2.15大雪の東善寺    大雪の東善寺 2014平成26年2月15日       



大雪の東善寺
   

2014平成26年2月15日(涅槃会の日)


2月15日朝、お釈迦様のご命日涅槃会(ねはんえ)の日に前日から一昼夜降り続いた雪が90センチ。
この積雪量は倉渕地区の旧家の古文書にもない「400年来降ったことのない大雪」という。
▲初めての大雪 15日  外トイレの屋根の雪の厚さがすごい。雪国の人には叱られそうだが、90センチの雪はこの土地では聞いたことがない。昨夜かいておいた内玄関前の雪20aは再び70センチの雪に埋まっていた。しかもこの日午前中は停電だった。
▲車庫の前も雪 ▲車庫の左横の山二つは車2台 ▲これが車2台よ〜
▲表玄関から左を見る  ▲表玄関の正面  ▲表玄関から右も雪
▲参道を雪かき 昼頃雪がやんだ。停電も昼には解消して、ヤレヤレ。 ▲国道406 交通は途絶え、静かな景色 ▲国道406 右・北軽井沢、草津へ 左・高崎
ここから始まる県道松井田線(正面)の除雪は15日夕方6時ころまで手がつかなかった。
門前の用水 雪を落とすと溶かしてくれる ▲なんだか人の顔みたいな ▲2日後17日、本堂前に落雪注意の掲示を出す
16日(日) いま6区の区長をしているので、地域の除雪状況を見るため玄関前から山用スキーにシールを付けて出かける。この土地でスキーを使うのも、玄関前からスキーで出るのも初めて!久しぶりの山スキー。
 まず5キロ山奥・榛名山中腹標高800mの鳴石集落を目指して8:40に出発〜小学校裏通り〜塚越〜上ノ久保〜二本松で13:30。ここまで5時間(ふだん車で5〜6分)!(塚田さん宅で休憩)〜農免道路十字路〜さらに100mくらい上がったら鳴石のトラクター5台が除雪して下ってきたのを確認〜上ノ久保へ戻り〜西榛地区〜権田〜16:30帰宅。あ、疲れた〜。
      共助の力

 自分でできることをする「自助」と、役所による「公助」の間に、地域住民による「共助」が大事と言われる。
 国道の除雪を委託されている土木関係の業者もこの大雪では従業員が出勤できないから、除雪はとりあえず国道406号だけ。「公助〕はあてに出来ないから、まず「共助」で切り抜けることを考える。

 どの家も孤立しないよう班長に協力を呼びかけてもらったところ、班ごとに除雪が進んだ。またトラクターやユンボのある人に協力してもらい、市道や農道のほか倉渕小学校・群馬バスのP・公民館のP・消防分団の詰所前などの除雪をお願いするとたちまち済ませてくれた。すばらしい農家のパワー! を痛感。
あとでわかったこの被害!!
屋根の雪が消えたら、被害がわかりました。もっとすごい雪国の皆さんの苦労がよくわかりました。
▲本堂屋根 下(くだ)り棟の瓦が剥(は)がされていた ▲庫裡の棟瓦も   雪の重さだけで剥がれたのでなく、南側の雪が先に溶け、北側の雪が下がるときに凍結した雪を引っ張り、瓦も引き下ろしたのでしょう。 ▲庫裡の脇の棟瓦も  傷められた
なんと! 400年来記録にない大雪!
                
                  
400年来なかった大    戸塚 祐子

 先月の大雪は新聞によると、前橋では120年ほど続く観測歴史の中で最大の積雪とのことです。120年前というと1894(明治27)年、日清戦争の年です。
 
 高崎市倉渕地域の旧家(現当主塚越孝氏)に、1627(寛永5)年からの村の様子が書かれた記録帳が残っています。数年前、地元の古文書学習会でそれを読み解きました。この大雪の後、記録帳から「雪」と書かれている箇所を抜き出し、「積雪年表」を作ってみました。記載されている中での最大積雪は、今からちょうど200年前の1814(文化11)年11月6日(旧暦)に「大雪1尺7寸」(約50センチ)とあります。
 
 記録帳には大水、大雪、干ばつ、浅間大噴火の火山灰の量などさまざまな自然災害についても細かに記載されています。もし、それ以上の雪が降っていれば、人間味あふれる筆まめな筆者は、おそらく記載したと思われます。

 記録帳から見る限り、この地域では江戸時代でもこのような積雪はなかったとすれば、今回の大雪は過去400年あまりもさかのぼる「歴史的」大雪だったという見方もできるのではないでしょうか。専門家のご指導、ご意見をうかがえれば有難く存じます。
                           
        (上毛新聞「ひろば」平成26年3月10日掲載の投稿記事を筆者の同意を得て掲載・筆者は倉渕町三ノ倉に居住・小栗顕彰会理事)

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