東善寺HP         官軍意識との戦い―「会津人群像」記事




官軍意識との闘い

小栗父子主従八人を殺害し財産を奪って軍資金とした
明治新政府軍が”官軍”
(何をしても正しい軍隊)だという

 「官」の反対語は「民」のはず。ところが「官軍」の反対語は「民軍」とならず「賊軍」になってしまう。おかしな日本語である。
 賊軍はー何をしても悪い連中と決めつけるから、反対語の官軍はー何をしても正しい軍隊という意味になれる。そしてここから生まれた官軍意識が明治以後の政府の中心思想を支え、昭和20年の敗戦に日本を引きずった。

 たとえば、小栗忠順主従が西軍によって殺害された水沼河原に昭和初年、村人が醵金による顕彰慰霊碑の建立を計画した。碑文は「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」。書いたのは
小栗道子夫人の妹の息子(義甥)で国際法学博士の蜷川新(にながわあらた)
 明治以降~敗戦まで日本に表現の自由はなかったから計画を内務省に届けると、窓口の高崎警察署長山浦から「罪なくして」にクレームが付いた。「碑文が穏やかでない。小栗上野介を斬ったのは官軍である。官軍は天皇様の軍隊である。天皇様の軍隊が罪のない者を斬るはずがない」。

 顕彰慰霊碑

場所は:高崎~国道406号『草津街道』室田から~倉渕町・信号三ノ倉の郵便局前で左折、200m.の橋の袂右手。

『会津人群像 33』
 


  困って蜷川に相談すると「待っていなさい。田中に話をつけさせるから」と返事が来た。蜷川は田中義一首相の国際問題政治顧問であった。間もなく建立許可が下り、昭和7年5月5日署長も参列して除幕式にこぎつけた。

 じつは、蜷川はどちらでも選べ、ということで碑文の候補にもう一枚「幕末偉人 小栗上野終焉之地」があって、村人がこちらが本当だと「罪なくして斬らる」を選んだ見識は、官軍意識との戦いといえよう。

 敗戦で官軍意識は消えたはずと思っていたら錯覚だった。それがお上のやることに誰も逆らえなくして進めてきた福島の原発事故。さらに官軍意識の強い国に戻そうとする気配も感じる近年、官軍意識に苦しめられ戦ってきた会津と、支える『会津人群像』の使命はこれからも重い。

                        『会津人群像 No.33・2016秋』特集:明治戊辰150年に想う 所載 村上泰賢