アメリカ講演の旅  ● サンフランシスコで小栗上野介を語る



アメリカ講演の旅-1 サンフランシスコ
                                −2 ロサンゼルスはこちらをクリック
1860・遣米使節小栗忠順の旅―
幕末の日本はアメリカから何を学んだか」 村上泰賢
2009平成21年6月16日〜26日 
成田〜シアトル〜ポートランド〜レディング〜サクラメント〜スペイサービル〜ゴールドヒル・若松領跡のおけいの墓〜メーア島〜サンフランシスコで講演・史跡訪問〜ロサンゼルスで講演〜成田

サンフランシスコ      2009年6月18日講演
・北加日本文化コミュニティーセンター(JCCCNC)ホール


                                                                  *画像提供:椎名映夫様・村上光全様
打合せ 前橋女子高校に留学経験のあるメリサさんと朝から講演内容の通訳打ち合わせ 受付 当日申し込みもあるので、受付は忙しい 12:00開始なので、配られたお弁当を食べてから始まる
挨拶 松浦実行委員長が来年の遣米使節寄港150年記念行事の一環で開催するという趣旨を述べる 祝辞 後援の総領事館から光岡首席領事が祝辞を述べてくださる 講演 149年前、日本からはるばる到着した小栗公たちはどんな思いでこの町に上陸したろう、と思いながら講演を開始した
通訳 メリサさんが的確な英語でなめらかに通訳してくれる 明治以来「遣米使節」よりも「咸臨丸・勝海舟」で教えられてきた歴史が長いので、使節一行がワシントン・NYで大歓迎された後、世界一周して帰国した史実を聴いて、驚きの声が上がる
画像を多く用いて、帰国後8年間に小栗上野介が行った日本改造の業績を聞いていただいた 曹洞宗北米開教センターの秋葉総監も講演を聴いてくださった この後、桑港寺を参拝する 松浦委員長夫妻・椎名氏・ヨシさん(YOSHI's)・メリサさん・村上・秋葉総監
この講演を報じるページ
小栗上野介を再評価 村上泰賢さんが講演(北米毎日新聞記事)…(リンク)
ビレッジ・ジャパン:北米毎日新聞の記事を紹介(リンク)

サクラメント・サンフランシスコの
史跡めぐり


2009平成21年6月16日〜19日 
成田〜シアトル〜ポートランド〜アシュランド〜レディング〜サクラメント〜スペイサービル〜ゴールドヒル・若松領跡のおけいの墓〜メーア島米海軍造船所跡〜サンフランシスコで講演・史跡訪問
シアトルからドライブ 16日・バンクーバーからやってきた弟の出迎えを受け、車でシアトルから「I-5・アイファイブ」と呼ばれる5号線を南下。高速道路はフリーウェイでどこまで走っても無料。ガソリン代だけで移動できる。120キロで走っても、両側からビュンビュン追い抜いて行く、恐ろしい道路! ポートランド 16日・途中の町ポートランドでベトナム料理店を見つけて昼食。おいしい麺だった。西部劇にも登場する町だが、川に沿った緑豊かないい街だった。 ビール 16日・アシュランドで夕食。ビールを頼んだらドエライ量が来て飲みきれず、となりのテーブルのおばちゃんグループにあげたら、歓声を上げて喜んでくれた。ピッツアも大きく、食べきれないからドギーバッグに詰めて持ち帰りとした
アメリカはとにかく食事の量が多いから要注意だ!
エルドラド博物館  17日・サクラメント郊外のプレイサービル・駅馬車や砂金掘りの道具、さまざまな写真などがたくさん集められ、西部の姿がいっぺんに見られる博物館だ。募金箱に10ドルを入れて入場する。ボランティアの高年男が親切にいろいろ説明してくれるがこちらは時間がない。残念だが早々に見物してチップを渡すと、彼はそれも入口の募金箱に入れてしまった。
○ポニーエクスプレスのカバン 営業開始の第1便が遣米使節SF到着の知らせを東へ運んだ。
サラダ 「グリーク サラダ」どこがギリシャ風かわからないが、とにかく大量に入っている小粒のスパゲティが酸っぱくてとても食べられない。缶詰からそのまま乗せた感じ。仕方がないから選り分けて野菜だけ食べた。量も多くて…疲れた。プレイサービル・17日
若松領記念碑 1868明治元年、会津戊辰戦争後に、ヘンリー・スネルの助言でアメリカに新天地を求めて移住した旧会津藩士に混じっておけいさんという少女がいた。茶と桑を植えようとした開拓計画は失敗し、人々はちりぢりになった。おけいは近くの農場ビーアカンプ家に子守りとして引き取られていたが、2年後に19歳で病死して、いつも望郷の思いで上って西の空を眺めていた丘の上に、墓が設けられている。
本「おけいさん」 望郷の思いを抱きながら亡くなったおけいさんをしのんでJoan Barto Barsottiさんが書いた本がエルドラド博物館にあった。英語版

関連ページ:Gold Hill - Wakamatsu Project(English)/「おけい」(会津若松市公式ページ) /会津の「おけいの墓」は背炙山に /小栗忠順とおけい/「おけい」を語り継ぐ大石邦子さん〈読売新聞〉 Wakamatsu Tea and Silk Farm Colony at Gold Hill, California(English・ビアカンプ家のHP))
おけいさんの墓 ゴールド・トレイル小学校の裏の丘ゴールドヒルを少し登ると数本のカシの木の下におけいさんは眠っている。最近墓石が新しく作り替えられた(牧場内は私有地で週末に関係者が開けてくれる)。カリフォルニアは12月ごろまで乾季で4月以来雨が降らないから、牧草はすっかり枯れている。想像を越えるこのような気候の地へ茶と桑を植えようとしたのは、計画に無理があったと思えてくる。正しい情報が伝わっていなかったことが、悔やまれる。
関連ページ:「おけいちゃんの銅像」 日本人の足跡【おけい】
ついでに 会津若松のおけいさんのお墓
日本のゴールドヒル 東山温泉のホテル東鳳の前の道路をどんどん登って、しばらく走ると会津若松市の背炙(せあぶり)山の公園におけいさんの墓がある。きれいに刈られた芝生が広がる小さな丘の南面にあって、目の下に会津若松市を一望できる場所。さわやかな風が吹いていた、。 おけいの墓 ゴールドヒルと同じ大理石にそっくり同じ文字が彫られている。 背面 「日本皇国明治四年 月 日没す おけいの墓 行年十九才」
背面もゴールドヒルと同じに彫られている。

2011平成23年9月4日参拝
関連ページ
若松コロニー…カリフォルニアに会津コロニーをめざした人たち(リンク)
おけいちゃん…歌もあります(リンク)
若松コロニーを自然保護団体が購入 (リンク)

以下、再びカリフォルニアの画像に戻って
サクラメント17日 オールドシティと呼ばれる一帯は、古い西部の町の様子をそのまま残していて、いきなりガンマンが現れて撃ち合いを始めてもおかしくない雰囲気。ここにポニーエクスプレスの像があった。大陸横断の電信が整備できていない時代、営業開始の第1便で命知らずの若者(映画「ヤングライダーズ」)が荒野を走り抜けて、「遣米使節のサンフランシスコ到着」のメールを西部のサクラメントからジョージア州セント・ジョセフまで運んだ。関連ページ:「ヤングライダーズ」
メーア島海軍造船所跡 先に着いた咸臨丸はサンフランシスコ湾の奥のメーア島で嵐で傷んだ船体修理を行っていた。ポウハタン号もここへやってきて感激の再会を果たし、そのままここに滞泊。歓迎行事などは迎えのボートでSFへ出かけた。当時はこのような掘り込み式のドックはなく、大きな浮きドックが日本人一行に目撃されている。
今は米海軍が撤退し、人けのない場所となっていてどこに停泊していたのか訊ねようもない。
17日
咸臨丸入港百年記念碑 幕末の歴史を咸臨丸一辺倒にさせている大坂市長の書碑の脇に、もっと大きい「遣米使節寄港記念碑」を建てたい、と強く感じた。関連ページ:修身教科書の咸臨丸神話 砲台跡 ゴールデンゲートブリッジの橋脚アーチの下に昔の砲台が残って観光地となっている。使節一行の乗ったポウハタン号はこれを右手に、左に囚獄の島アルカトラス島を見ながら、SFへ入っていった。
ピア9(9番埠頭) ポウハタン号はこの埠頭の先について咸臨丸を探し、メーア島にいるとわかって着岸しないで、錨を揚げ、メーア島へ向かった。いまは屋根付の埠頭だった。 バレホ通りから見たピア9 valejo st.の坂の上から眼の下に9番埠頭のゲートが見える。かつては桟橋が直接見え、その先に停泊したポウハタン号に周囲のたくさんの船が祝砲を撃ったから、砲煙とすごい音に包まれたはずだ。 19日 市内電車 ゆっくり滞在して電車で街歩きをしたらたのしいだろう
中華街の公園 たくさんの中国人が幾組も固まってトランプなどの賭けごとに夢中になっている 19日
トランスアメリカ・ビル  サンフランシスコ中心街 この三角錐ビルのあたりのタッカー音楽学校で遣米使節の歓迎会が行われ、見物人で埋まった。 タッカー音楽学校 市立図書館に残る図が正確にどこにあたるのかを特定しきれない
オールドタウン ところどころに往時をしのばせるようなレンガ造りの建物があって、地域全体に落ち着いた歴史を漂わせている。いま西海岸の表玄関はロサンゼルスに移り、港町サンフランシスコは歴史と観光の町の感がある。横浜に似て町のあちこちで歴史的な建物や由緒・風格ある建物にぶつかり、歩いていて楽しい。 
咸臨丸水夫の墓 サンフランシスコの南のコルマ・地域全体が墓地で「墓の街」。その一角イタリア人墓地の隣が「日本人墓地」で、入るとすぐに水夫3人の墓があった。咸臨丸滞泊中に二人死亡、帰国に際し看病人も含めて10人が病院に残り、一人死亡して、計3人がここに葬られている。

サンフランシスコでのあわただしい見学と講演を終え、市内ガイドをしてくれた椎名氏、カナダへ帰る弟と別れ、ロサンゼルスへ向かった。
ロサンゼルス編はこちらをクリック→講演の旅―2ロサンゼルス(画像)

見つかった! 遣米使節団の歓迎会場
 
タッカー音楽学校跡地


遣米使節団は咸臨丸一行も含めてサンフランシスコ湾の北のメーア島に滞在していて、
用事があるとサンフランシスコの街へ蒸気船(ボート)で出かけて来ていた。
このほど、市主催の歓迎会が行われたタッカー音楽学校跡地が最近特定された。

資料提供:椎名映夫氏(SF在住)
2012平成24年6月
タッカー音楽学校跡地   「現在オフィスビルとなっており保険会社の事務所があります。福沢諭吉がサンフランシスコの女性と一緒に写真をとった写真館の隣でした」
という報告をサンフランシスコ在住の椎名氏が送ってくれました。
関連ページ
修身教科書が造った咸臨丸「神話」…大正7年〜昭和20年まで国定教科書「修身」で、咸臨丸の「お話」が教えられ、いまだに日本人を混乱させている

遣米使節一行の旅コースを訪ねる・ワシントン編:海軍造船所の正門はまだ存在していた
遣米使節一行の旅コースを訪ねる・フィラデルフィア編:古い歴史を誇る町
遣米使節の旅コースを訪ねる・ニューヨーク編:ニューヨーク編:ニューヨーク編:ブロウドウェイを途中から迂回して


「Bridge of Hope―日系アメリカ人の辿った道」・・・ロス講演を主催したJEWLが編集した本
JEWL・Japanese Executive Women's Legue…ロスでの講演主催団体(リンク)
小栗上野介を再評価 村上泰賢が講演(北米毎日新聞記事)…(リンク)
小栗上野介を再評価 村上泰賢が講演(villageJapan記事)…(リンク)

YOSHI's ジャズクラブとレストラン…東の「ブルーノート」に匹敵する、アメリカ西海岸有数のジャズクラブとして知られ、レストランもおいしい料理を食べられる。ヨシさんのご招待で、たっぷり聴かせていただいた。OAKLANDにも元の店がある。

「アメリカ・カリフォルニアで講演」
ブルック大尉:咸臨丸が沈まなかったのはブルックとジョン万次郎のおかげ
大統領の記念メダル:使節と従者全員に金・銀・銅のメダルが贈られた
世界一周をした名主・佐藤藤七:権田村名主が従者として世界一周
玉蟲左太夫:仙台藩士の見た世界は新鮮だった
遣米使節小栗の従者:小栗忠順の従者9名
遣米使節従者・三好権三…島根の人だった
遣米使節の業績・・・1本のネジくぎを持ち帰った小栗
遣米使節三船…咸臨丸ではない
リーフレット『遣米使節三船』・・・教科書から咸臨丸をはずすため
「ポウハタン号の町・伊豆下田」
遣米使節一行一覧表(リンク)