住職のコラム ●  雪かきの笑顔
雪かきの笑顔
先日めずらしく「どんどん焼き」の朝から降り出した雪はなかなかやまず、翌朝には20センチくらい積もっていた。

 雪が降ると雪かきが朝のお勤め代わりになる。玄関から坂道をかいて国道へ出られるようにしなければ学校へ出勤(しゅっきん)できない。

 さて雪かきがすんで、汗をぬぐい朝食をすませ、急な坂道をそろそろと国道へ車を出して出かけると、道ばたで村の人たちが雪かきをしている。すみません通ります、とゆっくり走らせてゆくと、雪かきの手をとめてニコニコ通してくれる。 
雪の東善寺

烏川にかかる川田橋から見た雪の東善寺
(撮影:豊原稔さん)

 前から感じていたことだが、雪かきをしている人の顔が、いつもニコニコしているように見える。不思議だ、と思っていた。日が照れば溶(と)けてしまうものを苦労してかかなければならない、コンチクショーと怒っている顔じゃない。

 雪かきをするとき、きっちり自分の家の前だけかいて終わらせる人はいない。少し余分に隣(とな)りを手伝ったり、小学生の通学路をかいてあげたり、バス停のまわりをかいたり・・・・、自分の分だけじゃなく、人のことまで奉仕(ほうし)できるからなんとなくうれしくなってくるのだろう。雪が景色と一緒に皆の心までやさしいものに変えてくれたのだ。

 ○「利行(りぎょう)は一法なり。あまねく自他を利するなり。
と、道元禅師は説いている。人のためにしたことは、自分のためにもなっている、ということである。

 「雪かきは利行のチャンス」……なんて3-4mも雪が降る地方で言うと、そんな甘いものじゃない、と叱られるだろうが、この村ていどの雪ならそう思ってかけば、心にゆとりが生まれる。

 「それにしても方丈(ほうじょう)さん、雪かきをしているとき、泥(どろ)ッパネをひっかけてとばしてゆくスキーヤーの車は困るねえ」と先日こぼしている人がいました。

 この手の車が来たら、澄まして雪かきをわざと道路のほうへむけてかいていると、車はスピードを落としてゆきますよ。これがコツ。
どうしてスピードを落とすかって?  自分の車が傷(きず)つくのがつらいからさ。

             (1993・平成5年2月・東善寺だより)