住職のコラム  接ぎ木


(つ)ぎ木

 何年か前の夏休み、子どもの机の上に、きれいなヒマラヤの写真が表紙になった本が目についた。手にとって読み始めたら子供向けの本だがなかなか面白い。

 物語は、ヒマラヤ山脈(さんみゃく)の麓(ふもと)ネパールで果物(くだもの)の栽培技術(さいばいぎじゅつ)を教えることになった、新潟(にいがた)県の技師のじっさいの話をもとに書かれている。

 ネパールは、低(ひく)いところは熱帯(ねったい)に近い場所から、高いところは世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈まで高度の変化に富(と)んだ国である。したがっていろいろな果物が出来るはずだが、栽培技術が発達(はったつ)していないことや、出来た果物を輸送する道路が整備(せいび)されていないため、栽培し出荷するという考えが生まれず、技術の指導もたいへん苦労する。その中で、若者に接ぎ木を指導する場面があって技師はこう説明する。

 おいしい果物を食べると私たちはよくこう言う。「このタネをまいたら、おいしい実がまた食べられるだろう・・・」と。だがそのタネをまいても、必ずしも同じ実がなるとはかぎらない。

 果物の種には、おいしく改良
(かいりょう)される以前の先祖の性質が残っていて、種ばかり大きくなったり、味が悪かったりする性質が出てくる。だから、現在確(たし)かにおいしい実をならせている木から、枝先をとって接ぎ木をしてやれば、確実においしい実がなるようになる。そのために接ぎ木をするのだ・・・・・、と語って教える。
インドラサン峰
1998年夏・ハムタパスから

 生き物にはすべて遺伝子(いでんし)というものがあって、その生き物の先祖からの性質を伝えてゆく。
「あんたは、おじいさんにそっくりになってきたねえ・・・」とか
「おばさんに似(に)てきたねえ」
と、中年になってから言われたりするのは、みな遺伝子がそう働きかけた結果なのだ。

 それは人間も果物も同じこと。
 だから「このオヤジに、どうしてこんな優秀(ゆうしゅう)な息子が生まれたんだ」とうれしいことをいわれたり、その逆(ぎゃく)を言われたりするのも、遺伝子の働きと理解できる部分が大きい。

 さて、この本をここまで読んで考えた。
味の悪い果物なら枝先を切って接ぎ木してやればすむが、人間の場合は「この人は手クセが悪いから」「口のききかたが悪いから」と、ぶった切って別の手や口をつなぐわけにはゆかない。心が曲がっているから、と別の心に入れ替えることも出来ない。顔つきや体格や頭のはげぐあいは「先祖のせいで・・・・」と言い訳(わけ)もできるが、心がけや行ないの部分は自分の努力しだいでいくらも変えることができるから、言い訳は通用(つうよう)しない。

 間違っていた自分を反省し、努力して直してゆけることが、人間が他の生き物と違うところだといえよう。仏教ではその努力を「精進・しょうじん」と呼んでいる。

お彼岸は先祖をしのび、精進努力を誓(ちか)う一週間です。

                      (1998平成10年9月・東善寺だより)

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