雨さん    風露仏心(ふうろぶっしん・風にさらされて仏心をみがく)


風露仏心     石仏を描く
愛の道祖神(東善寺・雨さん)
愛の道祖神  倉渕村落合にて 



「私は野の石仏になぜか心がひかれるんです。どうしてなんでしょうねえ…」


境内で石仏をながめながら、雨さんは語りだす。

石仏が雨さんの心をうつのは、雨さんじしんが雨に打たれ風にさらされて続けたさすらいの旅で人の情けをしみじみと受け止め、やさしい心を育ててきたことに、共通するものを感じているからだろう。雨に打たれ身は風に削(けず)られながら、やさしさを失わずほほえみつづけている石仏の姿が、風化(ふうか)すればするほど心を打つのかもしれない。
ふつうに生きている私たちだって、じつは風化を続けているのだけれど、ふだん気づかないでいるだけのことだろう。