詩の色紙・(東善寺)     谷川俊太郎の詩「倉渕への道」    


谷川俊太郎

「倉渕への道」

   
    倉渕への道
                     谷川俊太郎
倉渕への道は曲がりくねっている
北側には低い山が連なり
南側には川が流れているらしく水音がする

なだらかに山へと向かう野に時折小道が通じていて
灌木のあいだに点々と花が咲いている
遠くから見ると目立たぬ花々だが
近く寄って摘もうとすればみなこまやかに美しい

倉渕への道の途中で女と花を摘んで束ねた
知っている花の名は僅かだった
もろもろの観念の名は数多く知っているのに

六十年前に父が建てた小さな家に花をもち帰り
針金で繕ってある白磁の壺にいけた
死後にこの日のことを思い出せるといい
言葉をすべて忘れ果てたのちに



                           谷川俊太郎『世間知ラズ』より

 詩人・谷川俊太郎さんは北軽井沢(群馬県長野原町)の法政大学村にお父さんの哲三さんの頃からの別荘を持ち、東京からの行き来に高崎―倉渕―二度上(にどあげ)峠―北軽井沢のコースを通っていたらしく、詩集『世間知ラズ』にこの詩が掲載されています。

 倉渕村が高崎市と合併する話が進んでいるころ、もしかしたら「倉渕」の名が消えるかもしれないので、この詩を詩碑として残したらどうかと私は考えていました。
 ちょうど同じころ、村が50周年記念の年(2005平成17年)が巡ってきたので、谷川さんにこの詩の一節を自筆で書いていただき色紙にして村民に配ることとなりました。
 お願いの手紙を書いたところ、谷川さんは快く引き受けてくれて、届いた詩の第1節目と第2節目の自筆原稿を村特産の杉板の色紙の表裏両面にプリントし、記念品として額に入れて村内全戸に配布しました。
 いま、倉渕町のどの家にも、この詩額が掲げられ親しまれています。

 詩碑の話はとりあえず倉渕の名が残ったのでまだ実現できないままですが、なんとか実現したいと考えています。                (住職 村上泰賢)

*この詩額は旧倉渕村が製作配布したもので、販売はしておりません。