住職のコラム諸行無常 

諸行無常しょぎょうむじょう)
いつも移り変っていること

 まさか米ソの対立が消えることがあろうとは・・・・・・、
           
 「いつまでも同じことはつづかない」
 と、かつて釈尊
(しゃくそん・ おしゃかさま)は言われた

 ほんとうにそうだと思う

 争いもケンカも
 見栄
(みえ)や欲のからんだ
 そのときいっとき

 よいことを永
(なが)くつづくように
 つとめるのがわれわれの
 生きてる あかし     



 いつのまにか奥歯(おくば)が二本、だめになって、歯医者さんが入れ歯を作ってくれた。たった二本のためにまさか入れ歯をすることになろうとは・・・・。初めてはめた日は情(なさ)けなくて、急に年取ったように感じてガク然とした。

 9月はじめの村民ハイキングの時、昼飯のあと人がいなくなってから歯ブラシで磨
(みが)いた。こんなかっこうを人に見られたらかなわないと思いながら・・・・。ところが誰(だれ)も見ていないと思ったのに、バスに乗ったら深井紘さんが「岩の上で、何をごしごしやってたの・・・・」「ワッ、見てたの・・」「うん、見た見た、高い岩の上だもの。入れ歯みたいだったけれど・・・」
シャクナゲ

   境内

 「諸行無常」とは物事はいつも移り変わっていて、いつも同じではないということ。奥歯がだめになったのも始(はじ)まりは奥歯が生えたときからだし、もっとつきつめれば生まれたときから始まっていたとも考えられる。

 私たちは良いことは長く続いてほしいと願うし、悪いことは早く去ってほしいと願う。でも赤ちゃんが生まれておめでたいからといってどんどん生みつづけるわけにはゆかない。また育
(そだ)った子供が親の言うことをきかなかったり、手におえないときはどうしてこんな子になったかと苦しむが、その苦しみの始まりは、おめでたい息子の誕生の時に始まっていたということになる。

 ちっぽけな人間のそのときそのときの都合だけでうろたえたりしない智恵
(ちえ)や心の落ち着きを身につけるには、お釈迦(しゃか)様の説(と)く言葉に時々触(ふ)れることがよいようです。

                             (1990・平成2年9月、東善寺だより)
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