小栗上野介のマンガ・切り絵 切り絵展・マンガ「天涯の武士」/水彩画展「小栗公の生涯」

切り絵展「天涯の武士」
水彩画展「小栗公の生涯」


■切り絵 『天涯の武士』          ▲制作 上原久子
 
幕末、開国したばかりの日本の明日を見つめる一人の男――、信念の人・小栗上野介
   ・特別展示・ 高崎市と合併記念/マンガ「天涯の武士」出版記念  
切り絵展「天涯の武士」 水彩画展「小栗公の生涯」 公開講演会
◇2006年1月の高崎市との合併及びマンガ「天涯の武士」出版を記念して、切り絵展「天涯の武士」と水彩画展「小栗公の生涯」を開きました。

◇会場 東善寺庫裡 
◇期間 2006平成18年1月22日〜2月12日
◇協力 倉渕切り絵クラブ
◇公開講演は 28日(土)、29日(日)の午後1時から
  小栗上野介の構造改革  住職 村上泰賢
◇拝観料 100円 (展示も含む)

『天涯の武士ー幕臣小栗上野介』・・・木村直巳原作・月刊マンガ誌「乱
ーツインズ」に連載中/1月27日単行本で第1巻発売・550円
 *原作者の了解を得て倉渕切り絵クラブ員が制作しました。
『小栗公の生涯』・・・清水市衛さん(藤岡市)制作・寄進

◇問合せ 東善寺 小栗上野介の寺 
  群馬県高崎市倉渕町権田169 
  〒370-3401 027−378−2230

作品集

アメリカへ
 イギリスから独立を果たし、わが国を開国にいた新興国アメリカ。この国から学ぶべきも
から学ぶべきものは何か・・・・・・。
  ▲制作 住谷尚子
パウハタン号
 小栗上野介を乗せた米国軍艦ポウハタン号(2400トン)は嵐を乗り切り、北太平洋を越え、アメリカへ向かった。
  ▲制作 中澤房子
サンフランシスコに入港  
 ゴールドラッシュに
いたアメリカ西部
の中でも、
サンフラン
シスコは近年にぎわう
ようになった港町。
西部開拓者の気質に満ちた、明るい町だった。
▲制作 丸山玄子
サンフランシスコ
 嵐でんだ船体を修理して、日本へ帰る護衛船ここでれ、使節一行はさら南下してパナマへ向かった。 ▲制作 水野和子

蒸気車で大西洋側へ
 パナマ運河はまだ出来て
いない。日の丸を立てた
パナマ鉄道が日本人を乗せてパナマ地峡を越えた。
道端の草木が

なって流れ、見分けがつか
ない」めて乗る汽車

はやさ、音のすごさに驚い
た。
▲制作 浅香ミキエ

ワシントンに着く
 首都ワシントンでおおぜいの着飾ったアメリカ人歓迎された。チョンマゲ、刀、羽織、袴、扇子、何もかもしがられる日本人。通訳見習の少年立石次郎好奇心いっぱいで町や人を見ていた。
  ▲制作 牧野美香子

 

「トミー」
 物怖じしない明るい少年立石斧次郎はトミーと呼ばれ、アメリカの女性に大モテ。新聞は毎日「トミー・コーナー」が出来、「トミーポルカ」が作曲される人気者となった。
 ▲制作 冨沢三代子
歓迎パレード
 礼儀正しく、知性、教養
のある日本人は大人気となり、ワシントン、フィラデルフィア、ニューヨークへ移ると、その人気は最高潮になった。

  ▲制作 茂木峯子
小判の分析実験
 日米の通貨交換比率が日本に不利になっていることを証明するため、小栗上野介は小判とドル金貨分析実験を強く要求し、ソロバンでたちまち計算をして見せて、アメリカ人を驚かせた。
 ▲制作 牧野美香子
無事帰国
 地球一周9ヶ月の旅をえて帰国した使節一行を待っていたのは、井伊大老され、攘夷(外国人を追い払え)を主張するテロリストのはびこる国、日本だった。
  ▲制作 野村倫子
開国か鎖国か
 開国した日本は、開国に反対・賛成の激論の国となり、れない外国との対応に応じきれない幕府の古い体制が、混乱にをかけた。▲制作 相模真知子
外国奉行になる
 帰国した小栗上野介はすぐに外国奉行ぜられ、次々に起きるしい外交交渉の先頭に立ってた。
  ▲制作 宮川千賀子
対馬にロシア軍艦が居座
 文元年、日本海の真ん中の対馬れたロシアの軍艦は、そのまま島に居座り、なんとしても退去しない。東アジアへの進出を狙うロシアにとってこの島を足がかりにすることが、その第一歩となるからだ。
  ▲制作 原田照子
対馬のロシア艦
 外国奉行小栗上野介は、勝手に小屋を建てて居座りをはかるロシア軍艦と交渉するため、対馬へ渡った。
 ▲制作 小暮好子
ビリレフとの交渉
 
艦長ビリレフは、対馬藩主とだけ交渉する、として小栗上野介の退去交渉に応じようとしない。

 ▲制作 松井奈美栄
ロシア水兵を抑え、江戸へ戻る
 島民に乱暴するロシアの水兵をえた小栗上野介は、これからも他の外国が同じようにうにいないから、対馬藩主には別の領地をえ、対馬を幕府直接支配地すべき提案するため、いったん江戸へった。
 日本の武力が弱いため、このようなとき簡単に抑えられないしさ味わった。
 ▲制作 関 茂美
外国奉行を辞任する
 小栗上野介の提案はめられず、結局ロシア艦は、幕府のみで対馬に現れたイギリス軍艦を見て、島から撤退した。このような外国みのないやり方に反発した小栗上野介は、外国奉行を辞任した。
 ▲制作 大井かな江
またも辞めたか小栗様
 小栗上野介がこうして奉行をめると、幕府はまた小栗上野介に頼らざるをないからこんどは○○奉行、また辞めると、こんどは○○奉行・・・、「またまた小栗様の御役おやくえ」と江戸で評判となった。
 ▲制作 佐藤順子
「小栗様の石蔵
 アメリカでの見聞を生かし神田駿河屋敷内に西洋館を建て、イスとテーブルの合理的な生活をはじめた。日本で最初に西洋館に住んだ人物である。
 ここから横須賀造船所、鉄山開発、郵便制度、株式会社、鉄道建設、郡県制度、洋式陸軍創設、中央銀行設立など、幕末構造改革構想まれていった。
 
▲制作 永井八代子
権田村の若者を教育する
 江戸の小栗家屋敷へ上州権田村から優秀な若者を呼びせ、英語やフランス語、数学、地理や、洋式陸軍の訓練をえ、教育を行なった。この若者たちがのちに小栗夫人の会津脱出行を護る力となる。▲制作 豊田佳子
勘定奉行を辞任する
 徳川慶喜に領地を加増することに強く反対して、勘定奉行をした小栗上野介は、またまた無役となった。

 ▲制作 池田 操
混迷の世に友情の花
 小栗上野介の直言癖と、その後にあっさり辞任することに、「君がいないことは国のためには損失になることもある」とけつけた親友栗本く。二人の友情は終生わらなかった。
 ▲制作 橋爪ひろ

切り絵展見学風景
公開講演会も盛況でした

切り絵「天涯の武士」 切り絵展の会場での制作風景
切り絵クラブ員が集まって切り絵を制作する風景をNHkが取材しました。
切り抜く題材の絵を決め、下絵を描き、白く切り抜くところと黒く残すところを決めるのが難しい。空白の白と黒い線のバランスが、できばえに反映する。
指導する河野治雄さん
倉渕町出身で小中学校の教師・校長をして退職の後、切り絵の指導者として活躍しています。
NHKが取材放映
1月25日に取材し、25日夕方の「首都圏ニュース」29日午前の「いっと6けん」で放映されました。
NHKで放映されると、朝日新聞、上毛新聞記事の影響もあって、たくさんの人が見に来てくれました。28日(土)、29日(日)の公開講演会も盛況でした。
講演のあと、おいしい甘酒でのどを潤していただきました。
水彩画展「小栗公の生涯」
も併せて行ないました。清水市衛さん(藤岡市・農業)が描いて寄付してくれた作品です。
水彩画
たくさんのきれいな絵で小栗公の生涯をたどれる、と評判です。


○サイン会と切り絵「天涯の武士」展 
小栗まつり 2006平成18年5月21日(日)東善寺
 マンガの作者木村直巳先生が小栗まつりでサイン会をしました。

○切り絵「天涯の武士」展
 横須賀で 18年5月26日(金)〜5月28日(日)  
 「まなびかん美術・工芸合同作品展」会場に特別参加でした。
会 場:横須賀市ウェルシティ市民プラザ内 生涯学習センター(まなびかん)2階市民ホール
     JR横須賀駅または京急逸見駅下車 5分

  【関連ページ】
マンガ『天涯の武士ー幕臣小栗上野介』
切り絵「天涯の武士」展(リンク)