雨さんの画業−2
                   個   展
東京・銀座全線画廊、銀座松屋美術サロン(1991、1992、1994)、栃木刑務所、群馬榛名女子学園、静岡・谷島屋書店、金沢・うつのみや書店、文化出版局主催・赤坂銀花コーナー及び新宿店(通算4回)、京都、大坂、松山、アメリカ・サンディエゴ少数民族祭典会場に水墨画出品、山形・上山城、宇都宮、群馬・坂上公民館、渋川市民会館、水村園(1991、東京電力渋川営業所(1992)、自遊画廊(2000)、東善寺(1991,1992,1994、2002追悼展)など

母子像  
板絵
■生死を賭ける旅を決意したものの無一物の私は、千円どころか十円の金もない。昭和48年6月のことである。おりしも、20年前の知人から個展の案内が届いた。これを機会に旅の心は確固たるものになった。3号の油絵一点かいて3万円の金を手にした。当座の生活費として家族に渡し、2千円を懐にして上京した。一人心に秘めての旅は、何とも形容しがたい寂しい船出であった。
■銀座の個展会場へ向かった。雨が降っていた。案内状をくれたのは、深堀冨美子さんという先輩であり、さる大会社の重役の椅子におられた技術家の令室で、美しい花の絵を得意とする方であった。貧しい私はお祝いの品ひとつ持参できず心いためた。還り際に白封筒をいただいた。1万円紙幣が入っていた。そのときの涙を忘れることはない。雨の銀座の大倉画廊での別離であった。一時間後には新幹線ひかりの車中にあった。

■無宿の旅が展開された。絵で生かされるというより、心安ずることによって生まれる縁により今日を生かされてきた。今日的職業画家の意識のもてない、迷路をたどる流離人(さすらいびと)である。
■望郷とは、めぐり逢う歓(よろこ)びと悲しみの情趣であり、生まれ故郷の冷たい人情山河も、さすらい旅の哀歓(あいかん)もなつかしき心象風景でもある。

■人生とは、旅とは、哀しくて寂しいから、素晴らしいのか。

雨・横手由男
(「望郷」展パンフレット−3)

*銀座の画廊で深堀夫人に、施設の子どもたちの顔をたくさん描いたスケッチブックをリュックから出して見せると、夫人はじっと見つめて、すばらしい、とi言ってくれた。
 画廊を出て有楽町駅へ向かって歩いていたら後ろから呼ばれた。振り返ると深堀夫人が追いかけてきて、これ持ってって、と渡された封筒に餞別が入っていた。私はありがたくいただいた。この餞別のおかげで京都まで買えなくて途中までしか持っていなかった切符を買い足して、とりあえず目的の黒谷まで行くことができたのです。(雨さん談ー村上泰賢記)
*深堀富美子さんは戦中戦後、家族で渋川に疎開して雨さんと知り合い、グループ展などでともに画業に励んでいた。2004平成16年1月9日に97歳で亡くなられました。