雨さん ●● 装丁(そうてい)本 |
■雨さんの画業 主な装丁本 本のカバー、挿絵(さしえ)など |
■装丁 『故郷忘(ぼう)じがたく候(そうろう)』司馬遼太郎著・文春文庫 カバー 本文は薩摩焼の窯元(かまもと)を訪ねた文章である。窯元の十四代主人沈寿官(ちん・じゅかん)氏は、秀吉の朝鮮の役のころに日本に連れてこられて薩摩に住み着いた先祖を持つ。何代経(へ)ても故郷を忘れられるものではない、いつでも帰りたい、と語る先祖の心を映したかのように、あわい寒空に見える灰色の絶望と、緑と黄色の中にのぞくかすかな白が、たよりない希望をかきたてるカバーと見える。 くしくも雨さんが9月に亡くなられた2001年の、11月30日、前橋市で沈寿官氏の講演があり、私はこの本を持ち雨さんの鎮魂(ちんこん)の思いをもって聞かせていただいた。 (住職村上泰賢) |
■かつて作家水上勉(みずかみつとむ)は『銀花』誌(32号・1977冬)に、だいたいこういうふうに書いている。 「雨さんは初めて私を訪ねてきたとき、丹波(たんば)や若狭(わかさ)のあなたの小説の舞台を描いてきた、という。小説は実在のモデルの地はないからそのような場所があるはずがないと思ったが、見せてもらうと、たしかに小説に書くとき思い描いたような場所がそのままスケッチされていた。……銀座の気まぐれ美術館の州の内徹氏の目にとまり、現代画廊で行なった絵を見に行った。暗い海、暗い山、灰色の空と田園、売約済みの札があった。こんな陰気な絵を誰がこんなに買いこむのだろう。横手さんは会場の隅(すみ)に小さくちじこまっていた。ぼくはこの人は銀座にはそぐわない人だな、と思ったりした。……この人の特性は、森羅万象(しんらばんしょう・このよのあらゆるいっさいのものとできごと)へのやさしさみたいなものかもしれない。 この画家は心やさしいが、それだけに、人にも風景にも裏切られてきた深い悲しみを抱いているにちがいないと思っている。そういうかなしみが、思いきった構図の中で、不可解によどみ、そのよどみが浄化されようとするふうな風景に接すると、ぼくは声を呑むのだ。そのような作品がすでに何点かあった。大事なことは、そのような傑作をこの放浪画家は、飯代(めしだい)にして、ゆきすぎの宿で呉(く)れてやっていることだ。 後世の研究家は、やがて、横手さんが、旅の途次(とじ・みちすがら)に捨てた傑作絵の収集に困る日がくるだろうことが想像される。ぼくにはそれは大変快(こころよ)い空想である。…」 ■司馬遼太郎、三浦朱門、梶浦逸外、黒岩重吾、杉本苑子、吉村昭、津村節子、水上勉、俵萌子、小森和子、林伊勢(谷崎順一郎の実妹)、などの本の表紙や挿絵を担当している。 ■こういう仕事をしても、雨さんはひけらかすことをしない。いろいろ話しているうちに、話の中にボソッと出てくるので、驚いてたずねると、その仕事を見せてくれる。そんなことがしばしばだった。 |