東善寺・山だより ●● 山行・スキー あれこれ (高退連山の会) |
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群馬高退連山の会 山行 群馬高体連登山部役員で活動した各高校顧問の山仲間が教員退職後も山に登り友情を温め、心豊かに過ごそうという会 村上泰賢が参加した山行を幾つか掲載。ここに載らない山行もたくさんあります。 目次 クリックすると直接飛びます 浅草岳 烏帽子岳 鳥海山 茅ヶ岳 唐松岳・五竜岳 南蔵王 会津磐梯山 丹沢・塔ノ岳~鍋割山 スキー・戸倉 栗駒山 四郎岳 |
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浅草岳(1585m) 会越国境の山に ヒメサユリ を訪ねる |
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2023令和5年6月25日(日) 幹事(自称代表取締役)角田二三男 新井好司 小林達也 柴田栄 高橋守男 高柳邦彦 對比地昇 安田素彦 田中洋史 富田典夫 村上泰賢 |
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▲ヒメサユリ 頂上近くの稜線 |
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▲生物の専門家が3人も参加したから木や草の名前がポンポン出てくる | ▲ギンリョウソウ 林の縁にひっそりと |
▲10:08 最初のヒメサユリが出迎えてくれた。この花が目的で来たから、元気が出る | ▲ブナ曽根尾根 すごいぬかるみの登りが続く 下りには使いたくない道 |
▲ヤマグルマ | ▲ユキザサ |
▲10:13 登山口の駐車場(中央右)がずいぶん下になった。高曇りで薄日が射す好天 | ▲イワカガミ |
▲ベニサラサドウダン | ▲10:58 次第に高木帯から低木帯に登ってきた |
▲タムシバの咲き残り |
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▲11:05 前岳に着いた 山頂はもうすぐ | ▲雪田 少し急な雪田だがキックステップで登る 帰りは軽アイゼンを使用 |
▲シラネアオイ 前岳からの稜線 | ▲ワタスゲ 天狗の庭往復 小さな池塘だった |
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▲田子倉湖 ガスが薄れ田子倉の只見沢登山口がはるか下に見える この上りはきつそう | ▲浅草岳 満員だった頂上を入叶津コースへ進んで休憩し、戻るとだいぶ空いていた 13:05 |
▲山頂で先日亡くなった梅澤正紘氏に黙祷した 登坂氏(86)が欠席で、今回は「老々介護・デイサービス登山」の平均年齢が少し若かった |
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▲前岳からの下り は木道が少し続く 桜曽根コースは乾いている | ▲ウラジロヨウラク |
▲左手前ヤマグルマ 奥ミネカエデ | ▲左ゴゼンタチバナ と アカモノ |
▲浅草の鐘15:09 桜ゾネ広場のすぐ上 広場から林道をゆるく下って、ネズモチ平登山口へ | ▲駐車場15:58 朝は満車状態だった |
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アカヤシオ 地元南牧村では枝先に一つだけ、サクラの花びらを大きくしたような花を横向きにつけることから「一つ花」と呼ぶ。 |
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アカヤシオの花咲く 群馬県南牧村の 烏帽子岳とシラケ山 |
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�� 2023ね令和5年4月24日 メンバー:富田典夫・登坂巌・高橋守男・田中洋史・角田二三男・村上泰賢 |
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▲大仁田ダム下の駐車場から御荷鉾林道を約1キロ走って、沢の出合の登山口から登りはじめる。 | |
▲沢沿いの登山道は しだいに傾斜を増す。所々に毒草「ハシリドコロ」が花をつけている。むかし栃木県でうっかりコンフリーと間違えて天ぷらにして食べた釣りグループが、意識不明でバラバラに発見救助された事件があった。「コンフリーの天ぷらを食べた後、意識がない」と語っていた。所構わず走り回るからついた名。 | |
▲奥の二股で沢沿いに尾根へ上がる右のルートと分かれ、 左の烏帽子岳ーマルの鞍部に直接登るルートに取り付く。 これが急な上りだった! 2月のスキーで肉離れを起こした右ふくらはぎが怖くて、踏ん張れない | |
▲所々に下がるロープに助けられる、 | ▲尾根に出るとすぐにアカヤシオの花が迎えてくれた 。これはいい。ちょうど花ざかりだ! |
▲たしかに「一つ花」と愛称される価値のある花 | ▲烏帽子岳1182m 山頂 |
▲北東は南牧村の大仁田部落と鹿かな岳 や三ツ岩岳の山並み | ▲南はマル1220m というおかしな名の山 アカヤシオはもう終わりかもと言っていた富田幹事の心配は幸いにも外れ、見事な花ざかり |
▲岩尾根が続くルートはなかなか神経を使う | ▲オヤ、このシャクナゲに似た葉と黄色い花だからヒカゲツツジだ! |
▲ヤマツツジも咲いている▲アヅマシャクナゲも! 数日前にアンナプルナのトレッキングから帰国したばかりの高橋さんから、ヒマラヤのラリグラス(シャクナゲ)の林に驚いたと聞く。 日本では大台ケ原から大杉谷へ下る尾根にシャクナゲの林がある。温暖地帯では林に成長するのだろう。 |
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なんと、ヒカゲツツジがこんな大木になって淡黄色の花をいっぱいつけている ▲ 背景にアカヤシオの花があってゼイタクな景色 | |
▲シラケ山1274m とはこれも不思議な名称。 深谷市から来たという登山者にシャッタ-を押してもらう。 | |
新緑 帰路は岩尾根を避けて中腹の巻き道を戻る。 岩尾根を辿る緊張はないが、花もない。花は右上の岩尾根にちらほら見えるがそばで眺めた時の迫力がない。 | |
大仁田ダムはそれほど大型でもない。堰堤下にトイレ駐車場がある | |
トイレ脇に お宮があって、中を覗くと、あった!! ここにも三叉の鉾が祀られている。 |
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三叉の鉾 詳しくは次のHP「御神木三叉の木はシヴァ神の鉾である」をご覧ください。 |
鳥 海 山 2236m ようやく三度めに登れた東北の名山 |
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第1回目登山は・・・雨で中止 登山行動なし |
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■第1回め 2013平成25年7月30日~8月1日 |
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▲大平山荘 吹浦登山口近くの山荘で一泊 翌朝は想定外の雨。これでは登れない。 居酒屋「富重」はおいしかった。▲土門拳記念館 | ||
第2回目登山は・・・ガスと強風でまたも中止下山 月山登山だけ 月山 |
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■第2回め 2019令和元年8月19日~21日 |
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▲鉾立駐車場 赤とんぼがたくさん歓迎してくれた。気のおけない山仲間と会話を楽しみ、奈曽谷を眺め、はるか先の頂上を想像して登る | ||
▲御浜小屋で一泊して明日は頂上へ-下山して月山温泉へ、-そして月山登山という欲張った計画。 担ぎ上げたビールがおいしい | ||
▲ トマトなどのおつまみまで担ぎ上げて、行き届いている。…しかし翌朝はすごい暴風とガスになった | ||
▲暴風で下山 翌朝はガスとすごい暴風で登山中止 鶴岡市内の世界でも珍しい「クラゲの水族館」を見学→月ノ沢温泉北月山荘(泊) | ||
月山の登りは急傾斜は少なく、ダラダラと緩やかに登ってゆく。信仰登山が盛んだった頃をしのばせる石仏がたくさんある | ||
▲頂上所「月山神社本宮」に参拝するには特別料金が必要。せっかく来たのだからお祓いを受けて奥まで参拝 | ||
▲本宮参拝の途中、奥に三叉の鉾が安置されていた。私が研究テーマとしている「三叉の鉾はシヴァ神の鉾」の大事な証拠がここにもあった。 詳しくは次のHP「御神木三叉の木はシヴァ神の鉾である」をご覧ください。 |
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第3回目登山で・・・やっと登れた |
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■第3回め 2022令和4年8月23~25日 幹事對比地昇 登坂巌 高橋守男 新人安田素彦 高柳邦彦 大川勝久 村上泰賢 ◇8月23日 群馬=谷川岳PA7:00=関越道=日本海東北道=山形ー16:20鶴岡市三瀬「坂本家」(泊) 8月24日 坂本家7:30ー(鳥海ブルーライン)ー鳥海山・鉾立登山口9:30…10:50賽の河原…11:51御浜小屋…七五三掛…13:38千蛇谷への分岐…(外輪山コース)…伏拝岳…15:28行者岳…15:50神社への分岐…下って雪渓下の池でビールを冷やす…16:30鳥海山大物忌神社参籠所・夕食・夕日の絶景 ・「庄内日報」あての投書 8月25日、山仲間と鳥海山登山を終えて下山、「西浜あぽん温泉」に入浴しすっかり落ち着いた気持ちになりました。隣の食堂で食事し、帰り支度をしていて補聴器が耳にないことに気づきました。風呂に入るまでつけていたことは確かだから、急いでフロントへ引き返し、もし掃除で見つかったら連絡してほしいと頼んでいると、若い男性職員がやってきて「それなら、とりあえずいま探しましょう」といいます。入浴客がいるからと躊躇すると、私も行きます、というので靴下を脱いで浴場に入り、行動したとおりに説明しながら、洗い場はここでしたというと、そこにいた客が「どうしたのですか」という。すみませんとわけを話し、露天風呂へ探しに行こうとしたところ、「これかね」と先ほどの洗い場の人が持ってきてくれたのが、間違いなく私の補聴器。あった!ありがとうございます!まさかこれほど早く見つかるとは…内心諦めかけていたので、思わず大声になりました。すぐに対応してくれた若い職員とさっそく気にかけて探してくれた浴客の方のおかげです。鳥海山登山は9年前から2回天候に阻まれて断念し、今回3度めにしてようやく登れた喜びが、さらに味わい深く忘れられないものになりました。鳥海山麓の皆さんありがとうございました。 |
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初日のトレーニングで 珍しい山名の「日本国」555m に登山 |
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▲新潟県村上市と山形県鶴岡市の県境の山。羽州街道「小俣宿」から登る。道は登りやすく整備され地元の人に愛されていることがわかる。湿った暑い空気が入って汗だくになる登山だった。 | ||
他国の山では山岳展望がなかなかわからない。「あの山は・・・」と霞む山並をあれこれ同定する | ||
▲「登頂証明ハガキ」 頂上の用紙にスタンプを押して麓の小俣宿の店で500円で受付けてもらった。「冥土の土産に…」と申し込んだのは登坂・村上の二人だけ、若い仲間は知らん顔。後日届いたら、切手も「日本国」だった。 | ||
いよいよ 鳥海山2236m 登山 | ||
▲8月25日 日の出 すばらしい日の出とふり返る西の空に ブロッケン現象の自分の姿と、遠くに「影鳥海山」が現れた(▼最後の画像です) |
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▲鶴岡市三瀬の美味しい宿坂本屋スタッフに見送られ | ▲車の向こうに晴れた鳥海山が見えるではないか!! これは登れるゾ、元気が出る | ▲鉾立駐車場 涼しい空気と思いがけない青空 心配した気圧の谷が弱かったらしい |
▲登坂86歳、村上81歳 老々介護のデイサービス登山 あとの若いメンバーはヘルパーさん。 はるか先に頂上が見える。あそこまで行くのかァ~~ |
▲御浜小屋 前回4年前はこの小屋に泊まり、翌朝ガスとものすごい強風で下山、だった。 | |
今日は無風で湿度も低く涼しい空気だから汗をかかずに登れるので助かる | ▲鳥海湖 御浜小屋の直下にきれいな池がある | |
▲ハクサンシャジン ツリガネニンジンの仲間 | ▲タテヤマリンドウ | ▲ハイマツ 外輪山にはハイマツが見える |
▲ナナカマド もう色づいている | ▲イワギキョウ | ▲チョウカイフスマ 気品のある静かな花 山麓の小中学校で校章にしている |
ふり返ると鳥海湖がはるか先に見える | 外輪山は緩やかな上りと時々岩場がある | 左の小屋が大物忌神社、その上が頂上の新山 |
▲ホソバイワベンケイ | ▲イワブクロ | |
▲参籠所が山小屋 | ▲夕陽が日本海に沈んでゆく | ▲外輪山の絶壁が赤く染まった |
25日朝 背後の新山山頂に登る 火山岩の累積を岩登りのように登る。まもなく日の出が始まった。 | ||
▲ブロッケン現象 朝日を背にして霧に投影された自分の影。背後に、丸い虹彩が現れた。古来日本では「御来迎ごらいごう」といって阿弥陀仏が現れたと受け止めた。ウィンパーの『マッターホルン登頂記』にも出てくる。見えるのは自分の影だけ、映っているはずの隣の人の影は見えない。 | ||
▲ブロッケンの「影鳥海山」 ふつうの「影鳥海」は朝日によって西の山麓から日本海にかけてできた山影をいう。だがこれははるか西空の薄いガスに映った「ブロッケン現象の影鳥海」。珍しい現象といえよう。上の人物のブロッケンとほぼ同じ時刻。 | ||
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湯の丸山&パルコール嬬恋スキー 2019平成31年2月12日(火)~13日(水) |
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12日:9:40新鹿沢温泉「つちや旅館」に集合ー支度して湯の丸スキー場へー▲登山組はスノーシュー・山スキーで湯の丸山~角間峠~旅館へ ▲スキー組老老介護の登坂・村上二人は湯の丸スキー場で滑る 午後に槍ヶ岳が西に見えた。 |
参加者 高橋守男 対比地昇 大川 小林達也 田中洋史 登坂巌 薗田 富田 村上泰賢 13日:パルコール嬬恋スキー場で滑る スキー場に着いてから靴を旅館に忘れてきたメンバー。あわてて取りに戻ったとか…。四阿山はガスが掛かり、ゴンドラを降りると視界が悪い。昨日よりよろしくない。 |
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▲浅間山 薄く煙を出している | ▲北アルプス 槍ヶ岳も見える | |
▲湯ノ丸山ツアー | ||
▲雪山讃歌の碑 「雪山讃歌 西堀栄三郎 ♪雪よ岩よ 我らが宿り ・・・」 かつて京都大学山岳部が鹿沢温泉で冬の合宿をし、吹雪で行動できない日に西堀がアメリカの歌「いとしのヴァレンタイン」の曲に作詞してつけ、岳人に歌い継がれて広まった。後に西堀は南極越冬隊の初代隊長となった。 |
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『日本百名山』著者深田久弥の故地 茅ヶ岳かやがたけ 1703.5m 2018平成30年10月17日 |
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登山家で作家の深田久弥は講演を頼まれると「近くには山がありますか?何という山ですか、高さは?」ときいて、いい山、登ったことのない山があると喜んで講演を引き受け、でかけた。いま日本百名山を登る人は多いが、深田久弥はその数倍の全国の山に登って、選び、まとめたのが『日本百名山』。 その深田が昭和46年3月21日に登っている途中、頂上間近の登山道で「アー」という声で倒れ、そのまま息を引き取った山が茅ヶ岳。脳出血であったという。私が若い頃のことで、新聞で「茅ヶ岳で倒れ、死去」という記事を読んで初めて知った山だった。 |
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▲概念図 韮崎から北東に入る 登山口から登り2時間とある。 | ▲まず体操9:30 する人しない人、すんだ人 | |
▲深田久弥記念公園 9:45 歩きだして5分ほどにある公園 「百の頂に百の喜びあり 深田久弥」とあり、深田は俳人でもあるから、表現が適切。掲示板「深田久弥と茅ヶ岳」でこの山で深田が倒れ亡くなったことが記されている。 | ||
▲しばらくは緩やかな登り。しだいに傾斜が増して、深い落ち葉の中を女岩まで。途中女岩を迂回して更に上る。落葉の中にササモタセらしいきのこがびっしり生えていた。鑑定に自信がないので見るだけにした。 | ||
▲瑞牆山 尾根に出ると北北東に見えた。さらに東に金峰山が見えるはずだが雲の中。 | ||
▲標石「深田久弥先生終焉の地」 この登山の10日ほど前に加賀市の「深田久弥山の文化館」を訪ねたばかりだったから、感慨深い。 | ▲オヤ、すごいキノコだ | |
▲頂上 12:12 数人の登山者がいるだけ、静かな山だった。富士山は見えなかった。 | ▲金ヶ岳 がすぐ横に | |
▲カイフウロ 山梨県三ツ峠で見つかったので「甲斐」がついた。花弁の赤い筋の色が強く、葉の先が尖っている | ▲トリカブトが下山道にたくさんあった | |
下山はゆっくり、たのしく | ▲下山14:32 会計を済ませて解散 | |
ついでに深田久弥の「山の文化館」をご紹介 2018平成30年10月6日午後見学 石川県加賀市大聖寺町馬場町18番地2 電話0761-72-3313 HPはこちら |
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▲建物は昔製糸会社の事務所だったそうで、立派な門構えの落ち着い佇まいがいい。 庭に句碑「雪嶺に向ひて街を行きつくす 九山」…雪嶺は白山、九山は高浜虚子の直門下生であった久弥の俳号。左は初代文化館長高田宏「白山を吊り上ぐるかや寒の月 宏」 白山と大聖寺町を愛した二人の交友がしのばれる碑。生野銀山調査の帰りに寄ったので、充分な見学時間が取れず残念だった。 |
北アルプス・花の八方尾根から 唐松岳~五竜岳 2018平成30年8月20日~21日 |
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久しぶりの北アルプス。登ってみるとさすがに山の迫力、スケールが違った。 | ||
初めにトレーニング登山 近くの鼻曲山はなまがりやまへ 8月18日 晴 ■北アルプスでバテてたら仲間に迷惑をかけるから、ロートル二人で今ごろいい花が咲いているはずの鼻曲山へでかけた。帰りにヘリが頭上を飛んで、しきりに何か探している。頂上近くですれ違ったトレランで入った人が倒木で太腿を切って出血、救急車を呼んだらしい。天候がよくヘリでピックアップしてもらえたが、悪天ではこうは行かない。ランニングシャツ・パンツだけの極端な軽装の単独で山に入って走り、ケガをしたら町の公園でタクシーを呼ぶような感覚で救急車を呼ぶのはいかがなものか。登山は自己責任が基本。 |
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▲二度上峠から五竜岳~唐松岳・不帰かえらずⅢ峰・Ⅱ峰 が鳥居峠の向こうに見える あそこに登るんだ | ▲花もちょうど見頃 でも知られてきて撮影に踏み込んだ踏跡がたくさんできている。ロープ規制が必要だ。 | ▲浅間隠山 関東平野からきれいな三角錐のように見えるが、ここ獅子岩から眺めるとのっぺりした山容。右肩東ピークが倉渕町の最高地点。左の頂上は長野原町と東吾妻町の境界。 |
いよいよ本番 さあ、唐松岳へ |
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▲五竜岳とタムラソウ ガスの切れ間に鹿島槍ケ岳の山頂が顔をのぞかせた(五竜岳の左) アザミに似ているがトゲのないのがタムラソウ |
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▲白馬三山9:16 横川SAに07:00集合~長野ICから大町へ向かうと白馬三山が見えてくる | ▲9:51白馬のゴンドラ・リフト二つを乗り継いで登ってゆく | |
▲八方尾根 雄大な北アルプスの展望と花の尾根筋が展開するので、信州屈指の観光地。沢山の観光客が訪れる | ||
▲右から不帰Ⅰ峰・Ⅱ峰(横長)・Ⅲ峰(コブ3つ)・と唐松岳(三角の奥) | ▲天狗岳 左端が一気に下る「天狗の大下り」天狗池の小屋は雪で潰され、今年は営業なし | ▲白馬三山 左から白馬鑓ケ岳・杓子岳・白馬岳 |
▲八方池山荘から高度を上げてゆくと、北ア北部の山並みが迫ってくる。右、雲がかかる山が浅間山、低い鳥居峠の向こうにおととい登った鼻曲山や浅間隠山が見えるはず、オレの村はどこだア…、やっぱりはっきりしない。 | ||
▲植物群落の逆転現象 高山帯のハイマツなどの上部に再びダケカンバなどの亜高山帯植生が見られる、八方尾根の特徴 | ▲八方池11:26 この池の景色がどれほどの人を魅了してきたことか。大概の観光客はここで引き返す | ▲昼食11:34 朝食が早かったからお昼にしよう |
▲天候に感謝 懐かしいかつての山行を思いながら白馬連山を見る | ▲飯森神社奥社 本社は麓の飯森駅近くにあった サア元気を出して登ろう | |
▲山の花 (左から)シモツケソウ・ハクサンシャジン・トリカブト | ||
▲山の花 ヒョウタンボクの赤い実…毒があるから食べてはいけない・シシウド・オタカラコウ | ||
▲トウヤクリンドウ・ウサギギク・チングルマの綿毛…この綿毛が風にそよぐと秋の始まりを感じる | ||
▲扇雪渓12:52 豊富な雪が遅くまで残る所 | ▲イワギキョウ | |
▲最後の休憩14:16 途中崩壊しそうな岩を避けて尾根筋の迂回ルートをひと登り | ▲唐松岳 登りつくと小屋の背後のピーク・黒部川対岸の立山~劔岳・毛勝の連山がきれいに見える | |
▲剱岳 かつて何度登ったことか、八つ峰・三ノ窓・チンネが懐かしい 小屋に荷を置き、空身で唐松岳へ きれいな北アの稜線歩きはたのしい | ||
▲唐松岳頂上山荘 | ▲振り返ると山荘・キャンプ場・五竜岳が見える | |
▲涸沢岳山頂15:23 仲間のおかげで登れたことに感謝! かつて昭和48年頃、某女子高校山岳部30名くらいで白馬大池~白馬岳~天狗池~不帰險を越え、ここに着いたら、生徒は緊張がほぐれたのか涙を流していたのを思い出す。今ごろどうしているかなあ。 | ||
▲小屋の前で酒盛りしていると小雨が降り出し、慌てて小屋に入って再開。 客は約7割だった | ▲夕食 カレー・コーンスープなど | |
▲日の出は意外に北の戸隠山あたりから | ▲左が四阿山(雲)~低くなって鳥居峠、右が浅間山 | ▲剱岳にも朝日が当たる |
▲唐松岳 不帰險を越えるらしいパーティーがでかけた | ▲立山に虹がかかり、しばらくすると移動して剱岳に虹がかかった。 | |
▲虹の剱岳 |
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さあ、五竜岳へ 6人が五竜岳に登って遠見尾根を下る。 残り5人は八方尾根をゆっくり下って車を遠見尾根下の神城へ廻し14:00に合流。温泉「十郎の湯」に入って帰宅 好天のおかげで予定通りスムーズにいった。 |
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▲唐松岳頂上山荘を出て五竜岳をめざす。朝食はオニギリを昨日受け取ってきた | ▲堂々とした五竜岳の山容が近くなる | |
▲05:56 剱岳にも朝日がさしはじめた | ▲五竜岳山頂08:33 | ▲五竜岳の下り09:08 |
▲楽しい山旅だった。一緒に登る仲間がいてこそ登れた。 |
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▲記念のフォトブック 72頁 |
霧深き山なみ 南蔵王の縦走 2017平成29年7月24~25日 |
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7月24日 群馬~あぶくま洞見学~遠刈田温泉のペンション「ウッドチャック」 25日 宿~刈田峠…杉が峰…芝草平…屏風岳…不忘岳…硯石~「ウッドチャック」~群馬 |
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▲あぶくま洞 初日は雨 それでが降らない鍾乳洞を見学 ▲ペンション「ウッドチャック」 …とは、北米に棲む地リスの一種 原語はネイティヴアメリカンの命名。 翌朝は曇り模様で、梅雨前線が北海道から戻って東北にかかる天気図の、最悪の状況の中休みの一日になりそう…という希望的観測で出発。 | ||
ペンションのオーナー夫妻に刈田峠まで車2台で送ってもらって、晴れてはいないが雨にならないのをよしとして07:45出発する | ||
刈田峠はすぐ上に少し登ると蔵王のお釜がある場所だが、ガスっていてなんの気配もない。 | ▲トキソウ 色が薄かった | |
トキソウ、シャクナゲが迎えてくれる。ガスっているから足元と花しか見えない。 ▲刈田峠避難小屋 08:05 | ||
▲コメツツジ 小粒な白い花 | ▲たぶんミネウスユキソウ | |
相変わらず風もない霧の中を歩く | ▲ネバリノギラン 掴むとたしかに粘る | ▲前山 08:32 |
▲ウスユキソウとミネウスユキソウ | ▲杉ヶ峰 08:54 何も見えない | |
▲エゾシオガマ | ▲ハクサンチドリ | |
▲ゴゼンタチバナ | ▲芝草平 | ▲チングルマの綿毛が霧を吸っている |
▲キンコウカ | ▲ウラジロヨウラク ちょうど花盛り | ▲芝草平 09:25 |
晴れていればたくさんの湿原と花が見られたろうが | ▲屏風岳 1817m 10:05 | ▲レジェンド登坂さん 80歳で頑張る |
▲イチヤクソウ | ▲ハクサンシャクナゲ | ▲南屏風岳1810m 10:57 |
霧が上がって、蔵王が見える | 南屏風岳を背に不忘岳の登りにとりつく | ▲不忘岳 |
▲ハクサンフウロ | ▲クルマユリ | |
▲イブキジャコウソウ 香りがいい | ▲タイツリオウギ | ▲第二次大戦中の昭和20年3月10日、吹雪の中で米軍機B-29が3機も衝突し34名の若者が亡くなった |
▲不忘岳 11:45 下山にかかると、雨が降り出した。ガンガン下る。 | ▲イブキトラノオ | ▲硯石 14:20 ペンションの迎え車が冷たいスイカと一緒に待っていた。おいしかった! |
スリップで左膝の半月板損傷 ■不忘岳の下り3時間、かなり下がった林の中で小石に乗ってスリップダウン。その時半月板を傷めたらしい。少し左膝が痛い、と思いながら黙ってストックでカバーしてごまかし下りきった。八月末になっても治らないのでこれは筋肉痛ではないと、診てもらうと半月板損傷だった。9月に入院―手術、「お泊り保育」と同じ程度の2泊3日全身麻酔の手術で済んだ。以後リハビリ。 ふつうに歩けるが、正座ができない。見た目は普通だから説明と言い訳に苦労する。 ■結論…後期高齢者になると他人事ひとごとでないことが増える。 ◇その後の回復 利尻岳登山へ(2018平成30年6月) |
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宝の山 会津磐梯山 2016平成28年10月3日~4日 |
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▲中の湯8:10 昨夜、前線が通過して強い風が吹く。八方台駐車場から林の中をゆるやかに登って、廃業した中の湯に着く。 | ▲少しぬるい 岩の下からブクブク湧いているのは熱い。 | ▲どこから長い柄杓を見つけてきたのだろう。「意味のないことをするのが男の子」、と育児の本にあったが・・・ |
▲風が強い 樹林帯を登ると、頭上ではゴウゴウと梢を鳴らして強風が吹く | ▲北の展望 尾根の所々でガスが流れる合間に桧原湖が見え、右手に下山で通るはずの銅沼(あかぬま)、そのむこうに裏磐梯スキー場が開けている | |
▲山の鐘 日本山岳会福島支部が設けたもの | ▲弘法清水 9:29着 弘法大師が迎えてくれた。ここは四合目だという。おかしい、と聞いてみると富士山に対抗していて、磐梯山の頂上で五合目だそうな。 | ▲弘法清水 いい場所にいい水があるものだ。まろやかな味の清水だった。 |
▲弘法清水小屋1625m 休み茶屋が二つあって、おしるこ・甘酒・コーヒー・ラーメン 定番の品が食欲をそそるが、まだそれほどお腹が空いていない。 | ▲櫛ヶ峰 しだいに晴れてきて、きれいな展望が広がる。東の櫛ヶ峰は意外に低い | |
▲桧原湖 どんどん晴れてきて、風も少し収まってきた。紅葉の山肌がきれい。 | ▲頂上まで小屋から高度差約190m すぐそこに見えても手強い | ▲東~南東 黄色く色づいた田んぼがきれいだ |
▲磐梯山頂上 1816m 北は雲がかかっていて展望がよくないが、東~南にかけてきれいに晴れてきた。弘法小屋に「四合目」とあって、ワンピッチでたちまち頂上だからどうなっているのか。富士山に対抗して、その半分だからこの頂上は五合目だそうな…。でもこれ以上は登れない五合目。 |
▲頂上の傍らに売店だけの弘法清水小屋出張所が、戸締めであった。背後のスキー場は星野リゾートアルツ磐梯スキー場。 | |
▲南に猪苗代湖が思いがけない大きさで広がり、湖畔の田んぼがほとんど黄色くなっていて稔りの秋を告げている。 | ▲真東の田んぼも黄色く色づいている。 | ▲東の櫛ヶ峰との鞍部に、登山道が細く見える。弘法小屋のお姉さんが、今朝登ってきて強風で三回も倒されたというのはあのへんらしい。 |
紅葉が始まってドウダンツツジ、ナナカマドの実、、モミジが色づいている。低気圧が太平洋北東海上で発達しているらしく、今朝から西風がすごかったが、だいぶ治まってきた。 | ||
▲ お花畑の分岐 ここで櫛ヶ峰との鞍部からガレ場を下る班と別れる。高齢者は膝に悪いから、無理しない。 | ▲中の湯分岐 登った道をここまで下り、裏磐梯スキー場への道に入る。 | ▲どんどん下って、銅沼(あかぬま)の辺りについた。 |
▲銅沼 明治21年(1888)の噴火で下の村まで崩れ埋めた、凄まじい崩落の跡が正面に見える。湖畔の右斜面にはいまだに噴気が見られる。間違いなくいまも生きている火山だ。 | ▲裏磐梯スキー場を下る スキー場の駐車場に停めた車まで下っていった。 | |
2016平成28年6月2・3日 |
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学生時代に登って以来久しぶりの丹沢は緑豊かで、鍋割山頂上から相模平野~相模湾を見下ろす雄大な眺望、確かにいい山だった。 ▲鍋割小屋の朝 |
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▲二俣 山蛭よけの塩をふりかける。 前橋市08:00ー玉村宿で原と合流ー高坂SAで全体合流ー秦野中井ICー1115県民の森「芝生の広場」で昼食ー二俣で水を背負う。水の入ったペットボトルがたくさん置いてあり、鍋割小屋への補給ボランティアに協力する。 | |||||
▲後沢乗越 乗越と言っても反対側(後沢)斜面は切り立っていて、下る踏み跡はない。 | ▲ヤマボウシ 乗越で休む頭上にはヤマボウシが咲いていた。ほかにフタリシズカ、ウツギ、、アセビ、などたくさんの草木が楽しませてくれる。丹沢は温暖だからアセビの自生が目立つ。 | ||||
▲明るい尾根 明るく開けた尾根道は、樹木も豊富で登っていて楽しい。翌日帰路の金冷し~堀山の家間の階段続きの味気ない大倉尾根とは雲泥の差がある。 | |||||
▲鍋割山山頂 眼下に相模湾が広がり、小田原、秦野、平塚、江ノ島、三浦半島、城ヶ島、まで見晴らせる。西は富士山に雲があって判然としない。 | ▲我々を追い抜いて登った親子はラーメンを食べると、下っていった。子供が日帰り登山する山に、我々は泊まるのだ。 | ||||
▲にわか雨 一休みしているとにわか雨。慌てて小屋に入る。下っていった親子は難儀していることだろう。 | ▲雨後の山頂 30分位で雨は止んで箱根の後ろに天城の万次郎、真鶴半島、初島。西には富士山まで綺麗に見える。薄闇の中に江ノ島や、城ヶ島の灯台が光る。 |
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▲朝 背景の富士山は露出を調整しないと映らない。このペーのトップ参照。 | ▲塔ノ岳への尾根道 この道も昨日と似ていて、鹿が食べた草原状の尾根に木々が生い茂り、ヤマボウシやウツギの花、が咲いている。オヤ、ツクバネウツギ(リンク)だ。 | ||||
▲小丸 ここから二俣へ下るルートがある。 | ▲鹿の食害保護柵 尾根筋の所々にネットで保護策が設けてあり、食害を受けないヤブとの差が一目でわかる。鹿は笹や幼木の新芽まで食べてしまうから、木が育たず、崩壊が進む原因となる。 | ||||
▲塔ノ岳山頂 丹沢は頂上に小屋がある。ここの尊仏山荘は右の狗留尊佛から来た名前ということか。 | ▲狗留尊佛如来 山頂脇には山麓の東光院の名前が入った狗留尊佛が祀られていた。過去七7佛の第4代を祀る山ということになる。 | ▲花立山荘 金冷しまで戻って大倉尾根を下る。花立山荘は展望のきく尾根に建つ。 | |||
▲階段続き 花立山荘からもガンガン下る。 | ▲堀山の家 ここから大倉バス停へ行かず、「道迷いで危険」と書かれた二俣への道に真っ直ぐ入る。確かに歩く人が少なく、注意しないと尾根を踏み外し、危険な沢下りとなりそうなコースだった。二俣から芝生の広場ー「湯花楽」で汗を流しー一路群馬へ戻る。 | ||||
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歴史の裏街道 四郎峠と四郎岳 単独行 (高退連山の会の山行ではありません) 2015平成27年10月9日 |
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四郎峠は、丸沼から四郎沢を詰めて登りついた峠で、峠から西へ大薙沢を下って~ 根羽沢から~大清水へ出ると、―三平峠ー尾瀬沼―会津へと抜けられる。戸倉関所を通らずに会津へ行ける会津街道(会津から言えば沼田街道)の裏道の峠である。 慶応四年閏四月六日、小栗上野介は西軍によって無実の罪で殺害された。 小栗道子夫人は権田の村人に守られて権田村―吾妻-野反池―秋山郷―新潟―会津へと逃れた。その後を追うように権田村の大井伝兵衛・渡辺筆吉の二人が沼田から直接会津へ入った。その途中、二人が尾瀬沼のほとりを警備していた会津藩士に尋問されている文書が、会津藩士の子孫川原田氏によってもたらされ、この史実が判明した。(詳しくは小栗上野介顕彰会機関誌『たつなみ』28号に掲載) 小栗夫人護衛隊に加わった村人中澤兼五郎は大井伝兵衛の弟で、新潟県十日町あたりから金策のために権田村へ一旦引き返して、僅かなお金を持って再び会津へ向かっている。その経路もやはり会津街道を取ったという。二人の目的は、少しでも足しになればとお金を届けようとしたと考えられる。西軍に追われる思いの危険な旅だから、渡辺筆吉もやはり伝兵衛の弟であろう。 では二人は西軍の最前線だった戸倉を通らずにどうやって尾瀬沼に出たか、この四郎峠を抜けたのではあるまいか。そう考えると一度は登って確かめたい峠だった。 |
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▲丸沼温泉ホテルは、ゆったりした雰囲気でくつろげる。08:50出発 | ▲右手の駐車場の西端から左の沢に降りて、石伝いに対岸へ渡る。 | ▲すぐに沢が二股になり、踏み跡に従って左の四郎沢を登る。 |
▲沢に沿って石ころ伝いに踏み跡が続く。 | ▲砂防堰堤が5基。下流から1・3・4は右岸側、2・5は左岸側に踏み跡がある。 | ▲「尾根に取り付け」 09:20 5、を越えるとルートは沢から尾根に取り付く。ちょっと注意する所。 |
▲細い尾根に道がしっかりついている。尾根の左右の沢はナメ滝状に流れている。 | ▲この辺に幾つかの標識もある。 | 細い尾根にコメツガの大木が根を張り、十条製紙の看板がある。細い尾根から最後に笹をかき分けるように登る |
▲ひとのぼりで四郎峠 10:10着 峠は風情のないただの狭い鞍部。反対側の大薙沢へかすかに踏みあとが下りている。二人はここを下ったのだろうか…。 | ▲峠から四郎岳へは笹がきれいに刈り払われている。数日前の仕事で、ここは巡視路らしい。 | ▲峠からは急斜面をひたすら一直線。連れがいれば先登者のかかとを見ながら登るようなきつい登りが続く。 |
▲かなり登ると、視界が開けて反対側の燕巣山が、やはり急斜面の尾根の上にそびえている。右端は根名草山。 | ▲四郎岳頂上 11:10着 コメツガなどに覆われ西側の視界はきかない。 | ▲尾根上の踏み跡は南に続いている。やはり笹が刈られている。 |
▲東側の視界が開けていて、日光白根山が雲を少しかぶっている | ▲丸沼スキー場のゲレンデがくっきりと見え | 手前に丸沼が光っている |
▲オヤ、丸沼の「バットレス構造」で有名なダム堰堤も見える。右が大尻沼だ。 | ▲急登の帰りは急降下。ガンガン下ってたちまち四郎峠に着く。 | ▲峠の下り 紅葉が始まっていた。13:00駐車場着 |
関連情報 ■小栗道子夫人会津脱出の護衛が小栗上野介顕彰の始まり…権田村の農民の義挙が小栗上野介顕彰の原点 ■小栗上野介の顕彰活動…会津脱出から現在までの顕彰活動 ■会津へ逃れた小栗夫人 ■会津脱出の「歴史の道」秋山郷への山旅(画像) ■夫人護衛の苦難味わう・秋山郷へ(リンク) ■「小栗上野介と会津」を読んで(寄稿) |
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2015平成27年七月28~29日 キヌガサソウがたくさん咲いていた |
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28日 横川SAで合流= |
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▲9:20登山口で登山届を提出して歩き出す。久しぶりの仲間とも会えて、会話が楽しい。黒沢を渡り、尾根に取り付くと、長い登りが続く。十二曲がりを過ぎると傾斜は少し緩くなって、山道をひたすら登り続ける。 | ||
▲針葉樹林の道端にゴゼンタチバナがひっそり | ▲12:30富士見平で黒沢湿原への道と別れ、左に入る。 | |
▲仲間たち 今回の幹事T氏は背負子の発泡スチロール箱にたくさんのビールを詰め、ツマミを用意してくれる。こういう幹事は、ありがたい。 | ||
13:30高谷池高谷池ヒュッテで宿泊手続きを済ませ、一休みして散歩に出る。火打山に登る班と、ガスがかかっているし前に登ったからいいやと散策する班。 | ||
天狗の庭に上がると豊富な残雪と、雪解け直後の新鮮なお花畑が広がる。 | ||
雪解けが進む天狗の庭は一面のお花畑となっていた | ||
コバイケイソウ・ハクサンチドリ・クルマユリ・キヌガサソウ・ワタスゲ・ハクサンコザクラ・モミジカラマツ・チングルマ… |
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「自然の美と友情の中に安住したい」と佐藤春夫は怠惰なことを言った(と思った)が、今日はそれを実感できる。 夕食後たそがれてゆく火打山を眺めながら、一杯、一杯、亦一杯…。 | ||
▲29日 6:00今日は妙高山に登る。 茶臼山への登りで、オヤ、木道脇にウサギギクが咲いている。 そして右下に見えてきた黒沢池湿原。 | ||
▲7:00いったん黒沢池ヒュッテへ下り、再び登って大倉乗越に上がると、7:40目前に妙高山がくっきりそびえる。あれに登るのかあ~。ソバナが笑っている。乗越から急に下ってトラバースしてゆくと、一昨日ガケ崩れしたばかりのの現場にぶつかる。 | ||
下に降りるように巻いて、ガラ場を通過。 またトラバースが続き、ソバナの群落が迎えてくれる。さらにひたすらガンガン登って10:21頂上 とにかくきつい登りだった。 あいにくガスがかかって視界がきかない。 | ||
帰りの黒沢池湿原はクルマユリ・ハクサンコザクラ・ハクサンフウロの群落・霧のワタスゲ…とまさに天上の楽園。13:10木道散歩が何ともいい気分。木に登ってまでいい構図を狙う男もいたがまだ見せてもらってない。 | ||
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上州武尊スキー 2015平成27年2月15・16日 |
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滑っている写真がない。 説明もいらない…。 | ||
▲日光白根山(左) | ||
金精山こんせいざん (日光白根山系) 金精峠からの金精山 ほかの会員は日光白根山に登るが、私は 金精山~五色山~弥陀ヶ池~スキー場 の単独行 2014平成26年10月15日 |
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▲金精トンネルを抜けて栃木側登山口にに駐車場があり、車をおいて登り始める。 | 金精山の山名は「金精様=ヒンドウ教のリンガ=男性器信仰」から来ている。峠の祠にはかつて石のリンガ(金精様)がたくさん奉納されていたという。さらに金精山の山容はチベットの聖山カイラス山によく似ている。根源はカイラス山であろう。この山容を確かめたくて、今回の登山となった。 関連ページ:御神木三又の木はシヴァ神の鉾 | |
▲男体山 金精山に登り始めると、東に男体山が雄大な姿を表す。手前に湯ノ湖が光る。峠から金精山北面の登山道は急だった。おまけに所々しみだした水が岩の上に凍っていて、単独行では 下りたくない道。 | ▲金精山2244m頂上 久しぶりの山行で足元が覚束ないからゆっくり歩数を数えながら登った。 | ▲男体山と大真名子山、小真名子山、女峰山 素晴らしい好天の秋空に恵まれて、気持ちがのびのびする。 |
▲原生林を下る。 奥秩父を思わせる原生林の中を下って、国境平から笹の中を五色山へ登り返すことになる。 | ▲金精山と峠 振り返る金精峠の上に、オヤ薄い雲が出たぞ。天候が変わるか? | ▲温泉ヶ岳2333m 薄い雲は温泉ヶ岳にもかかり始めた。 |
▲日光白根山 五色山は日光白根山の外輪山に当たる。目の前に大きくそびえる急峻な山肌に草木が僅かしか見えないのは、火山活動が近年まで活発だったことを示している。日光白根は妙高山に山容が似ているが、妙高山は頂上まで木々に覆われている。 頂上にいるかもしれない本隊に携帯電話で呼びかけても、応答なし。 | ||
東から次第にガスが湧いてきて、視界が狭くなる。 | コースは次第に下って日光白根山の根本へ下りて行く。小さな峠を越えると弥陀ヶ池になる。 | |
ヒッチハイクで金精峠へ はじめの約束では、丸沼スキー場から本隊の車で金精峠へ送ってもらうことになっていた。しかし本隊とはついに携帯連絡が取れず、駐車場に車も見当たらない。 仕方なく、ヒッチハイクで峠へ車を取りに戻る作戦にして、歩き出した。しかし何台もの車に無視され続け、2キロ位歩いたところでようやく宇都宮から来たというおじさんの軽に拾ってもらえ、無事に車を回収できた。歩いたら12キロあるから助かった!! 昨夜泊まった加羅具羅温泉に浸かって本隊を待ち、風呂から上がったらようやく下山してきた。ヤレヤレ |
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▲弥陀ヶ池 ここから菅沼に下る道、白根山に登る道、もあるがスキー場へのコースを取る。 | ||
帝釈山たいしゃくさん (2060m) 小中学生のころの地理で「帝釈山脈」というのがあって、 どうしてこの名前になったのか調べると、こんどは、 どうしてこの山の名前が関東の脊梁山脈についたのか、 今でも不思議な山名 ▲オサバグサ(黒岩繁氏撮影) この山を代表する花オサバグサ シダを思わせる葉が機織りの「オサ」 に似ていることからついた名 2013年平成25年6月2日山行 |
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入山 太田市出発。猿倉登山口~田代山から帝釈山に登る予定を変えて、日光から川俣湖の上流馬坂沢林道に入りすごい山道を走って馬坂峠をめざしたが、峠の直前で残雪にさえぎられ、久しぶりにヒマラヤ遠征のアプローチを思わせる作業が楽しかったが、あきらめて歩くことにする。 | ||
馬坂峠・うまさかとうげ 20台くらいの駐車場と立派なトイレ(まだ閉鎖中)がある。檜枝岐側は除雪されていて車で上がってこられる。 | ||
サンカヨウ | ミツバオウレンの群落 | オサバグサは針葉樹林の標徴種だという |
エンレイソウ | ミヤマカタバミ ピントがずれた | イワナシ の花をたのしみ |
ハイマツが出ると頂上 | 峠から1時間ほどの登りだった | 燧岳 尾瀬の主峰で東北地方最高の山 |
燧岳から会津駒ケ岳への稜線がゆるやかに波打って、残雪を光らせる。かつて生徒と沼山峠から大杉岳~会津駒ケ岳へと歩いた長い尾根が、目の前に展開する。(山並みの谷などよ~く見ると、写真の継ぎ目がわかります) | ||
ここまでが上の写真の続き | 奥日光の山 | 置いてきた車が林道に見える |
正面の田代山まで往復する予定だったが、稜線を少し歩くと残雪に足をとられ、アイゼンもピッケルも持たず短時間では済まないことがわかったので、取りやめる。アプローチに時間がかかったから、日帰り登山に無理は禁物。このつぎは田代山を目標にしよう。 | ||
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2012年1月18日 サエラスキー場 登坂 巌・黒岩繁 高橋守男・村上泰賢 |
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サエラスキー場(片品村) あまり行かないスキー場だが、右手の長い尾根コースと、左西斜面の逆光になるゲレンデがよかった | ||
逆光の西斜面 ここは逆光になるため写真写りがよく、雪煙がきれいに映り込んで、いかにもそれらしく見える。お互いにヨイショしながら、たのしく滑る。 |
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ふつうのデジカメカメラはシャッターを押した時少し遅れて切れるから、いい瞬間がとらえられない。 | ||
連続モードに切り替えればいいのだが、めったに使わない素人の悲しさ、操作方法がわからないから普通のまま撮る | ||
長い尾根コースは数段に別れ、上州武尊山の展望もよく、いろいろな斜面を楽しめる | ||
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2008年平成20年2月 |
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信州・車山は快晴、360度展望のスキーだった | ||
快晴の車山山頂で背景は北アルプス連山 | サア、滑ろう | 滑り出すと止まらない面々 |
登坂 71歳 | 大沢 65歳 | 村上 66歳 |
梅沢夫人 年齢不詳 | 梅沢 65歳 | 薗田 61歳 一番若い! |
まあ、こんなもんでしょう | 楽しかったア~ | きつい壁だったなア~ |
まだまだやれるよ~ | ぎっくり腰も何とかクリアしたよ~ | いい滑りができました~ |
何やってるんだ・・・ | こんなとこ、撮るなってば~ | 毎日蓼科山に見守られていました |
ほらあれが槍ケ岳で、鹿島槍まで続いていて… | 正面は八ケ岳が輝き | その右に富士山も見えた |
関連ページ ■白山は花いっぱいの山だった(2007年7月) □宿はこちら「ピステ」…フランス料理とワインが美味しい。マスターはスキーのインストラクター。 写真提供:ほとんどオーナー栗原氏撮影 |
2006平成18年2月 第1日、降雪の中を滑っていると、夕方雪がやんで対面のゲレンデ一面に滝雲が出現した。目の前の斜面を雲がなだれ落ち、雲の中からスキーヤーが滑り下りてくる、神秘的な景観に見とれた。 |
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滝雲をバックにハイ、ポーズ | 第2日、快晴! 山頂は360度の展望 | 山頂目指して登る | ||||||||||||
宿「ピステ」はフランス料理 おいしい!! | オーナーはスキーとワインののインストラクター | ワインの種類も豊富だ |