東善寺・ブータン  ●●  ブータンの聖地・タクツアン僧院




ブータンの聖地
 タクツアン僧院参拝
ブータンの聖地 タクツアン僧院 
仏教国ブータンではほとんどの寺院が高い山の中腹や山頂に建てられている。なかでも空港のあるパロの街の背後の谷を入った山の絶壁に建てられたタクツアン僧院は、パドマサンババゆかりの僧院として全国民の崇敬を集め、聖地となっている。
8世紀、パドマサンババ(グル・リンポチェ)は虎の背に乗って飛んできたという。タクツアンとはその「虎のねぐら」という意味で、パドマサンババは瞑想修行ののち忿怒形のドルジ・ドロに変化して土着の悪神を退治・調伏して仏教に帰依させた。パドマサンババがチベットに帰った後も巡礼者の絶えない聖地となった。
1998年に不審火で全焼し、2004年に修復が完了した。
登山口
かつてはもっと下から歩いたそうだが、このあたりが1998年の火災のあとの再建工事で資材搬入の基地となったため、現在はここが登山口となった。標高は約2500m。
ここから最終展望台までケーブルで資材を運び、工事終了後はケーブルを撤収したとのこと。
僧院は雲の中
真ん中の絶壁、雲の切れ間に白く見える建物が目的の僧院。標高約3100mの高さにある。買い出しの帰りだろうか、二人の修行僧が山に戻って行くところだった。 
参拝者は世界中から
日本の関西からの団体客と、前後して登ることになった。ほかにオーストラリア、スペイン、タイなどの観光客が見られた。3年前に国王がタイを訪れてから、タイの観光客が急に増えたという。同じ仏教国ということで、親しみがもてるのだろう。
ガイド付き
ブータンはガイドなしの観光客は受け入れていない。ガイド・ウゲン氏(右)は昨年12月に来日し約1ヶ月滞在して日本語を磨いた。
はるか高みに
道はジグザグを繰り返して次第に高くなって行く。時々木の間から僧院が見えるがまだかなり高い。
ラン科の花
標高差が激しいため樹木や草花の種類も豊富。
オーストラリア娘
一人でやってきていたが、やはりガイドはついている。こんど日本へ行きたい、でもお金がないから安い旅をしたいと言っていた。たくましいおネエちゃん。
展望休憩所
高度差で約3分の2、行程では約半分、のところに展望台の休憩所があり、ミルクティーとビスケットで休憩する。ここまで約50分。絶壁の上の白い建物が目指す僧院。
休憩所(2800m)
ここまでで引き返す外国人もいる。
仏教が国の宗教だから、この休憩所も国の施設できれいに清掃され、参拝者の便宜を図っている。ブータン人にとってはいまも厚い信仰の対象として、日本の観光寺院のイメージでは捉えきれない、信仰の山。
チェレ・ラ峠
きのう、ハから越えてきた峠チェレ・ラ(3800m)が白い雲の下に見える。あの峠にはたくさんのエーデルワイスや、花の終わったブルーポピー、ピンクのホツツジなどがたくさん見られた。強い風にダルシンが強くはためき、寒かった。
シャクナゲ
登山道は相変わらずジグザグを繰り返して上っている。標高が高いので、空気の薄さを感じる。
 咲き残りのシャクナゲがあった。

シモツケの仲間
日本のシモツケはピンクだが、これはうす紫色でハテ何だっけ、としばらく考えさせられた。
馬で登る
1000円くらい払って、馬で登る人もいる。従って登山道には馬糞がいっぱい落ちてるから、足元に気をつけないといけない。においもする。
仏教国だから、「馬にかわいそう」とガイドはあまりすすめない。
キンシバイ(金糸梅) 
ビヨウヤナギ(美容柳)の仲間。

ブータンの町や村はゴミが目立つ。さすがにこの聖地の登山道は街中に比べるとゴミが少ない。
サルオガセ
日本の高山でおなじみ。このあたりが雲霧林であることを示している。
ベンケイソウの仲間
3000m近くの乾燥した岩にベンケイソウの仲間がかわいい花を咲かせていた。
僧院
高い岩のあちこちに、僧院が建てられ修業僧たちがこもっているという。
展望台
いよいよ本坊と同じ高度まで来た。最後の展望台からは、いったん崖につけられた石段を下って、再び登り返す道となる。
タクツアン僧院
下って行く対岸に、僧院の建物が迫って見える。
右半分が1998年に全焼したという。3年ぐらいかかって2004年に修復されたというが、外観でも、また内部に入っても改築が全くわからない。

ガリー状の谷へ下りきるとそこにはなんと、豊富な水量の大きな滝が隠れていて、しぶきをあげて落ちていた。こんな高い山に、大きな滝があったとは……。
この参拝路の構成は、急な山道を登りきって、いったん急な崖道を下ると、そこに隠されている瀧のしぶきでみそぎとなり、、最後にひと登りして本坊へたどり着くという素晴らしい参拝路だった。たしかに聖地だ。よくこのような場所を8世紀に見つけたものだ。
青い花
下る途中の岩場に、名前がわからないツル性の花がきれいに咲いている。
瞑想
最後の本坊手前で、ポリスがチェックしていて、バッグ、カメラ、携帯電話類をすべて木製ロッカーに預け、短パンのものはズボンをはき、Tシャツは上から長袖を着て身支度を整えて入る。
お賽銭をあげ、本堂で五体投地の参拝をし、ガイドの「少し座りますか」という勧めで、坐禅を組んで暫し瞑想する。居合わせた西洋人もやはり静かに座っている。10分ほどだろうか、とても気持ちのいい静かな時間を持てた。参拝してよかった、という充実感満足感に満たされた。
忿怒形のドルジ・ドロ
僧院の上部の岩全体が悪神を調伏したドルジ・ドロの忿怒の顔にそっくりという説明を写真で受け、たしかに、と納得した。陽が当って岩に影が出来るとくっきりとわかるが、この曇りの写真では残念ながらわかりにくい。
◆本文説明は、ガイドブック「地球の歩き方・ブータン」を参考としました。
◆2011平成23年8月28日参拝

ブータンでの不思議な体験
不思議な体験】
 この日、僧院まぢかの大滝へ下る階段の途中、参拝を終えて上がってきた4,5人グループの一人が急に、何やら言いながらにこにこと握手を求めてきた。差し出された手を握り返しながら聞くと、どうも「日本人のお坊さんでしょう?」と英語で言っている。どうしてこの人は私のことを知っているの、見たところブータン人らしいが・・・、会ったことはないし・・・。ハテ、何と答えていいか混乱した私が言葉に詰まっていると、狭い階段だから後ろに他の人が詰まっているので、彼はもう一度握手を求めて、うれしそうに上がっていった。

 この日の私の服装は登山用のズボンに、運動靴、半袖シャツ、黒いハンチングベレー姿で腰にはカメラと携帯電話をベルトにつけているから、僧侶とわかる服装ではない。どうして私のことを知っているのか、いまだに謎のままの不思議な体験だった。
 
【 前世は・・・】
 このタクツアン僧院が火災の後、数年に及ぶ修復工事を終えて2005年4月28日に落慶法要を行った時に導師を務めたのは、3世紀前にこの僧院を創建した僧デシ・テンジン・ラプギェの化身と言われる若い僧でした。彼は1988年(4歳の僧の時)に見出され、彼の語ることがデシ・テンジン・ラプギェの在世の事蹟に合致するため、化身と認められました。この話は第4代前国王の王妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュックの書いた下記の本『幸福大国ブータン』に出てくる話です。
 
 私の今回の不思議な体験は、もしかしたら私の前世で会ったことのある人が急に現れたのか・・・、と思わせる出来事でした。(私はこのテの話はこれまで人前で語ったことはありませんでしたが、今回は別です。私に前世があったとして、必ずしも人間だったとは限らないと承知していますが・・・)

○ドルジェ・ワンモ・ワンチュック著『幸福大国ブータン』NHK出版・2007年発行・2100円
  著者自身が目の前にこの少年(幼年)僧を見ている話が書かれています。

≪ブータン関連のページ≫
ブータンハウス苦楽園…下記の西岡夫人里子さんのページ
お勧め動画「ブータンの農業を変えた西岡京治(にしおかけいじ)」…全部で1〜4編あり、つづきを探しにくいですが、ぜひ一見を。感動ものです。
雷龍の国ブータンのHP総合案内ページ (リンク)
「空の近く、こころ高く」ブータンたまこのてきとう日記(リンク)