HP東善寺>住職のコラム    暑さ寒さも彼岸まで

暑さ寒さも彼岸ひがんまで

今年は冷夏れいか、といわれていたのに、過ぎてみれば例年以上に暑い夏でした。そんな暑い中でも、庫裡くりの工事に毎日やってくる大工さんたちは、どんどん仕事を進めてゆきます。「暑いですねえ」といえば、「暑いですね」と返事しても、なんだか涼すずしい顔をして仕事を進めてゆくのをみていると、ろくに動かないこっちのほうが恥ずかしくなってくる。

 屋根の上で働はたらく瓦かわら屋さんは特にたいへんだろうに、やはり「暑いから」なんていわないでどんどん仕事を進めてしまった。職人さんは仕事に夢中になると、暑さ寒さを感じないのだろうか。

お彼岸が近づくと「暑さ寒さも彼岸まで」ということばが聞かれる。この言葉にはじつは二つの意味が含ふくまれています。
イワタバコ
  寺の境内

 一つは、 うだるような暑さも、凍るような寒さもお彼岸が来ればやわらいでゆく、というふつうの意味。
 二つめは もっと深い意味になる。
 暑さも寒さも、しょせんこの世(此岸・しがん)に生きている間だけの苦しみで、彼岸、すなわち悟さとりの向こう岸である涅槃ねはんの境地きょうちに達すれば、暑さも寒さも苦しみも悩なやみも、迷まよいも争あらそいもわずらいも、いっさいなくなるという意味。そうすると、あの大工さんや職人さんは、仕事に熱中ねっちゅうしているときは、彼岸にいるのと同じ状態だったのだ。高校野球の選手たちも炎天下えんてんかでボールを追って走り回っている。

暑いとき「暑い暑い、がまんできない」と思えば、よけい暑さは二倍三倍にも感じられる。ところが何かに夢中になっている時は、流れる汗も気にならず、暑さもさほど感じない。心の持ちようが暑さや寒さ以外のほうに向いているから、暑い寒いにとらわれない境地に入れることになる。

逆に考えると、自分ほど不幸な人間はいない、と思いつめてしまった人にとっては、お彼岸がやってきても暑さ寒さがやわらぐことはない。常に苦しみの世界(此岸)に生き続けることになる。

 自分の心の闇やみにとりつかれて、抜け出せない人は、彼岸の安楽あんらくの境地きょうちを味わうことなく生き続けなければならない。

この世に生きながら彼岸へ到達するための方法は、お釈迦様が示しています。
全部で六つ、
1、布施ふせ・・・ほどこそう、物でも心でも
2、持戒じかい・・・何事もほどほどに、心をいましめる
3、忍辱にんにく・・・耐え忍ぶ、がまんする
4、精進しょうじん・・・心をこめてつとめる
5、禅定ぜんじょう・・・心を落ち着けて物事を見つめる
6、智恵ちえ・・・何が本物か、心を働かせる

 お彼岸はこの六つを実践じっせんする決意けついの一週間です。

        (東善寺だより76号・1997平成9年9月)


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