| 岩窟観音●●いわやかんのん・縁起・えんぎ 「平家物語」にまつわる伝説など |
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| 岩窟観世音(がんくつかんぜおん) 胎内に一寸八分の金の観音像が納まっているという。 |
縁 起
平家物語にちなむ熊谷次郎直実の愛馬の伝説
権田栗毛
権田の地は元湯命の御東征のころから牧場がもうけられ、広大な土手をめぐらし柵を構え、たくさんの馬を飼っていたので名馬を出すことがしばしばあり、いずれも「権田栗毛」と称したという。初代の「権田栗毛」は熊谷次郎直実の愛馬で小池市助の家から出た。三歳馬のとき壮者が五名付き添い熊谷に引いて行き、神岡(熊谷市)に泊るとき、両手綱をかけてつなぐほど強い馬だった。いまも神岡の馬頭観音堂の絵馬はみな両手綱だという。
熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)
こうして名馬権田栗毛は直実の愛馬となったが、源平の合戦に出陣し一ノ谷の戦で傷ついたため、直実は白布で包帯し放したところ、生家を慕ってはるばる権田の里へ帰ってきた。しかし、この地には「名馬の出た家は絶える」という言い伝えがあるとおり、この時すでに小池市助の家は断絶していた。
お母衣ほろ明神
栗毛は悲しんで屋敷跡を三回いななき回り、背にあった母衣を落とした。里人が母衣をその地に埋め「お母衣明神」として今も権田字小池にまつられている。
*母衣とは…武士が後ろからの矢を防ぐために馬上で背負った、布の袋。
落とした観音像
栗毛の落とした母衣には一寸八分(約5cm)の金の観音像がついていた。村人はお母衣明神とは別に木造の観音像を彫り、金の観音像を胎内に奉蔵して岩窟に堂宇を設け安置したのが、岩窟観世音である。
馬頭観音堂
栗毛はさらに直実の元へ帰ろうと三ノ倉字道場谷戸(どうじょうがいと)まで行ったところで、傷に耐えかね逆水(さかさみず・小川の水がふつうと逆に川上に流れている部分)を呑んで死んだという。道場谷戸には東西14間、南北六間の観音堂を建てて村人は供養していたが、後に堂宇は焼失し小石祠が残っている。近くの祐全寺にはくつわが残る。
| ■関連のホームページ 史跡権田栗毛終焉の地 熊谷の昔話 羊の伝説 羊神社 |
観音堂再建
2000(平成12)10月6日、突如背後の岩石が崩れて観音堂を押しつぶしました。さいわい観音像は無傷だったので、東善寺に仮安置して再建事業に取りかかりました。
2003(平成15年)8月、再建工事開始。10月19日落慶式。
観音清水
観音堂のふもとに湧く、冷たくおいしい清水
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| ■旧・観音堂 江戸時代末期に建てられたと思われる観音堂 |
■みごとな彫刻 観音堂はすばらしい彫刻で飾られていました |
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| ■こわれた観音堂 2000(平成12)10月6日突如背後の岩石が崩れて観音堂を押しつぶしました |
■解体作業 役員が出て解体しました |
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| ■観音様のお祭り 権田地区の大事な観音様として、毎年5月五日の祭典を続けています |
お堂が壊れたので東善寺本堂に飾って毎年のおまつりを続けました | ||