法話・東善寺HP               耳まで手のひらを挙げて、三拝



手のひらを耳まで挙(あ)げて
ヒマラヤで三拝


 檀家さんに訊(き)かれました。
  
 「方丈さん、和尚さんたちが三拝する時、敷物に膝をついて、頭をつけて丁寧(ていねい)にお辞儀しているけど、あの時手の平を上に向けているねえ。どうして合掌ではないんですか―」


 あの敷物は座具(ざぐ)といってふだんは四つ折りして左手にかけてもっていて、三拝する時に外して広げ、その上に膝をついて三拝しますね。

 その時に肘(ひじ)をついた両手のひらを上に向け、耳まで上げるのが基本動作です。お釈迦様、あるいは相手の足を自分の頭上に捧(ささ)げて(いただいて)最高の敬意を表しますという、ふつうの合掌よりも強い意味があります。
 それを三回繰り返すと三拝、もっと丁寧に九拝することもあります。

 このことで、私は印象に残る経験をしています―
 
 インドヒマラヤへ登山に行った時のことです。
 インドの北に長く延びているヒマラヤ山脈は「インドヒマラヤ」といい、その東はネパール国の北にそびえる「ネパールヒマラヤ」から「ブータンヒマラヤ」につながっています。ちなみに世界最高峰のエベレスト(チョモランマともいう)はネパールヒマラヤにあります。

 インドヒマラヤの麓に住む人々はインド人といってもチベットやネパール系の人が多く、仏教の一派「ラマ教」を信ずる仏教徒がほとんどで、顔つきも日本人と似ていますから親しみやすい雰囲気があります。

 その人々をポーターとして雇って、登山基地のベースキャンプまで馬で運んだ荷を、さらに上のキャンプに揚げることを手伝ってもらいました。第1キャンプまでならさほど危険なルートではないから、ふだん登山をしない人でも体力さえあれば荷揚げを出来ます。

荷揚げが始まった頃のことです。
 われわれも一緒に荷をかついで登ってゆくと、先に出発したはずのポーターたちが馴れないせいかしきりに休みをとり、いったん休むとなかなか腰を上げません。標高は5000メートルありますから空気が平地の三分の二程度と薄く、無理もありません。

 しかし、我々が追い越しても、まだ休んでいます。上のキャンプですぐ必要な資材もありますから、隊員たちからあまり遅くなると困る、という声が出始めましたので、隊長の私はポーターたちに向かって「少し急いでくれ!」と大声で呼びかけました。すると腰を上げましたが、何か不満そうな顔でこちらをチラッと見るポーターもいます。

 こんなことがもとでトラブルになってこじれると、あとの行動に支障が生じます。このままではまずい、なんとかしなくては…。


▲氷河の水で食事の支度をするポーターたち
足元の石は氷河が運んだもの、2、3枚どかせば下は氷
◆1980年8月群馬高校教職員インドヒマラヤ登山隊
◆写真複写のため不鮮明です。この頃デジカメはなかった。
 
第1キャンプ地に着いた私は、遅れて到着したポーターたちにジュースと菓子を持って行き一人ずつに渡して労をねぎらいました。すると一人がコップとお菓子を足元の岩に置き、私に近づいてきます。

一瞬(いっしゅん)私はドキッとしました。何か不満でもあるのか―。

 近づいた彼は私の足元に膝をついて身をかがめると、私の靴に手で触れ、それから両手の平を耳まで上げながら膝をついて三拝するではありませんか。一人が終わると次々にほかのポーターたちもやってきて同じ動作を繰り返します。

 彼らは、さっき注意した私がジュースとお菓子を配ってくれたことに感激して、「あなたの足を私の頭上にいただきます」という最高の敬意を表してくれたようです。びっくりしましたが、言葉は通じなくても、動作ですぐにわかりました。私に三拝を受ける資格があるかはともかく、とっさのことですので合掌してお礼の言葉を掛けました。
 
私も感激しました。

 お釈迦様が教えを説いた三千年前ごろのインドで行われていたこの三拝の作法(さほう)がはるか東の日本まで伝わり、今日まで受け継がれて私も基本として身につけていた。しかもそれは私のように〈教えられたからする、という単なる形式 〉 ではない、インドのこういう人々の生活に今もふつうに伝えられている心のこもったもの、とわかったのです。私と彼らはお釈迦様の教えを通してまちがいなく同じ仏法作法の世界に生きていたのです。

 何か「ありがたい」という気持ちで、この身が震えるような感激でした。

  私は三拝すると、あのときのことを時々思い出しています。

  2017平成29年10月
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