東善寺HP 法話 ●● 未舗装の道 |
地域の子供たちのために残した― 未舗装の道 |
◆檀家(だんか)さんへの配(くば)りものをお願いするので世話人(せわにん)さん宅(たく)を回(まわ)っていたときのこと。そこは初めて行くお宅でした。すぐ先に家は見えるのだけれど道が狭(せま)く車が通(とお)れそうもない。しかも未舗装(みほそう)です。しかたなく慣(な)れない道を迂回(うかい)してようやくたどり着(つ)きました。 ◆近くのアパートに小学生がけっこういて、毎日この道を通っているということでした。もちろん近所(きんじょ)のおじさんがそこまで気遣(きづか)いしてくれていることを子どもたちは知らないで、夏は草が生(は)える未舗装の道を当(あ)たり前のように歩いていることでしょう。でもそうやって未舗装の道を残(のこ)しさり気(げ)なく見守(みまも)ってくれる大人に守られ、春はタンポポや野の花が咲(さ)き、秋は雑木(ぞうき)になる木の実(み)を発見しながら楽しく通学する子どもたちを想像(そうぞう)すると、うれしく温かい気持ちになりました。 |
人に知られなくても、きれいと褒められても どちらも気にせず毎年咲く ヤマツツジ▲ 浅間隠山から鼻曲山(右・1,655m)をのぞむ |
◆そういえば北軽井沢のある別荘村は歴史が古い別荘地ですが、今でもそこの道路はすべて舗装されていません。本当に山の静(しず)かな所へ来たという雰囲気(ふんいき)を味(あじ)わうために、わざと舗装しないということです。そして未舗装だと、知らずに乗(の)り込んだ都会(とかい)の若者(わかもの)の車などはすぐに出て行ってくれるので静(しず)けさを保(たも)てる効果(こうか)がある、という話を聞いたことがあります。 ◆私たちは、何でも新しいものがいい、いまどき未舗装の道なんてと思いがちですが、未舗装の道にも大事(だいじ)な役割(やくわり)があるのだと、地域の子供達のために残している道を見直(みなお)しました。 (2018平成30年12月) |