小栗上野介随想(東善寺) ● 日本の近代化に尽くした―「明治の父」


日本の近代化に尽くした
「明治の父」
小栗上野介

 地元ではなじみの小栗上野介も全国的にはあまり知られていないが、小栗上野介の菩提寺である東善寺の住職として、長年研究して得た史実を通し、講座では人間・小栗上野介に迫っていきたいと思います。
                     
                     NHK文化センター情報誌 「salon」22号
ボランティアの語源は自発的に参加する義勇兵のことだという。そうすると、小栗上野介に関するボランティアは彼が西軍によって殺された直後から権田村の人々によって行なわれていたことになります。村人は小栗道子夫人や母堂らを護って、護衛隊を作り、上州吾妻から秘境秋山郷へ抜けて新潟に至り、苦難の末会津へ。まもなく始まった会津戊辰戦争に、何人もの村人が会津軍と共に戦い、若者二人を戦死で失いながら夫人らを護り、静岡まで送り届けて帰郷している。まさに命がけのボランティアでした。

 農民の側から言えば年貢を取上げる領主であって、主従関係にないのに、そこまでして守ったのは…、江戸から権田に移り住んだ二ヶ月の行動に命がけのボランティアの裏づけとなるものが見えてくるのです。
前半では、遣米使節での見聞をもとに、日本の構造改革の原点ともいうべき横須賀造船所を建設した経過や、造船所が日本の近代化に果たした役割、また日本初の株式会社の創設が現在のPFI法案を先取りしたものであったことなど日本の近代化に果たした役割も大きく、司馬遼太郎も「明治の父」と、その功績をたたえた人物です。
 
 講座の締めくくりに、実際に米軍横須賀基地に入って現存する造船所の姿を見てもらうと、「日本海海戦で完全な勝利を得られたのは小栗さんのお陰……」と東郷元帥が遺族に礼を言った心情も容易に理解できるでしょう。文字で得た歴史の知識は、現地を歩いて初めて自分の言葉で語れる血となり肉となる。できるだけゆかりの地に赴いて、小栗上野介の偉業と、その魅力を解きあかしていこうと思っています。

NHK文化センター情報誌「Salon」22号・2002平成14年冬号)

日本の近代化が
アジアにもたらしたもの


新婚旅行で日本を訪問したブータンのジグミ・ケサル国王が、
2011年11月17日に
日本の国会で行なった演説から
 ケサル国王は
「押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことを覚えております。……いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。」
と東日本大震災の見舞いを述べた後、

「私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済のお最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました
。」

「日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます」

明治以降 アジアを忘れ無視していた日本

加藤秀俊 著作データベース
ふたつの「バタビア新聞」  より
発行年月: 19740325

「先進国たる西洋に追いつけ、追いこせ、というスローガンですさまじい「近代化」への活動を開始した日本にとって、こんなふうに西洋と直結し、西洋からの情報を貪欲に吸収するのは当然のことであり、また賢明なことであった。結局のところ日本は西洋を横目で眺めながら、「近代化」に成功したのである。」

 「しかし、…日本はいつのまにか、バタビア(ジャカルタの古名)だの香港だのといったアジアからの情報に鈍感になり、あるいはそれを無視するようになってしまった。日本人の世界地図のなかで、アジアは欠落したのだ。ときとして、アジアが意識のなかに入ってくることがあっても、それはもっぱら搾取の対象としてのアジアであって、そこから学ぼうとする姿勢はどちらかといえば希薄であったようにみえる。こんにちの東南アジアでの反日感情には、それぞれの国内での複雑な問題がからみあっており、それらの国に進出した日本企業を全面的に悪玉に見立てるのはやや酷だけれども、基本的に、アジアからの情報に冷淡、というのはわれわれ日本人の共通の傾向としてみとめなければなるまい。