あちこちの山(東善寺HP)          利尻岳                  



 
       利尻岳 1721m

44年ぶりの再登山 やっと登れた山
                    (2018平成30年6月20日77歳)
  
 44年前-1974昭和49年5月、新婚旅行先に島と山があるところを選んだら屋久島宮之浦岳と利尻島利尻岳が候補となった。五月末の屋久島は梅雨期だから利尻島に決めた。しかし、この選択は失敗だった。
 長官山(1218m)まで登ったら、その先は残雪がたっぷりある絶望的な雪稜でまだピッケル・アイゼンの世界。ここでカミさんを落とすわけにゆかないので頂上は断念した。
 元体操部だというカミさんは、ここで記念に逆立ちするから写真を撮れ、という。
         

 ・翌日、稚内への船とその後の汽車で一緒だった利尻島の修学旅行の小学生たちは、車内で席につくとリュックから出したのが干した小魚。誰もが同じようにそれをしゃぶりながら楽しそうにおしゃべりしていた。
 今風のお菓子など誰も食べていなかった。海で獲ってきた魚を開いて干した手作りのオヤツを、リュックに詰めてくれた父母の気持ちと一緒に味わっている風景。いいなあ~、いまでも忘れられない光景だった。
         
        
さあ、44年ぶりの利尻岳登山だ! 

6月18日(月)晴 メンバーは6人。県内の自宅-群馬・藤岡市に集合02:00=北関東道=東北道=青森で三内丸山遺跡見学-青森港14:20~(津軽海峡フェリー)~18:00函館港ー「ホテル函館山」・夕食は函館の小栗上野介ファンE氏(ホテルオーナー)と歴史研究会長S氏とともに、赤レンガのビアガーデンで楽しく飲む。おいしかった。ホテルからすぐ上のロープウェーで函館山に登り、夜景見物。

6月19日(火)晴 函館=札幌=留萌-稚内16:40~(ハートランドフェリー)~18:20鴛泊-「マルゼン」は素泊まりで夕食は女将に紹介された近くの居酒屋「たにかわ庵」。これがおいしかった。シェフは世界中にレストランを展開する「のぶ」で修行、ギリシャの島にいたことがあるという。

▲でっかいホッケ!
 お宿の女将の紹介だからと、こんなでかいホッケを出してくれた。焼き加減と美味しさが、これまでにないもの。ホッケ臭さが微塵も感じられなかった。   

 
 6月20日
(水)晴 宿「マルゼン」01:40ー―キャンプ場02:30-甘露泉水-2合目 ヘッドライトを消すくらい明るくなった。-3合目-4合目-5合目「雷鳥の道標」(610m)04:10-6合目「第一見晴台」(700m)04:35-第二見晴台05:50-06:32 8合目が長官山-06:50避難小屋-9合目07:26-08:25頂上-下山→13:36T夫妻と奇遇―13:50キャンプ場-利尻富士温泉で入浴-鴛泊「マルゼン」-鴛泊港17:35~19:40稚内民宿「しずや」、夕食時間が8時までというので急いで食べる。明日の朝食は断って早出とする。隣の温泉でまた入浴
 やれやれ長い一日だった。
   
▲01時40分、素泊まり宿「マルゼン」から真っ暗な道を歩きだす。街角のカラオケ「ツナミ」ではまだ昨日が終わっていなくて、歌声が響いて賑やかだった。
 今は日の出が早いので甘露泉水を過ぎたあたりから次第に明るくなる。
   
第一見晴台(760m) ここまで緩やかに登るとハイマツも現れ、眼下の見晴らしもいい。稚内方面から礼文島までよく見える。 風もなく、心配した天候もなんとかもちそうだ。
   
 ▲ザック  31年前の1987年北海道インターハイの役員として使ったものを、記念に背負ってきた。 北海道の山のヤブコギ用に、余計なものはいっさいついていないシンプルなもの。30年以上になるのにどこも壊れず、丁寧に作られている。
 



 
 ▲オオバナノエンレイソウ 花びらが大きい 
 ウコンウツギ(下) 中心の黄色が鮮やか 
   
▲ 8合目の長官山 44年前はここまでだった。眼の前に最後の登りの稜線がよく見える。暑くなく寒くなく、絶好のコンディションで登れる 。 
   
▲ 西に沓形港 左が沓形稜だろうか  ▲ エゾエンゴサク ケシ科の青い花
    

 
利尻の花
 
 上段左からイワベンケイ・ハクサンチドリ・エゾノハクサンイチゲ…とはややこしい
     中段 ザゼンソウ  
    下段
 マイヅルソウ が多い山だった
   
避難小屋 20人位は入れそう  ▲長官山(右端)もだいぶ下になった。 
   
9合目 もうすぐと喜んだが、横を見ると「ここからが正念場!」 だという。まだ油断できない、ということらしい。 足元が火山性のザレた赤土になった
   
 ▲9合目 ここからも展望が良い。稚内から礼文島に向かうS夫妻が乗っている船が見える。 崩壊 右手の山肌がえぐられ、登山道ギリギリ に迫っている。
   


▲木の階段、金網、網目状の強化ビニールなどの階段材料、それにロープ、金棒…でどれが適しているかテストしているように見える。これを担ぎ上げ、工夫し工作して登山道を維持する地元の努力があって、私達は登れる。 感謝、感謝ー
   
最後の登り 登山道がえぐられて深く掘り込まれ、足元の土が流れるザラ場だから、階段もすぐに埋まってしまう厳しい所。将来どうなってしまうか―。
   
 ▲ 次第に霧がまくようになり、風も強く吹き出した。 ▲頂上も霧に覆われてきた 
   
頂上 8時25分 礼文島組の船の着港とほとんど同時だった。 風と霧  ・・・で、ゆっくり休んでいられない。それに下から登ってくる団体とあのザレ場で交差したくないから、すぐに下山にかかる。
   
甘露泉水  13時23分 中高年登山は下山も疲れる。途中で若者数組がさっさと追い抜いて下っていった。オレだって、昔は… 奇遇! アラ!と声をかけられて驚いた。 キャンプ場手前で会ったTさん夫妻は義姉の友人で小栗上野介ファン、東善寺へ来たこともあるという。ビックリー

 昨年は全身麻酔の手術を2回した。
まず4月に喉にできたポリープの除去手術、
9月には左膝の半月板損傷でまた手術、
いずれも2泊3日のお泊り保育くらいで手術は済んだ。全身麻酔のテラン。

 しかし左膝は腫れが引いてからもなかなか完治せず、いまだに正座ができない。スキーはしてもいいむしろ勧める、という医師の助言で滑る回数を増やして筋力をつけた。しかし本格的な登山は半月板損傷の原因となった昨年7月の南蔵王以来だから、今回は登りきれるか多少の不安があった。礼文島組に回ればよかったかな…、真っ暗な中を歩き出したころ頭のスミにチラッと浮かんだ。
 それだけに、無事に登れたことに安堵し、誘ってくれ往復運転で極楽旅をさせてくれた同行の皆さんに感謝したい。一人では来なかったろう。
 

 6月21日(木)晴 稚内05:00-08:00三毛別さんけべつ羆事件跡地・大正4年冬に実際に起きた羆ひぐまによる開拓部落襲撃事件。10人が殺傷された。吉村昭『羆嵐くまあらし』の現場はここだった-08:54小平町鰊御殿・江戸時代後期から昭和30年代までニシン漁で栄えた様子がよくわかる。-13:30小樽・散歩がてら船での夕食を買い込む 小樽港発17:00~(新日本海フェリー)新しい船で、昔あった大部屋と映画館はなくなり、船室個人ベッド形式が主流。露天風呂まであった。

 6月22日(金)梅雨明けのようなすごい晴 ~09:00新潟港-市内の法音寺で小栗上野介の父で新潟奉行赴任中に死去した忠高公の墓参り=群馬・藤岡市へ戻って解散-帰宅
 
 
▲日本海の上でカンパーイ!

▲最後に記念のアルバムまで造ってくれた
仕掛け人のTさん(立っている)
お疲れ様!!