常陸の小栗の里      小栗上野介の遠祖の地を訪ねる


小栗上野介の先祖の地
常陸ひたちの小栗の里
上:常陸小栗家の家紋「丸に五頭立浪」(横向き、ではありません。これが正置です)
小栗上野介の家紋も同じ「丸に立波」ですが少しデザインが違います。このホームページのトップの東善寺の寺紋を参照してください。
小栗上野介の先祖はもとは松平太郎左衛門信吉といい、コ川家康と同じ先祖をもつ松平一族で、現在の岡崎市岩津に住んでいた「岩津松平」であった。
三代目の松平吉忠のときに、祖母方の小栗姓を名乗るようになる。その祖母方の小栗をたずねると岡崎市筒針に住んでいた小栗一族であり、さらにさかのぼれば常陸の小栗郷(おぐりのさと)に勢力を張っていた桓武平氏一門の小栗氏にたどり着く。
平清盛につながる平家一門の祖貞盛に弟繁盛がいて、その子孫が常陸・小栗の地に住んで「小栗」姓を名乗るようになり、氏重の三男重弘のとき功績があって足利尊氏から三河の地を拝領して重弘は三河に住むようになる。小栗党とよばれ三河一帯に勢力を張っていたが、しだいにコ川家康譜代の家臣として活躍し、旗本小栗家となってゆく。その鼻祖の地「常陸の小栗」はどのようなところか。
小栗城跡
◇茨城県筑西市小栗(旧協和町) 小栗氏については「協和町史」に詳しい。協和町地区では新治駅の周辺で毎年12月はじめに「小栗判官まつり」(リンク)を盛大に行っている。


常陸の小栗の里
常陸・小栗の里 日本武尊が東国へ遠征した話の中に出てくる新治の駅からほど近い。訪ねてみると確かにここには「小栗」があふれている。「小栗の地を拓く」石碑、小栗判官まつりの看板、ポスター、「小栗小学校」、最近作られたと思われる長屋門、など由緒ある土地の雰囲気を漂わせている。
小栗小学校 長屋門の家 小栗家もある
小栗城址
小栗城址の小山 山裾に小貝川が自然の堀となってめぐり、右手東方に筑波山 だからここは筑西市 内外大神宮(ないげだいじんぐう)
 小栗城址の山麓に立派な神社内外大神宮がある。石の鳥居は文久2年の建立、といえば小栗上野介が初めての勘定奉行のとき。おさい銭箱には「小栗村」の文字が。
神社の登り口に立派な小栗氏の系図や城址の図、いわれを記した掲示板がある。 太々神楽奉納 11月初めに行われる
小栗城に登る 高圧線鉄塔の巡視路がプラスチックの階段となっていて刈り払われ、登りやすい、というよりすごいヤブでこの道しか登れない。 下る 鉄塔わきにもう一つの踏み跡を発見。どこかに出るだろうと下ってみる。左右は相変らずシノ竹の夕立のようなヤブ。
小栗公等顕彰会 下って行くと、顕彰会の会員が4、5人でヤブ払いボランティアをしている。きれいに整備して小栗城跡公園にしたいと抱負を語る。高崎市にも小栗上野介顕彰会があります、と自己紹介。人が来てくれると仕事の張り合いがある、と喜んでくれた。
一向寺 最後の小栗氏であり、伝説小栗判官のモデルと言われる小栗助重の追善の供養碑がある。 太陽寺 助重の父小栗満重と家臣の墓がある
  【関連ページ】
三河の小栗・岡崎市に小栗家関連の城跡二つ

小栗城(協和町)(リンク)
常陸小栗氏について(リンク)
小栗城調査(リンク)