小栗上野介の史跡(東善寺HP)   ●  高崎市倉渕町の水沼河原・観音山・相間(あいま)川 など


水沼河原・観音山・相間(あいま)など

顕彰慰霊碑
高崎方面から国道406号で信号「倉渕郵便局前」を左折、200m。烏川のほとり・水沼橋のたもと右側(上流側)


昭和4年、上野介の遺徳をしのび非業の最期を悼む村民は寄金を集め、この斬首の地に顕彰慰霊碑を建てる計画を進めた。

明治以降〜敗戦まで、こういう碑を立てる時は内務省(いま自治省)に届ける決まりであり、窓口は警察署であった。

碑文に、『偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる』という文字を刻む予定として届けた。

ところがまもなく建碑責任者の市川元吉村長は、高崎署署長の呼び出しを受ける。

「碑文に罪なくして斬らるとあるが、斬ったのは官軍だ。官軍は天皇様の軍隊だ、天皇様の軍隊が罪のない者を斬るはずがない、あの碑文はおだやかではない、なんとかしろ。」
と署長は告げた。
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「官軍」という言葉


官軍とは「天皇様の軍隊であり何をしても正しい軍隊」として、反対語を「賊軍」とする決めつけ言葉。

およそ世界中の軍隊で、何をしても正しい軍隊が存在するはずがない。
しかも、「官」の反対語は「民」であるのに、官軍の反対語を「賊軍」と決めつける発想は乱暴かつお粗末である。

当地では官軍と言わず「西軍」と呼ぶ。

  
 顕彰慰霊碑・水沼河原
小栗主従はこの河原で西軍によって殺害されました。


碑文
「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる 岳南蜷川新書」

昭和7年、村人は基金を出し合ってこの碑を建てた。
上野介夫人道子の妹ハツの息子で義理の甥にあたる法学博士
蜷川新の書が、訪れる人に上野介の無念を伝える。

参照:
勝てば官軍は勝者のおごり

官軍意識との戦い

 この丘の上が屋敷跡

小栗上野介は権田の観音山に屋敷を建てて住もうと工事を進めていた。現在その屋敷は前橋市総社町に民家都丸氏邸となっている。
観音山は国道からいっきに上がった小高い丘の上で、屋敷跡地や馬場の跡がそのまま残り、遠くの沢から上野介が引いた用水がいまも流れつづけている。

「いまにこの谷から太政大臣を出して見せる」
上野介は村に土着して若者に新しい時代に対応できる教育を施そうと考えていた。「ぶちこわし」の暴徒を追い払った後、脅かされて暴徒側に加わったことを詫びにきた隣村の村役人に、その夢を語ってこれからは手をたずさえてやって行くことを説いた。


アメリカ帰りが4人いた

この屋敷が出来ていればその夢が展開されたはずであった。
当時この村には、小栗上野介を含め塚本真彦、江幡祐造、佐藤藤七と、世界一周をしたアメリカ帰りが四人もいたし、養子又一はフランス語伝習所を卒業した優秀な若者だったから、それは可能であったろう。

 

         小高の部落
小高用水    
 権田村字小高の部落は流水が乏しく、いつも田植えの水確保に困っていた。上野介が観音山に器械測量で簡単に水を引いたので、小高部落の人々は小栗上野介に頼んで尾根向こうの沢から引く用水の道を測量してもらった。     

小栗の死後に完成したその用水は、今も小高の集落をうるおし続けている。

塚本一家の悲劇

 塚本真彦は小栗家の用人。万延元年には従者として渡米し、地球一周して帰国している。家族で上野介に従って江戸から権田へ移り住んだが、真彦が高崎で小栗又一とともに斬られると、塚本夫人は母親とともに、娘三人息子の幼児幼女を連れて権田を逃れ、七日市藩(前田家・富岡市)の知るべを頼って、松井田へ出ようと山道に分け入った。山中で道に迷い、母親と幼女一人が自害。

夫人は幼女二人を相間川に沈め、男子のみを背負ってようやく松井田に現れ、助けられて七日市へ向かった。
関連ページ
地蔵峠(リンク)
見つかった馬の鞍…真彦が使ったか?

姉妹観音
小栗家の用人塚本真彦の幼女二人を悼んで建てられた

平成4年12月、小栗上野介顕彰会は殉難した幼女二人を悼んで、この観音像を相間川のとおらず渓谷のほとりに建てた。一石から姉妹を彫った珍しい像。制作:萩原義雄(吉岡町)

小板橋良平著『小栗上野介一族の悲劇』に詳しい。

塚本家殉難の地

塚本の母マキと娘(孫)シサの二人は、山中で迷い、炭焼をしていた下田喜十郎に会い案内を頼む。喜十郎が支度のため家に戻り、着替えて弁当を持って戻った時、密告されたと絶望したものか、マキは孫の喉を突き、自らも自害して息絶えていた。
喜十郎は驚き、遺品を持って七日市に報告。遺骸は後に下田家墓地の脇へ、さらに昭和30年東善寺へと改葬された。

場所:地蔵峠から林道を西へ約3キロ、さらに右手(北)へ入る林道を500ほど下って、左の尾根を越えた下ノ沢。(営林署の許可無くしては、勝手に車では入れません)
塚本家殉難の碑

碑「自決の場」

地元民の案内なしではわからないところです。
関連ページ
遣米使節小栗上野介の従者
横浜フランス語伝習所:日本最初のフランス語学校
勝てば官軍は勝者のおごり:何をしても正しい軍隊はない