すると ■大鳥圭介隊は 森~大沼~赤井川~峠下~五稜郭へ進む ■土方歳三隊は 森~砂原~下海岸~南茅部~川汲峠~湯の川~五稜郭へ進む 二十四日新政府側の清水谷公考以下は五稜郭を出て青森へ敗走した。 二十六日松岡四郎次郎隊は五稜郭へ入城した |
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■峠下戦の墓地 鷲ノ木海岸から箱館を入る旧幕府軍を阻止しようとした松前藩との戦いから箱館戦争が始まった | |||
▲峠下戦跡戊辰役勃発之地 箱館めがけて進む大鳥圭介隊と新政府側についた松前藩士との最初の戦闘が、峠下で起こった。 大沼へ越える旧道の峠道下、畑の先の林の手前に墓地があった。十月二十三~二十四日にかけての戦闘で7~8名の若者が戦死し、ここに葬られている。 | |||
■箱館の町での戦い | |||
▲中島三郎助父子戦死之地 浦賀の与力・ペリー来航の時最初に応対した・長崎海軍伝習所第1期生~同操練所教授方・造船に熱心で米艦に入ると隅々まで探求した ・新政府軍の降伏勧告を拒否して息子二人とともに壮烈な最期を遂げた ・辞世の句「ホトトギスわれも血を吐く思い哉」 ・のちこのあたりの町名を中島町と改めた ・ちょうど町内会の人たちが花壇の手入れをしていた ・忙しい旅だが、ここだけはぜひ訪ねたい場所だった。 | |||
五稜郭 洋学者武田斐三郎の設計による。と言ってもオランダ・デンマークなどにも同型の城砦があるというからオリジナルではないが、原野に水を引いて堀とし、これだけの砦を設計建設した学識と技術に感服する。 武田は後に江戸に戻り、小栗上野介が手がけた中小坂鉄山開発のため、調査分析をして「いい磁鉄鉱が取れる山」と報告している。小野友五郎とともに幕末の小栗上野介の近代化路線を支えた人物。 | |||
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