HP東善寺 住職のコラム         お茶か、ゴミか  



 
 お茶か、ゴミか
 
◇「おいしいね」といただいているお茶も何杯かで味が薄くなってくる。お茶っ葉を替えよう、と流しで急須をはたいてお茶の葉を捨てる。急須をはたく時、うっかり濡れたお茶っ葉が手にかかると、あわててそれを払い落とす。…ゴミだから。

◇でも、さっきまでおいしい、と飲んでいたお茶のもとはこのお茶の葉でゴミではなかったはず。いつゴミに変わったのか。急須の中で、おいしいお茶がもう出そうもないと判断した時か、それともはたかれて急須から飛び出した瞬間か。

                         

◇学生時代に友人の下宿でおしゃべりしていた時、友人が急須をのぞき込み、「もう出ないな。お茶っ葉は終わっちゃったし・・・」とつぶやいた。「水でいいよ」というと友人は「待ってろ」と言いながら、急須のお茶を皿にはたき出し、指先で絞るとフライパンに乗せ火にかけた。ジュージューと音がして乾いてゆく。さらに熱すると、焦げたいい香りがしてきた。急須に入れてお湯を注ぐとおいしいほうじ茶ができた。彼の技に感心して、話も弾んだ。

◇ところで、これはお茶かゴミか。さっきまでならゴミでおしまいになったはずのお茶の葉が、ほうじ茶としてよみがえった。ゴミと見たのは私たちの頭の中で仕分けしているだけ。品物そのものに責任はない。世の中には同じように私たちが勝手に頭の中で色分けして、好き嫌いを言ったり、誤解しているものがほかにもあるだろう。そう思っていたら、彼は言った。「この葉っぱを他の野菜と炒めてチャーハンにすると、けっこううまい」。・・・最後までゴミにならないようだ。
  (泰賢)

                             (2022令和4年8月「東善寺だより」162号)
 
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