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さらに村上氏は、「明治以後の薩長史観によって、幕末の日本人の努力を不当に低く評価した歴史が教えられ、遣米使節の見聞と小栗のその後の業績は咸臨丸で隠されてきた。小栗を正当に理解するには、まず咸臨丸をどかさなくてはならない」とたいへん勇気ある発言をしておられます。ここで村上氏は’薩長史観’にのみ言及していますが、他に‘マルクス主義の歴史観‘‘皇国史観‘‘東京裁判史観‘‘司馬史観‘等を挙げることができるでしょう。思想史家の坂本多加雄氏は、『近代精神史論』(講談社学術文庫)において、「特定の歴史観をあらかじめ前提にして過去を眺めることが、その豊かで多様な現実を捨象してしまう」と指摘されましたが、まさしく私たちは、‘咸臨丸をどかす‘気概で日本の歴史に向き合い、自らの言葉で次の世代に語り伝えなければならないと思います。
そして最後の村上氏の「命がけで小栗夫人一行を守り、あるいは会津の土になった村人の義の行いは、そのまま130余年後の上州人の誇りであり、言い訳も説明もせず黙々とおのれのなすべき当事者責任を果たして死んでいった小栗公の業績と共に永く語り伝えたい」という言葉は、私の胸の底にたしかに届きました。平成の今日、東京の片隅の役所に勤め、子育てをしながら、喜怒哀楽の日々を送っておりますが、村上氏の言葉を心に刻み屈することなく歩んでいく所存です。
村上泰賢様、『会津人群像』編集部の皆様の益々の御発展を祈念致します。
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