小栗上野介随想(東善寺) いい気になる日本人

いい気になる日本人


 「萬延元年、小栗上野介ら遣米使節は米国軍艦ポウハタン号で渡米した」と語ると、参詣の方から「咸臨丸では?」という反応がある。ポウハタン号の護衛船だった咸臨丸には初の太平洋横断、というキャッチフレーズがつくが、じつは遣米使節より二百年も前に、支倉常長が石巻〜メキシコ〜ローマの往復航海で日本人初の太平洋横断を果たしている。

 咸臨丸の責任者木村攝津守喜毅は、横浜近海を測量中に破船して帰国の便を探していたブルック大尉ら11人を頼んで乗ってもらう。出港して間もなく、ものすごい嵐にあって日本人は船酔いで動けず、ほとんど米人の操船できり抜けた。わずか2、3人動けた日本人の一人がジョン万次郎だった。


ポウハタン号・帆船模型・東善寺蔵
 
 勝海舟や木村は「船酔いのため航海中寝たきり」とブルックの日記や米紙に残る。帰国後、勝や福沢諭吉は「外国人の手は少しも借りないで横断した」と、世話になったブルックらのことはいっさい語らない。「帰国を希望していた米人を乗せてやった」と書く歴史書もある。これらが明治以後の教科書でそのまま採用され、国威発揚気分をくすぐって、いい気になったまま「初の太平洋横断を果たした勝海舟の咸臨丸」神話が定着した。

たとえば数年前、某社の百科全書のゲラにブキャナン大統領の説明で「遣米使節勝海舟が咸臨丸で渡米して会った大統領…」とあるので直すように、と連絡すると礼状が来た。さて発行されると「遣米使節船、咸臨丸が渡米した時の大統領…」という記述になっていた。この大統領に直接会った本当の遣米使節をそっちのけ、まだ咸臨丸神話から抜け出せない。
ブキャナン大統領

James Buchanan
第15代大統領
(1857〜61)
 バブル景気のころ「日本は経済大国」といばっていた。土地の値上がりは「国力があがった証拠」、「日本式経済は世界の模範」「外国経済から学ぶものはなにもない」という話をたびたび聞かされた。そのころ、寺の外トイレを改築するに際し調べると、遣米使節はやはりワシントンで水洗トイレを使っていた。従者の日記にあった絵をパネルにしてトイレに貼りながら、日本はやっと水洗が普及し始めたのに、「経済大国」とはいい気になりすぎではないか、と不安になった。案の定浮かれ経済は失速し「バブル景気」だったと命名された。

 近年上野介が注目されるのは、バブル経済がはじけたから。外国の圧力をどうかわして日本の針路を決めるか、アメリカ頼みでよかった時代が終って、気付いたのは幕末によく似ているということ。明治以後よりも幕末の方がよほどたいへんだった、その幕末をほとんど一人で切り回して次の時代へ受け渡した小栗上野介に注目しているのである。浮かれ経済にいい気になっていたときの「埋蔵金の小栗上野介」が、いま「経済人・政治家の小栗上野介」となり、ようやく落ち着いて歴史を見る時代がきたことを感じている。

 ここに小栗上野介の言葉を紹介しよう。
「父親の病気が治る見こみがないからといって、薬を与えないのは孝行ではない。国が滅びても、自分の身が倒れるまで公事に尽くすことが真の武士である」

                                                  (2000平成12年)
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