| 小栗上野介随想(東善寺) ● ● お首級(くび)迎え |
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| 首級は館林へ送られる 慶応4年閏4月6日〈1868年5月27日〉朝、小栗上野介は家臣3名とともに烏川の水沼河原で、西軍によって斬首された。処刑が終わると主従の首は青竹に刺して道端の土手の上にさらされ、「朝廷に対し大逆を企て・・」という無実の罪状を書いた高札が建てられた。 |
![]() ▲法輪寺・館林市朝日町 |
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お首級(くび)迎え 翌明治2年春、会津へ小栗上野介夫人を護衛して行き、東京まで送り届けて権田村へ戻った農民中島三左衛門は塚越房吉とともに、殿様の首がないままなのを憂えて、館林へ出かけてゆく。かつて冗談交じりに「自分もいつか、井伊大老のように殺されるかもしれないが、死んでも首と胴体は一緒にいたいものだ」と、語った上野介のことばが耳にあった。 |
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あちこちで「首はここに・・・」
村人は明治新政府の管理下にあるものを盗んできたわけだから、やたら口外せずに,子から孫にのみ言い伝えて供養を続けてきた。私が子供のころ、毎年4月6日になると「お殿様のご命日だからこれをお供えしてほしい…」と、塚越太源治さん(源忠の孫)が重箱に赤飯をつめて、お参りにきた。 〈「歴史読本」平成8年11月号・村上泰賢「小栗様のお首級迎え」より抄出・加筆〉 |
| ■小栗父子及び家臣の墓の脇に咲く名花・小栗椿 |