官軍意識・東善寺HP       官軍意識との戦い


官軍意識との戦い

復刻・蜷川新著『維新前後の政争と小栗上野介の死』 のパンフ推薦文
マツノ書店・2013平成25年10月
 官軍という言葉がある。
 「官」の反対語は「民」であるのに、どうしたことか「官軍」の反対語が「民軍」にならず「賊軍」となる。世の中それほど単純なものではあるまい。こうなると「官軍」はよろしくない決めつけ言葉であるから、私は「官軍」という言葉を使わないようにしている。
 
 小栗上野介は幕府解散で勘定奉行ほか陸軍奉行などの兼職も一切解かれたので、幕府に帰農隠棲願の許可を得て家族とともに知行地の上州権田村に移り、東善寺に仮住まいをした。ところが、居宅を造り始めて二ヶ月後、やってきた西軍によって養嗣子又一及び家臣六名と共に殺されてしまった。

 いま、小栗公らが斬首された烏川の水沼河原(高崎市倉渕町)に、「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」と彫られた顕彰慰霊碑が立ち、終焉の地であることを示している。碑文は『維新前後の政争と小栗上野介の死』の著者蜷川新(にながわ あらた)の書である。
          

顕彰慰霊碑(水沼河原

「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる 
岳南蜷川新」
 石碑は、斬首された河原を守って草刈りを続けてきた一村民の「このままでは小栗様が殺された場所がわからなくなってしまうから、石碑でも建てて…」という訴えを契機として、旧倉田村と烏渕(うぶち)村村民有志が建立計画を起し、蜷川に碑文の揮毫を依頼した。蜷川は前記碑文と、もう一枚「幕末の偉人 小栗上野終焉地」と二枚を書いて届け、村人に選択を委ねた。村人は協議の末、こちらが本当、と前者を選んで彫った。このような散文体の記念碑は珍しいといわれる。

 さて、戦前は表現の自由はなかったからこういった建碑はすべて内務省に届け出ることになっていた。所轄の高崎警察署に届けると、署長山浦から「碑文に『罪なくして…斬らる』とあるが、小栗上野介を斬ったのは官軍だ。官軍は天皇様の軍隊だから罪のないものを斬るはずがない。穏やかでないから何とかしろ」とクレームがついた。別の碑文に彫り直せ、という強権指導である。
 
 困った建設委員長市川元吉は、その窮状を蜷川に報告して対処を相談した。すると蜷川から「田中義一(総理大臣)に話をさせるから、待っていなさい」と返信があった。小栗道子夫人の妹はつ子が蜷川の母であり、国際法学者として活躍していた蜷川は、田中義一から国際問題に関して諮問を受け、助言をする立場にあった。田中義一からの指示があったものか間もなく署長のクレームは沙汰止みとなり、昭和7年5月5日、除幕式にこぎつけた。もう一枚は高崎市役所倉渕支所に額装で掲示されている。

蜷川新の書額(倉渕支所)
 
 署長が口にした「官軍が罪のない者を斬るはずがない」という認識と、明治新政府の対極=幕府側に居た人物は逆賊、賊軍とする意識は、この署長のみならず明治以後の官僚、軍人、そして明治史観で教育された多くの国民が抱いていた通念であろう。民主主義の反対だから官主主義と名づけていい官軍意識である。
 しかし、世界中の軍隊で「何をしても正しい軍隊」が存在したことがかつてあっただろうか。昭和20年の敗戦でこの官軍意識は払拭されたはずであったが、じつはいまだにこの国にはびこっていて、たとえば福島の原発事故も官軍意識で進めてきたことの破綻とみられる。

 蜷川は国際法学者としての視点で、幕末明治の政争と明治新政府の汚点とも言うべき小栗主従殺害の理不尽を本書で鋭く指摘し、今では所在が不明な貴重な古文書を駆使して小栗公の業績と悲惨な末路を確認することに力を注ぐ。そして時に薩長政府を攻撃する言葉が激越なものとなるのは、上野介の義理の甥という身内の視点が入ることもあろうが、文中に「官軍」の語を普通に用いているように、当時の通念を無意識のうちに受け入れてしまっているジレンマからであろうか。

 遠慮会釈なく痛烈に攘夷派や薩長政府の矛盾を攻撃する内容に「こんな怖い本は出せません」と幾つもの出版社から断られたすえ、説得して昭和3年に本書の刊行にこぎつけるとたちまち売り切れ、わずか2週間に4版を重ね、2年後に「続」までも出版するベストセラーとなった。
 明治二年、村人は館林に運ばれ首実検後に埋められていた小栗父子の首級を盗掘して遺体に戻し、明治政府の管理下のものを盗んだのだから永いこと(昭和30年代まで)これを秘していた。これも官軍意識との戦いといえなくもない。(村上泰賢)
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