東善寺HP 本堂屋根改修等         本堂屋根等改修      


 

    本堂屋根を銅板に替える
本堂屋根等改修工事
    
2017平成29年2月着工
起工式
本尊遷座 瓦撤去 屋根の腐れ 木工工事 向拝撤去 向拝再築 正面屋根を野地板で葺く 蓑甲の工作 主棟取り付け
クイズ
銅板葺き作業 足場 足場のフック 位置取り 吊り子 軒付け 隅蛤 破風 土合  寺紋 鳥衾 浜縁撤去 床と束石再築 浜縁築造 
鬼瓦記念碑 浜縁屋根継ぎ足す工事

工事了って落慶法要
   
 ▲茅葺きの本堂(昭和12年に類焼失) 
小栗忠順一家が64日間仮住まいした本堂 正面の柱には慶応四年三月小栗様を襲った「ぶち壊し騒動」のときに対岸から撃たれた鉄砲玉の跡が残っていたという
▲昭和18年~再建瓦葺き本堂 
昭和12年5月類焼失以来6年かかって再建準備を進め、18年9月上棟式にこぎつけた。その夕方に駒形痴道住職は倒れ、翌日に遷化。
 ▲同 西面 
弟子の村上照賢がみなかみ町の寺から移って再建事業の跡を継ぎ、戦中戦後の物資・資金・人手不足の中、苦心した 

◆本堂屋根を瓦から銅板に換える
 昭和18年の再建以来74年経過し、雨漏りや湿気による腐食があり、30年以内と予測される東南海大地震にも対応しておきたい。

 1、地震対策  屋根を瓦から銅板にすることにより、重量を10分の1以下に軽減を図る
 2、雪害対策  瓦は積雪の重みと粘着で動かされやすい。毎年の雪害を回避したい。
 3、その他の工事:小栗上野介の本墓への参道改修、西の石垣改修門頭の入口改修など

 「住職は一代、寺は末代」…とりあえず、あと100年は保たせるようにしておきたい。

   施工者:株式会社 研屋(高崎市)  銅板工事一式:カナメ(宇都宮市)  宮大工:遠藤建築(喜多方市)
 
雨漏り発生 雪で瓦が動かされ、本尊様がびしょ濡れ
       起工式・本尊遷座式・工事準備
1月18日 起工式及び本尊遷座式  市川実行委員長が「心配したご寄付が檀家さんの協力で集まって、工事に入れる…」と挨拶・施工者研屋の清水一希社長が「緊張して仕事を行います」と挨拶
     
 1月31日~ 工事事務所設置、足場設置作業  いよいよ本格的な準備に入った。本堂の周囲に丁寧に水平垂直を図って足場が組まれてゆく。
     
 ▲境内に作業車が入れるように準備  ▲西駐車場との間を補強してクレーン車が入る  ▲工事看板 国道に面して看板を立てる
     
 ▲本堂内部 畳を積み上げシートで覆い、すっかり万一の漏水対策  ▲本堂正面 立入禁止となりました。  ▲外観 すっかりシートに覆われ境内が狭くなりました。足元にご注意を。
     本尊遷座  
釈迦三尊像を本堂から仮本堂へ遷す   
2月20日 ▲ご本尊様の遷座  護持会役員が集まって、書院大広間に本尊様を遷(うつ)し、仮の須弥壇(しゅみだん)に祀って仮本堂ができた(法事もここで行います)。   *須弥壇とは…須弥山(しゅみせん)=ヒマラヤ山脈のこと
    瓦撤去・野地板に防水シート  2月22日~
瓦をはがす  クレーン車ではがした瓦をどんどん下ろし、大きな箱に収めてゆく。鬼瓦もたちまち解体された。   2月24日
 瓦の下は杉皮ぶきで防水されていた  瓦の下の杉皮もはがし、野地板をキレイにして、「全天シート」を貼り防水措置をする   3月1日
下ろされた鬼瓦 部品の組み合わせでした 寺紋「丸に立浪」 下部の波が少し略されている ▲すっかりシートで覆われたが、この下はまだ杉皮屋根(昔の防水措置)  2月27日
     
 ▲瓦撤去 西・北面     3月1日  ▲全天シート 瓦撤去ー野地板に防水シートを貼る  ▲北面  左は庫裡の瓦屋根   3月19日
       屋根の腐れが出てきた! 
 南屋根と西屋根の接合部(野隅のすみ)が腐っていた。
     
 ▲ 74年の歳月 瓦・杉皮を除去した跡の屋根の隅「野隅」がひどい腐れ状態になっていた。昭和18年に棟上げして以来74年の歳月が経っている。ほとんど釘も効いていない。放置したらもっと腐れが進行していただろう。 「今、(工事を)やってよかった」と役員がつぶやいた。
  腐れ部分を剥がし交換する
     
腐れの部分を取り外し  
     
▲すっかりきれいにして、新しく張り替える  
  
     銅板葺きの野地板を貼る 4月から
木工工事
  
 宮大工の遠藤建築(喜多方市)
  はるばる喜多方市からやってきて、下里見にアパートを借り、東善寺へ通って作業に当たる。
 
     
材料板 足場のプラットフォームに材料を上げ、寸法をはかって加工     4月4日 東隅 きれいな軒線が作られる 右の瓦は庫裡の屋根
     
 ▲横桟  下の野地板の上にタテ桟を入れさらに横桟を入れてゆく。 最上部はかなりの急傾斜になる。
  
     
 ▲きれいな屋根線を出すよう、綿密に目盛りを入れて棧を固定してゆく    4月6日  ▲横桟の上に野地板を張ってゆく
     
 ▲西屋根 野地板を張るとこのように軒がきれいなカーブを描くカーブはせり上がりの線  ▲手前が開山堂の屋根
     
 ▲古い野地板防水シート銅板用野地板で、これからさらに+防水シートを張り、+銅板貼り付け作業になる       野地板の上の横桟▲は作業用の足場    4月13日  ▲小栗上野介主従の墓 作業の足場から咲き始めた小栗椿が見える    4月13日
     
 ▲銅板用野地板にルーフィング(防水シート)二枚めを貼る  ▲東西の切妻の破風を外し、  ▲新しい材料を上げて破風を作る
     
 ▲破風の受けを工作し  ▲大きなクレーンで西から東の切妻まで送って  ▲破風を取り付ける    4月29日
     
 ▲天井裏に古い棟札は見当たらなかった ▲しっかり固定してきれいな合掌型の破風が出来上がった 
     
▲木連格子(きつれこうし)を組み上げる 縦横の桟に切り込みを入れ、すべてがきっちり合うよう調整してきれいに仕上げた  5月15日
     
    古い向拝ごはいの撤去   
本堂正面向拝の虹梁こうりょうの両端が曲がって垂れているので交換するため、向拝全体をはずす。
     
 ▲野地板撤去 瓦の下の杉皮をどかし、野地板を撤去する。3月13日  ▲古い海老虹梁えびこうりょうを外す 3月14日  ▲左右の柱の束石つかいしを交換する
     
蟇股かえるまた   正面の虹梁(こうりょう)の上、蟇股の裏面に「彫刻士 勝見應昔」と彫り込まれていた。別面には「昭和拾七年三月再築ス 大匠棟梁 勲八等 源應昔」や「大匠 棟梁  勝見延五郎 源應昔 六十三才」などとある。小字陣田の勝見忠さんの祖父延五郎さんが昭和18年9月上棟の1年以上前からこしらえていたものだから忠さんを呼んで見てもらったが、「應昔」は聞いたことがない」初耳という。新しく作るのでこれは勝見家に渡した。勝見家の誇りとして伝えてほしい。
        
  ▲しだいに向拝を解体して        すっかり取り払うとこうなりました 3月19日▲
 向拝ごはいの更新・再築   
解体した正面の向拝を新たに組み上げる
     
 ▲古い束石つかいしを撤去  ▲新しい束石を据える  ▲型板 で据える位置取りを確かめ
     
 ▲図面を確認し、  ▲向拝の左右の柱を束石に据え  ▲エビ虹梁をクレーンで吊って   5月19日
     
 ▲柱に合わせて組み上げる   クレーンのない時代はどうやって持ち上げて組み込んだろう  ▲すべて釘を使わずに組む古来の技法
     
蟇股(かえるまた)に「2017平成二十九年二月~九月本堂屋根改修工事 研屋/銅板葺 カナメ 宇都宮市/木工・向拝更新 遠藤建築 喜多方市/當山廿一世泰賢代 」・左右の柱に乗る斗組(ますぐみ)に「正法興隆 山門鎮静」「道念増長 諸縁吉祥」 と書いて棟札代わりとした  
     
 ▲据えられた斗組(左)と正面の蟇股(右)、文字は桁(けた)の下で、もう見えない  ▲活躍したクレーン
     
▲斗組の下には禅宗建築唐様(からよう)の特徴である木鼻(きばな)が取付けられた    5月19日  ▲しだいに向拝の屋根工事に入ってゆく
     
 ▲束石の中心に鉄棒が入り、かなりの地震でも外れない ▲ 棟から下がるカーブに従って少しずつ反り上がってゆく   5月23日
     
   ▲末端の軒端はこれから土居桁(どいげた)と桔木(はねぎ)で吊る  5月23日
     
▲せり出した軒端は斗組と、桔木で吊るようにして支える。日本建築独特の技法。    ▲斗組 釘は使っていない
     
  ▲蟇股  上に垂木がはられ、きれいな線が出てきた。この上に野地板を打ってゆく    5月27日
  正面屋根を野地板で仕上げる
新しい向拝が出来たので、正面の大屋根と一体にして野地板を打ってゆく

野地板の上に黒い防水シートを貼り 
その次が銅板を貼る作業
     
     
野地板と防水シート  縦横の桟の上に野地板を張り、防水シートを貼ってゆく。最上部はかなりの傾斜だが、野地板用の足場を外すと、防水シートの上に付け直し、防水シートを運び込んで、貼り付ける。また足場を増やして取り付ける。この繰り返しがいっさい言葉を交わすことなく次々に進んでゆく、まさにベテランの仕事場風景が繰り広げられている。    5月31日
     
 ▲正面 向拝まで一気に屋根の形ができてゆく5月31日 蓑甲みのこう カーブは屋根から軒端へきれいな曲面で銅板が貼られる     6月2日
     
▲大屋根から正面に下がる線がきれいに流れる       青空に三日月が残っていた 6月2日▲   
  
▲対岸の宮原から本堂工事を見る 背後は榛名山の杏ケ岳(すもうだけ) 6月3日
  蓑甲(みのこう)の工作
屋根東西の切妻部分のヘリを直線でなくゆるやかなカーブで仕上げる
途中ねじれたような曲線をどうやって造るのか、不思議だった

現場をご覧あれ!  実におみごと!
     
  ▲左が破風の線、右が屋根の線、その落差を何枚ものカーブした板でつなぎ、上に板を貼る。板といっても幅六分(1.8㌢)の節のない角材。その細い棒を切ってはカーブのねじれに合わせて打ち付け、釘を真横に打って全体が一枚のように一体化してゆく。手間のかかる作業を黙々とこなしてゆく。      6月6日
     
     
     
  ▲茅葺き屋根の場合は茅を厚く葺いて刈り込み、檜皮葺(ひわだぶき)なら薄いヒノキの皮でカーブを付けやすい、その線を銅板で出すのだから下地の木工が重要になってくる。銅板葺きに近年取り入れた造作らしい。釘の頭を叩いてしっかり板に埋め込み、カーブした小型カンナをかけ、ノミで削って一枚の板のようにツルツルの面に仕上げる。木工の最後の見せ場となる。銅板が葺かれると全てが見えなくなる。    6月12日
     
 ▲防水シートを貼って下地が終わり  木工作業は隠れて見えなくなる  ▲開山堂にも小さな蓑甲  本堂真後ろの開山堂屋根にも蓑甲がつき、サンダーで丁寧に仕上げる     6月14日
     
 ▲オオトンボソウ 足場パイプの傍で今年も咲いた  ▲銅板作業が入り始めた 主棟(グシともいう)や裏の開山堂の主棟に銅板を載せた。この上に更に木工で主棟(グシ)を載せる。万一グシから雨漏りしても外へ逃がすための下地となる。    6月12日頃
  主棟(グシともいう)取付
屋根のてっぺんに主棟を取り付ける。  
瓦屋根のときもあったが、解体作業で箱状のものとわかった。
銅板屋根もやはり箱状のものとなる。
     
 ▲作業台に型場を作り  ▲この形状のものに長い板を取付けて 屋根に載せ、固定すると、
     
 ▲上端と横に板を打ちつけて形づくってゆく  
     
 ▲裏の開山堂屋根にも小さなグシを載せる
     
▲出来上がった主棟(グシ)  両端がぐっと反り上がったきれいな線で仕上がった 
     
 遠藤建築の担当メンバー▲ +あと親方と一人   は先に喜多方市へ戻った
今回は屋根と一部向拝(ごはい)の更新だから、屋根の下地作業は銅板が葺かれると表からはほとんど見えない作業となる。
男たちは互いが信頼しあって黙々と高所の足場の不安定な仕事をこなし、
道具や残材を片付け、さわやかに喜多方市へ 戻ってゆきました。
まさにオトコの仕事、宮大工の匠の技を見せてもらいました。  6月16日
 
大変お疲れ様でした!! ありがとうございました。


本堂屋根改修工事
銅板葺き作業
6月末からカナメの銅板部が入って銅板葺作業が始まった。やはり喜多方市から来た若者主体の銅板部だ。毎朝7時にやってきて、土日も休まず働いてくれるのはありがたいが、休みなしで大丈夫か、と心配になるほど黙々と仕事を勧めてゆく。真面目な若者たちの姿だ。
 クイズ
◆屋根に葺いている銅板の厚さはどれくらいでしょう 
ヒント
 A 3ミリ   B 5ミリ  C 0.5ミリ  D 0.3ミリ  E 0.35ミリ  F 1ミリ    答は途中▼に
▲まず資材を運んで足場のステージに上げ ▲真横から見て直線に貼れるよう墨付け作業を進める。 一文字葺きだから、横線が大事ということらしい。
▲ 足場 銅板は下から上へ葺いてゆく では銅板の上の足場はどうするか → ▲足場のフック 銅板の端に金具を噛ませて留め、そこからロープに足場をつないでいた   ▲始めると銅板作業は速い、一日で西面がほぼ形ができた 
オヤ、蓑甲の下部が剥がされている▲ どうして剥がしたのか ▲ここは大工さんがフタが外せるようにしていたところだが ▲覗いてみると、蓑甲の陰になる部分に手を入れて銅板を葺くため一時剥がしたとわかった
▲足場の下はどうやって葺いたのだろう →    よく見ると▲足場パイプの下端はネジで上げられ、葺き終わると下げて完了  単純なことだがシロウトの私はやっと納得 位置取り が上まで進む
▲平板の部分は作業が速い   7月4日         ▲吊り子 で銅板の先端を引っ掛け野地板に釘打ちして銅板を留めてゆく
軒付け   側面にきちんと線を入れ位置取りした上に、軒付けの0.35ミリ銅板を張ってゆく。 7月3日    ▲きれいな軒面が出来上がる
▲寄付をしてくれた信徒・参拝者のお名前を銅板に書き、屋根に上げる こうして屋根の形が次第に出来てゆく ▲工事を視察する市川平治護持会長
     
▲開山堂との接合部 ▲正面の向拝がゆるく反り上がる  直線の板で軒付けのカーブをきれいに出している
     
 ▲箱に野球のミットのような銅板があった ▲屋根の角(野隅)を開いてミット状の銅板をはめ込む  隅蛤(すみハマグリ) という 野隅を葺くハマグリ状の銅板、という意味らしい 
     
 ▲向拝の簑甲  野地板のカーブが生きている ▲破風の側面も丁寧に貼ってゆく  破風の簑甲も次第にできてゆく 
     
▲破風  木工でできた下地にカーブした銅板を貼りあげて仕上げる  
     
土合は二重で  本堂屋根と背後の開山堂屋根の接合部土合は、まず下地を貼ってからその上に左右の屋根との接合をして仕上げてゆく
     
懸魚(けぎょ) 元は火災除けに水を吹く魚の彫物で飾ったのだろうか いまはすべて懸魚という   突き出ているのは「鳥衾(とりぶすま) …とは鳥の布団・寝床だから、止まり木ということ  ▲向拝の足場撤去 8月10日 あとは屋根の鬼や宗紋・寺紋などの「飾り物」を付けるだけになった
     
 ▲ よく見ると芯に補強の木型が入っている  ▲クレーンで吊って据える しっかり位置を決め、屋根にならしてととのえる。
     
宗紋 大本山總持寺の「五七の桐」    ▲東善寺の寺紋「丸に立波」     宗紋  大本山永平寺の「久我竜胆こがりんどう」▲ 
     
▲受けの円盤を取り付け  ▲紋章の銅板内側にコーティング剤を塗り  ▲受けの円盤にはめ込んで取付け完了 
     
▲宗紋・寺紋紋章が取り付けられ ▲東西の鬼が引き締め  ▲突き出た鳥衾が目を惹く
             
       ▲屋根の足場も取れて屋根工事は完了 8月18日  主棟の三つの紋章が光る   これから正面階段・左右の浜縁の木工工事と床や束石の工事に入る
     



階段と浜縁 
撤去
2107平成29年8月

向拝正面の階段と左右の浜縁を撤去する   撤去作業 8月25日  
古い束石もどかし撤去が終えると、土の部分もコンクリートを打つ
 
階段と浜縁
床と束石の築造
 
 
▲束石を運んでまず位置を決め、すべての高さが揃うよう調節してから ▲束石の空間を埋めて固める
▲縁石から決めてゆく ▲縁石で外形が決まったら床石を貼ってゆく
正面階段の基礎部分は、外形を決め、中に砂と石を入れてから床石を貼る
新たに御影石の階段を貼るため、古い階段石を撤去する
床石を切断するときは、袋のついた吸引器を動かして、石粉の飛散を防ぐ。肺に入るとよくないのだろう。
 ▲砂をならして床石を置いて位置、高さを確認し、決まったらゆるく溶いたセメント泥を砂にかけ、床石を置いて、ゴムハンマーで打って調節  
     
▲しだいに形ができて、きれいな石畳が現れる  ▲ほとんど完成した石ダタミ 
  
浜縁
・古い浜縁を取り外しす。栗板が古くなって歪み歩くとガタガタ音がする。以前に外れて人が落ちたこともあった。幸いケガはなくて済んだが思い出すとこわい浜縁だった。
築造
     
 不要な古い部材を外し  10月25日 位置取りの墨線を入れ  仮線で位置を確認し 
     
刻みを入れて  組み合わせの受けを 作ってゆく 
     
 正面階段が組み付けられてゆく  11月8日 
     
縁の板が張られてしだいに形ができてゆく
     
  浜縁が組まれ、正面階段が一枚板できれいに張られた   
     
  縁板の切り口に水の沁み込みを防ぐ塗料が白く塗られて、完成  東通路からの出口の手すり
     
 ▲寄付者芳名板 檀家さんのほかに信者、小栗公参拝者などたくさんの方が浄財を寄せてくださいました。ありがとうございました。  向拝正面  軒から中央階段、浜縁、がバランスよく仕上がった 鬼瓦記念碑 「昭和18年から本堂屋根を護った…」
東駐車場に保存して、戦中戦後に先人が苦心して作った瓦屋根の歴史を伝えます 
   
 
追加工事
浜縁 東端に屋根を継ぎ足す工事  
2018平成30年7月

◇浜縁はまえんの東端ひがしはじは、上に本堂大屋根があるがかなり間が空きすぎ、さらに本堂屋根と庫裡玄関屋根の土合なので、ちょっと強い雨が降ると雨樋を乗り越えて吹きかけ、雨・雪のあとはいつも濡れていて黒いカビが出始め、縁板の腐朽が早くなる。古い栗板の浜縁のときは気にならなかったが、新しい浜縁で檜板に代わると、たくさんの方の浄財でできたものを、少しでも長持ちさせなくては申し訳ない。いつも雨・雪が吹きかけるから、いくら雑巾ぞうきんがけしてもこのあたりだけ艶つやが出ないでシラケていて、雑巾がけのはりあいがない。浅い屋根に継ぎ足して延ばしてもらう工事。
 
     
 ▲少しの雨でも濡れるから、カビが出はじめた ▲浜縁の上に屋根を継ぎ足す計画 ▲手すりの柱に合わせて柱を立てる 
     
▲垂木を継ぎ足し野地板を貼り  ▲たちまちきれいに仕上げてもらえた  ▲ 玄関屋根との土合も雨樋で処理できた
     
   ▲完成 これで雨・雪も心配なくなった  
 
 
   2020令和2年3月15日
本堂屋根改修 落慶法要
新型コロナウィルスの感染防止対策で護持会役員と来賓のみ参加、規模縮小で執行
5年計画の事業のまとめとして恒例の施食会に併せ、落慶法要を行った。
 令和2年3月15日(日)晴 
 昨年12月頃から中国武漢市から始まった新型コロナウィルスがまたたく間に世界中に広がり、日本にも伝播して遂に安倍首相は全国の小中高校に休校を要請して鎮静化に努める騒ぎとなった。マスクがどの店も売切れ、デマ情報でトイレットペーパーが売切れ、人が集まると感染するとして、大きなイベントは自粛取りやめ、団体旅行はキャンセル、中国、韓国、イタリア、などからは入国禁止という状況。ほかの寺も規模縮小や、施食会取りやめの措置を取る中、規模縮小で行なった。
   
    報告書
  ◆挨拶 住職・市川平治事業委員長
  ◆事業報告
  ◆会計報告
  ◆寄付者芳名簿
  ◆工事概要のカラーページ  

寄付者芳名板設置 本堂南の窓の上です
 
    ―『報告書』住職の挨拶より 抜粋―

    お寺は皆のもの
 
 「お寺は檀家のものだ」という方がいます。「その通りですが、あなたは三分の一です」 というと怪訝けげんな顔をされます。
「つまり、昔の檀家さんがいて、今の檀家さんがいて、 未来の檀家さんがいる。今のあなたは三分の一の責任があります」というと、そうい うことかと納得してくれます。  
 住職も同じこと、「住職は一代、寺は末代」で「今の住職」が出来る事を行なって、 未来にも安心してお参りしていただけるお寺で引き継ぎたいと事業を進めました。 自分の持っている力を多くの人に分ける行いすべてを「布施」と言い、布施を受けた 喜びの功徳が故人や先祖の供養につながります。
 今回の改修事業は今の檀家さんが責 任を果たして、未来にお参りされるたくさんの方のためにありがたいお布施をして下 さったことになります。何よりのご供養になることでしょう。  
 ご協力、ほんとうにありがとうございました。
                    住職村上泰賢
 
         
     
 落慶法要
導師はみなかみ町常恩院都筑尚道住職
本尊様へ報告のお焼香
市川委員長が檀信徒を代表して焼香
 
 感謝状
工事を担当した株式会社研屋様、株式会社カナメ様に安全管理で無魔竣工に感謝状を進呈