東善寺HP   ●     三叉の鉾の国・宮崎の旅  



三叉の鉾の国
・宮崎の旅と九州の鉾
2015平成27年1月29日~2月1日

   

◆三叉の鉾が九州各地の石宮や祠に祀られていることがわかったので、特に多いと思われる宮崎県へ確認の旅に出た。
◆鉾を供える信仰は、ヒンズー教のシヴァ神の持つ鉾〈トリシューラ)にルーツを求められるのではないか。「ヒンズー教」や「シヴァ神」といった言葉は置き去りに、古代東アジアに「山は神様」「大黒天・不動明王が山の神様」「シンボルは三叉の鉾」という信仰形態が伝わったと考える。【村上説


◆なぜ三叉の鉾を探すか、詳しくはこちらのページ「三叉の御神木はシヴァ神の鉾」を併せてご覧ください。

  

尾八重おはえに鉾を訪ねて 1月29日(木)

尾八重の一本杉 
宮崎県西都市尾八重地区は山深い一ツ瀬ダムの上流地域。  
     
湯乃片神社入口
 早朝に群馬を出て、昼に宮崎空港着。明林堂書店で2.5万分の1地図を買い、西都ICから国道219を北西に走り、「ひむか神話街道」~大椎葉トンネル~狭い舗装道路をどんどん上って湯乃片神社入口についた。
 ▲湯乃片神社(ゆのかたじんしゃ)案内板
ここから途中湯乃片神社のそばを通って「尾八重の一本杉」の根元にあるという三叉の鉾が第一目標。ここから左に狭い林道に入る。
*宮崎では宮司さんも「じんしゃ」と言う。
尾八重の一本杉入口 
Uターンはおろかすれ違いもままならない、車一台分だけ舗装された細い林道を、対向車が来ないことを祈りながら走って、入口分岐に着いた。ここだけUターンが出来る場所。レンタカーを置いて300㍍下がる。小雨模様となった。
     
傘をさして少し下ると、あった!尾八重の一本杉だ、すごい迫力! 生きているエネルギーが感じられる。 尾八重の一本杉
尾根道の途中に怪異な枝を広げ踏ん張る姿に、しぜんに畏敬の念が湧いてくる。 
さてこの根元にあるという「三叉の鉾」はどこだ・・・と探すと、あった! 
     
三叉の鉾
 これだ!これが「御神木三叉の木はこの鉾のイメージから」、という私の仮説を証明してくれる鉾だ。これを知ったので宮崎への旅が始まった。感激のご対面!
中央の剣は64㌢あった。
湯乃片集落?
夕方、暗くならないうちにと、恐ろしい林道を戻る。雨が上がった対岸の高い山腹に数軒の家が見える。湯乃片集落だろうか。
 
車幅だけの林道
めったに車が通らないのか、落ち葉がいっぱいのところもあった。 
     
 ▲湯乃片神社
往路の林道から下に湯乃片神社が、ちらと見えて気になったので、念のためお参りしてみると―
湯乃片神社の鉾
ワッ、あった!
近づくとなんと一本杉と同じくらいの大きな鉾が堂々と供えられている! 大収穫!!
柄もついている
しかも長い柄もついて、これはもう間違いなくあのシヴァ神の鉾そのものだ。 
     
思いがけなく、立ち寄った湯乃片神社にはたくさんの鉾が供えられていた。拝殿の格子戸の奥にも、大小の鉾が見える。また四角い木槌は「大黒天」への供え物かもしれない。シヴァ神は真っ黒い姿で「マハ(大きい)カーラ(黒)」と呼ばれる。大黒天だ。それが日本では「大國主命」と習合して、同じに扱われるが、大黒天はシヴァ神である。  
*後日会った尾八重神社の中武宮司は、尾八重神社よりも湯乃片方神社のほうが歴史が古いと教えてくれた。
宮崎の旅初日で大収穫があったので、満足して宮崎市内に戻る。
   
尾八重の一本杉・湯の片神社・有楽椿の位置
湯乃片神社…国土地理院地図ガイド
:この地図の+マークが湯乃片神社
・左の「横尾」の分岐点が一本杉への分かれ道。少し下がった鞍部が一本杉
有楽椿は「横尾」の西の尾八重川対岸の「樅木尾」の家記号のあたり。林道から標高「528」の数字の先の分岐で車1台幅だけの舗装路を下る。
・「鹿倉様」の祠は、林道から樅木尾へ下る分岐にある。
 
▲六野原(むつのばる)古墳群出土の鉾
帰途、ふと立ち寄った西都原古墳群。売店で教えられ訪ねた考古学博物館で鉾を探しにきた話をすると、学芸員から「国富町の古墳出土の鉄鉾」の図・『宮崎県史-資料編考古2』p619・のコピーをいただけた。間違いなく古代から日本に三又の鉾を祀る信仰があったことを示す、すごい資料だ。  
 
 
神門
みかど神社の鉾を訪ねて  1月30日

百済くだらから渡来した王族がいったん落ち着いた大和から、さらに壬申の乱を逃れてたどり着いたという

宮崎県東臼杵郡美郷町南郷
     
 ▲神門神社
百済の王を祀り先週行われた「師走まつり」の熱気は去って、人影もまばらだった。
西の正倉院 
奈良の正倉院御物と同じ古鏡があるということで、ホンモノと同じに作られた「西の正倉院」はさすがに堂々としたいい建物だ。
西の正倉院前庭
前庭もきれいに掃除されている。さて、鉾はあるか
 
     
1006本の鉾                                   
神門神社本殿の天井裏から発見されたという1006本もの鉾が綺麗に並べて展示されている。その中にやはりあった! 直一本の鉾が多いが、ところどころに三叉の鉾が混じっていてかなりの数量だ。予想はしていたがこれほどたくさんあるとは!
百済の王とのつながりもあろうが、もっと古くはやはりインドから伝わったとみるべきだろう。
   
 
ついでに寄った 若山牧水のふるさと 坪谷村 
 
若山牧水の生家
   
若山牧水の生地・坪谷(つぼや)
神門神社の帰り、尾鈴山の北麓、坪谷川がゆるくカーブする県道に面したところに、若山牧水の生家を訪ねる。意外にも牧水の祖父は埼玉県出身で長崎へ蘭方医学を学びに来て、そのままこの地に住み着いてしまったという。「川のみなかみに限りない愛着を持つ」という牧水の心情はこの山川の自然の中で育まれたものか。

早大生の頃、結婚を思いつめながらかなわなかった女性、薗田小夜子の写真もパンフにあった。有名な
◇幾山河越え去りゆかば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅行く

の歌はそのころに作られたもので、牧水はこの歌の意味するところは一切語っていない謎ともいえる歌。

複雑な背景を持つ小夜子との結婚を周囲に強く反対され、あきらめきれずに小夜子の生まれ故郷岡山県の山里を一人で訪ねた傷心の旅で生まれた歌だと、西伊豆土肥(とい)温泉の宿「土肥館」の会長が歌の背景を語ってくれたのを思い出す。

同じ頃作られた歌が、
◇白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ

岡山の旅の後宮崎へ帰る船の中で読まれた歌、「幾山河…」と共通する心情を汲み取って欲しい、と「土肥館」の会長は語っていた。

◇ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ 秋もかすみのたなびきており
ここから 直接頂上は見えないが、牧水にとって尾鈴山はふるさとの代名詞ともいうべき山だった。
明日は、その頂上神社にあるという鉾を訪ねて登る予定だ。
     
            ▲美々津宿・ 日向市美々津町
日向灘に面した古い港の宿場町美々津(みみつ)宿は耳川の河口に出来た港町。古い町並みが
タイムスリップしたように残されていた。種田山頭火が訪れたという句碑が浜辺近くの駐車場脇に
あった。
      ◇墓がならんで そこまで 波がおしよせて   山頭火

夕方の観光客は私一人。人影のない宿場を歩いた。
 ▲「民」 美々津宿
 
神武天皇が東征のために船出したから「日本海軍発祥の地」だそうで、なんだか横須賀と関係ありそうななさそうな石碑が立っていた。戻りにのどが渇いて立ち寄っ店が「民」。アジアの雑貨や衣類を楽しそうに並べ、古民家とマッチした店内だった。コーヒーを飲みながら女主人と話しているうちつい鉾の話をしたら、若いのに大変興味を持って聴いてくれたので、うれしくて今日の旅の締めくくりにお店を紹介。

尾鈴山の鉾    1月31日

都農(つの)町からみる尾鈴山  左右対称のきれいな山容だ

宮崎県民にとって尾鈴山は故郷宮崎を代表する山の一つであろう。
その山頂の尾鈴神社の祠にも鉾が納められている、という情報を頼りに登ってみると…
     
 ▲すごい道
ホテル7:00発~日向IC=都農ICから県道307に入ると、一昨日の尾八重の道路にもまさる悪路になる。車の底をこすらないよう慎重に走らせる。
豪雨で舗装が剥がされた道 
豪雨の濁流が道路を川にしたらしく、舗装が剥がれている。レンタカー会社には見せられない画像だ。
 ▲登山口 9:05発
登山口手前の橋の近くに駐車して5分で登山口に着いた。今日は晴れて、気持ちいい登山日和だが、さすがに空気は冷たい。
     
▲1合目
山頂まで10数分ごとに◯合目標識があって、視界が効かない単調な登りのポイントとなる。 
 ▲ブナの落ち葉
初めは杉の植林もあったがしだいに常緑樹、シイ、カシ、太いのは松の木にヒメシャラ。おや、靴の先にブナの落葉だ。
ブナ
見上げると太いブナが数本見える。ツガの大木もかなりあった。 誰にも会わない静かな登山。オヤ、すぐ横3,4メートルの林の中を狐がすまして下りていった。
     
▲展望台
9.5合目は見晴らしがきく展望台。丁寧に描かれた展望図が、知らない土地の眺望を教えてくれる。 
▲ 尾鈴神社 10:40着
これが山頂の尾鈴神社の鳥居だ。
この奥の木の根元に祠があるはず。
神社の祠
さて鉾はあるか・・・ない! どうしたのだ!
古い九州の山の本には石の祠に鉾が入った写真があるのに・・・。
     
▲凍りついた鉾
もしや、と石宮の背後をよく見ると、・・・あった!意味がわからない人の手によって石宮から取り出された鉾の金属片が捨てられ、地面に凍りついている。 
▲鉾のかけら
2枚ほどそっと剥がせたが、残りは凍りついている。剥がした破片をもとの石宮に納めた。これは「尾鈴山は神のいるところ」とみる古代信仰の大事な証拠の文化財だ。これの大きいものが高千穂峰だろう。尾鈴山も高千穂峰に並ぶ「鉾の山」と言っていいのだ。
 
▲山頂1405.2m

本当の山頂は神社から30メートルほど離れたところ。石積みがされている。セルフタイマーで記念写真。 
     
 ▲滝が多い渓谷
尾鈴渓谷は滝がたくさんあって、滝めぐりのコースも作られているが今回はカット。
すぐに下山し都農町観光協会に行って、春になったら鉾を剥がして石宮に戻して欲しいとお願いする。
尾鈴キャンプ場の鉾
すると、鉾はキャンプ場の管理棟近くのモミの大木の前の石宮にもある、と教えてくれる。急いで再び尾鈴街道を引き返し、キャンプ場の石宮の鉾を確認する。〈屋根の右下にあった) これからも大事にしてほしい。
今日も思わぬ収穫があった。
関連のHP:尾鈴大山神・・・今は片方かけているが、かつてはこんなに立派だった。元のページはコチラ尾鈴大山神
▲モミの巨木
キャンプ場のモミの木はなかなかいい木で大事に囲われ、これから巨木になりそうな風姿だ。 
三叉の木か、と思ったが残念ながら二又だった。このあと再び都農に引き返し、都農神社や尾鈴神社の管理者である祖霊社の宮司を訪ねて話を聴き、宮崎市内に戻る。
 

ふたたび尾八重(おはえ)  2月1日(日)
有楽椿の里・樅木尾(もみぎお)の鉾
  
今日は最終日。予定を変え気になっていた尾八重神社を訪ねることにした。有楽(うらく)椿も見ておきたかった。
     
尾八重神社
前回の「湯乃片神社入り口」からの林道をやめ、「ひむか神話街道」をさらに上がって、尾八重牧場手前から尾八重集落に下がる。 狭い道を下ってゆくと、尾八重神社の鳥居があって大きな杉の合体木が迎えてくれた。 拝殿をお参りしたが、鉾は見当たらない。では、有楽椿まつりをちょっと見てから帰ろう。
     
 いったん尾八重川まで下がって橋を渡り、対岸の尾根に向かって少しずつ上がってゆく。狭い舗装道路だ。ふりかえる対岸が尾八重の集落、その上が尾八重牧場らしい。
 天然のミツマタ
オヤ、道端に天然のミツマタが生えている。かつて紙の材料を供給した名残だろうか。さすがに南国だ。

          石宮「鹿倉様」▲
林道から「有楽椿の里」へ下る道は急角度に戻る入口となる。そこへ入りかけると道脇に小さな鳥居と石宮が目についた。気になる・・・
     
▲「鹿倉様かくらさま」  念の為のぞいてみると、中に木のお札(ふだ)がたくさん。さらに念の為お札の奥をみると…あった! 5,6枚の金属の鉾が納められている! 私のイメージ通りの情景だ。 ▲鉾  ここにもやはりあった。来てよかった、という思いでシャッターを切って奥に戻した。 
*尾八重牧場で地元の人にこの石宮は
「鹿倉様」という名称を教えてもらった。
有楽椿  有楽椿まつりは準備が始まったところ。地元の人の出店はユズ製品が多い。、今年は花がイマイチだという。
     
とりあえず名木の写真を撮ると、牧場にいるという宮司さんに会うため尾八重牧場へ戻る。  ▲祭事・有楽椿まつり
牧場は椿の里へのシャトルバス乗り場で、大勢の人が順番を待っている。宮司さんは祭事があって忙しい。私は帰りの午後の飛行機が忙しい。 
ちょっとの時間、中武宮司さんに立ち話で鉾の話をしてプリントを渡す。興味を持ってくれて、時間がないことを互いに嘆いて別れる。
返したレンタカーは3泊4日合計651キロ走っていた。 
宮崎日日新聞 「窓」欄に
投書

平成27年2月12日付に掲載されました

・「鉾の国・宮崎」県民に鉾を大事にしてほしいと思い投書しました。


九州各地の 鉾 情報 
  
福岡県の鉾
宮地嶽神社

山をご神体としていることは間違いない。


*画像はいずれもHP「宮地嶽神社」より

▲御祭神の絵に鉾


▲拝殿の左右にも鉾

▲不動神社 奥の宮八社の一社として祀られている。不動明王の本源はシヴァ神。 


▲この神社にはリンガまである
宮地嶽神社「筑紫舞
・舞の舞台に飾られた4本の鉾は上のユーチューブ動画で
・11月には手作りの「御神鉾」で商売繁盛大願成就

*宮崎県ではありません
福岡県福津市宮司元町7-1

福岡県の鉾
櫛田神社
ここも鉾が飾られていた。(未見)
門の柱の鉾があった ▲拝殿内部の正面にも鉾▼
拝殿内も柱ごとに鉾がいっぱい!

   
 東光寺跡の稲荷神社(高鍋町東光寺)
一部破損した鉾が横たえられている。
画像提供:徳留英裕氏
関連のHP・・・「居酒屋なんじゃろか」
 
  
▲HP宮崎観光写真より
▲的野正八幡宮(左端)の弥五郎どんの 
弥五郎三兄弟…左から的野正八幡神社(宮崎県都城市山之口町)・岩川八幡神社(鹿児島県曽於市大隅町岩川)・田ノ上八幡神社(宮崎県日南市大字板敷)の三神社にはいずれも「弥五郎どん」がいて、大きな人形の姿に作って練り歩くことが共通し「弥五郎三兄弟」と呼ばれている。
関連ページ:弥五郎どん伝説
実際に都城市 的野八幡宮に弥五郎どん(長男)を訪ねてみると   平成27年12月
   
 
 ▲的野八幡宮の手前に展示館があって、ドーン!と立っていた。背後に回ると、長い柄がついた武器であることがはっきりわかる。まさにシヴァ神の姿といえる。  
 曽於市の岩川八幡神社の弥五郎どん(次男)は一本槍。
でも岩屋観音堂に三又の鉾が!    平成27年12月
 
▲弥五郎まつり館にて
   
  ▲弥五郎どんの仮屋  岩川八幡境内にて
▲岩川八幡の弥五郎どんは古い展示資料では、一本槍を両手に握って立つ姿であった。 その弥五郎どんが神社から出る時の仮屋が境内に高く作られ、脇に説明板が立つ。説明板の横の木はなんと三又の木ではないか!
     
三又の鉾・弥五郎まつり館の拓本

 ▲三又の木 シメナワを張って御神木としてほしい。 ▲弥五郎まつり館・岩屋観音堂の大きな石刻拓本に ▲三又の鉾が彫られている!
     
 ▲岩川八幡から8キロほど南に岩屋観音堂があった。Pから大鳥渓谷に下った所。江戸中期に修行僧行仙坊によって彫られた石刻がお堂の真上の岩壁にあり、拓本のとおり左下に三又の鉾があった。

*この形は、巫女さんが額につける 釵子
さいし▲に似ていませんか
 

▼装飾古墳のチプサン古墳(熊本県山鹿市)にはこんな絵▼も描かれています。


 関連情報

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