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引 導いんどうくうになる


ちょっとした手術で入院した。
 いよいよ手術室に入る時、自分で廊下を歩いてゆく。手術室の入り口まで来ると、付き添いの家内に案内の看護師さんが
「ご家族の方はここまでです」といい
「では、お預かりします」
という声が後うしろで聞こえた。

 アレ、この言葉どこかで聞いたことがあるぞ…、なんだっけ…
 そうだ!火葬場でいよいよお棺かんを窯かまに入れるとき職員が言ってる言葉だ!

 家内が頭を下げて「お願いします」なんて言ってるぞ。これも同じだ!

 なんだ!あれとおんなじか! おかしくて、吹き出しそうになった。
 だが待てよ…、もし私が振り返って家内にうっかり「永い間お世話になりました」と頭を下げれば、全部あっちの扱いになりそうだ。これは恐ろしい…

 じゃあ、お棺の遺体いたいと私の違いは何だろう…、手際てぎわよく手術の準備が進む手術台の上で、一生懸命考えていた。どこが違うのか違いをはっきりさせないと、私は本当にそのまますべてあちらの扱いにされてしまうかもしれない…。

 火葬の場合はお骨こつになって帰ってくる。
 手術の場合は基本的には生きたまま帰ってこられる。
 帰ってくることに違いはあるのか…。何が帰ってくるのか…、考えているうちに麻酔ますいが効いてきて、そのまま眠ってしまった。


イブキジャコウソウ (南蔵王の不忘山 平成29年7月)
「ジャコウ」という名前の通り香りいいの花です。イブキは伊吹山。
 
 生きて帰ってくる私たちは、人間だからつい言わなくてもよいことを口にして、あとで後悔こうかいしたり、謝あやまったり、言い訳わけしなくてはならない。生きている楽しさも喜びも味わえるが、つまらぬ欲よくをかいてあとで恥はじをかいたり、辛つらいこと苦しいことも避けられない。

 お骨こつで帰ってくると、一切が「空」になって、この世の喜怒哀楽きどあいらく、好悪こうおの感情、寒暑の感覚、すべてに超越ちょうえつしてこだわらない状態になっている。あなたはもうそういうことに振り回されない仏の世界に入るのですよ、だから迷わないこと。ましてや遺族いぞくや後世こうせいの子孫、あの人この人を恨うらんだり、悲かなしませたりする恨うらみつらみの感情もすてて、仏ほとけの世界にきちんと入りなさい!
 …だから、ハイ、これまで! 喝(カッ)!と大声で引導を渡す。

 本当は生きているうちに仏の世界の境地きょうちに入れれば、最高だ。それをめざしてお釈迦様は実践じっせん努力することを勧すすめていくつもの道を用意している。努力すれば仏に成れますよ。「成仏じょうぶつ」とは、一人一人が努力して仏に成ることですよ~ と。

 生きているとは自分から努力ができる期間、努力していることを自覚じかくできる期間ということ。そこがお棺の遺体との違いでした。
 

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