教科書の小栗上野介  教科書に登場した小栗上野介・横須賀造船所     

教科書に登場した小栗上野介

 清水書院発行の高等学校教科書『日本史A』H19/改訂版ではP156〜158、3ページにわたって
「港湾都市横須賀の成立」という項目で、幕末に幕府が設立した横須賀造船所が、その後の地域社会の近代化や生活文化に、どのような影響を与えたかを解説し、ヴェルニーと小栗上野介の写真が掲載されている。

 これまで日本史教科書でこれほどきちんと小栗上野介の業績・横須賀造船所の意味を取り上げた教科書はなく、画期的な教科書として、一読をおすすめします。


            
《主な項目》
・横須賀造船所の設立
・海軍と横須賀
・横須賀と軍縮
・太平洋戦争と横須賀
・戦後の横須賀

ほか会社の教科書は「遣米使節小栗上野介」や「横須賀」についてどのように記述しているか。いまだに「世界一周をした遣米使節」よりも、お供でサフランシスコまでついて行っただけの勝海舟・咸臨丸を大事そうに書く教科書が多い。
 
〈このページは資料提供:大阪府高等学校社会科研究会 により作成しました〉

 

発行 書名 遣米使節の記述 横須賀造船所の記述
清水書院
『日本史A』
H18(上記)
「江戸幕府によって最初に遣外使節が派遣されたのは1860年。アメリカに派遣されたこの使節団は、日米修好通商条約の批准書の交換を目的とした。」P49
欄外の注に「1860年、勝海舟(1823〜99)らが咸臨丸で太平洋を横断してアメリカにいたったのは、この条約の批准書交換に随行したためであった。」P49
上記の通り、3ページに亘って記述
清水書院
『日本史B』
H19
「江戸幕府による最初の遣外使節団が派遣されたのは1860年であった。アメリカに派遣されたこの使節団には、勝海舟を艦長とする幕府軍艦咸臨丸が随行し、福沢諭吉が志願従者として乗り組んでいた。福沢は、翌年派遣された遣欧使節団にも・・・」
写真「復元された咸臨丸」
山川出版社
『詳説日本史B』
H19
下段の注「1860(万延元年)、幕府は条約批准書の交換のため、外国奉行新見正興を首席全権としてアメリカに派遣した。この時、勝海舟(義邦)らが幕府の軍艦咸臨丸を操縦して、太平洋横断に成功した。」P231 「幕府も末期には、・・・、フランス人技師の指導で横須賀に製鉄所を建設した。」P214
「旧幕府が設けた横須賀造船所の拡充に力を入れた。」P245
山川出版社
『日本史A』
H19
「幕府は通商条約の批准書を交換するため、1860(万延元)年、外国奉行新見正興を首席全権としてアメリカに派遣した(万延遣外使節)。この時幕臣勝義邦(海舟)を艦長とする軍艦咸臨丸が使節に同行し、日本人による最初の太平洋横断に成功した。」P50 「軍備の近代化をはかる意味から、旧幕府の事業を母体とした東京・大阪の砲兵工廠や横須賀・長崎の造船所の拡充に力を入れた。」P78
桐原書店
『新日本史B』
H19
「このほか長崎製鉄所や、フランスの援助によって横須賀製鉄所なども作った」
下段の注「長崎・横須賀両製鉄所は、造船所も兼ねており、明治初期には造船所と改称された。」
三省堂
『日本史B』
H19
「欧米への留学生も、日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が遣米使節を派遣して以後、はじまった。」 「フランスの援助で横須賀製鉄所の建設に着手した。」
東京書籍
『新選日本史B』
H19
挿絵:ニューヨークをパレードする条約箱の乗った馬車の絵
「ニューヨークでの遣米使節 1860年(万延元)年、通商条約の批准書を交換するため、アメリカに派遣された使節一行。」
挿絵:嵐の咸臨丸の絵
「使節の乗ったアメリカ船に同行した幕府の軍艦。勝海舟が艦長であった」
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