雨さん仕事歴
雨さんの仕事歴

■小学校時代
新聞配達、小森、野菜売り、氷配達、木こり、綿売り、
尋常小学校を中退して丁稚(でっち)奉公に出た。

■年期奉公
宮彫刻師、印刷店職工、割烹(かっぽう)料理と西洋料理見習、鉄工溶接、グラフィックデザイン、京浜の重工業に出稼(でかせ)ぎ、奥只見の銀山平ダム工事、東京で印刷画版制作見習、高崎で画版見習、吾妻で画工、前橋でデザインと画版の自営、御茶ノ水リト工房勤務……など。

小説の挿絵




■画家になるつもりで、その道の勉強をしたことはない。きびしい現実のくらしだった。もともと貧しい家に生まれた私は、小学校も卒業できず、東京へ年期奉公に出た。したがって、その道の学び舎(や)の空気に触(ふ)れたことはない。当然、専門的な知識は何一つ持ち合わせていない。それでも絵心(えごころ)は常に消えることなく歩いてきた。過去の個展の折に、絵で食べるのは大変だよと、それとなくきびしい評を聞いた。絵で生活をと思っての個展ではなかった。
■小僧と呼ばれる一ヵ年百円の労賃契約で、奉公と呼ばれる苛酷(かこく)な昭和初期の時代、月に一回休日の半日を利用して絵を描き、大陸の戦野(せんや)で生死の間を縫ってスケッチもした。帰還して職場にあり空襲警報の敵機来襲中にも絵を描いた。人は私を狂人と呼んだ。さまざまな職業遍歴(へんれき)の道すがら、常に絵心を失うことはなかった。といって常に絵を描いていたわけではない。そのようにして半世紀の人生遍路(へんろ)をかさねた。
          
雨・横手由男  
          (「望郷」パンフレットー1より)