幻の生徒 (東善寺HP)        幻の生徒    



  
幻の生徒
かつて高校教師をしていた。
折りに触れ思い出す生徒はたくさんいるが、
いまどうしているかと気になる
「幻の生徒」がいる。
 
 ある高校に勤めていた時、その高校では入試の合格発表が終わると合格した生徒に課題を出していた。国語の課題は「自分の生い立ちとこれからの抱負」という作文だった。
 
 私は四月から新1年生の担任をすることになっていたので、10日後くらいに入学書類と一緒に出された課題をほかの担任と手分けしてクラスごとに振り分け、まとめ終わったので、どんな生徒が入ってくるのか期待と興味を持って読み始めた。

 読みはじめて何人目かの生徒の作文で、おや?と思う作文にぶつかった。
 その作文の冒頭が
 「私にはもうすでに両親がいない・・・・」
という文章で始まっていたのだ。中学卒業でもう両親がいないのか・・・


以下がその作文です

                                
 私にはもうすでに両親がいない。それは、私が幼い時であった。母は父との夫婦げんかがもとで、父と離婚してしまい、父が私と姉を引取り、今までたった一人で私達を育ててくれてきた。
 そして、その父も2年前に交通事故でなくなってしまったのであった。当時44歳で、まだ働きざかりであった。しかし父は死んでしまったほうが逆によいのかもしれない。今まで私達二人のこどもを育てるために、死にものぐるいで働き、それが終わると子供の世話の家事で、ほとんど精神的にも、肉体的にもボロボロになっていて、かなり無理が重なっていたのだろうと思う。
 そして父は私たちに母のことを何一つ伝えずに死んでいった。

 私の幼児期の頃は、友達もたくさんいたが、ほとんど一人で、粘土やブロックなどといったもので遊んでいた。その頃、私は粘土でいろいろな物を作ることがとても大好きであった。もちろん絵を描くことも好きだった。

 ところが、私が小学校に入ってからは、絵を描くことが少しいやになってきたのであった。それも、人を描くことであった。その他の絵ならば、喜んで描いていた。
 なぜ私が人を描くのが嫌いになったかというと、それは私に母がいなかったからである。小学校のときは、よく父母の絵を描かせることが多く、みんな母親の絵を描いているというのに私一人が父の絵を描いてとても違和感があった。それに作文などでも「私のお母さん」という題で書きなさいと先生が言った時も、私だけ父のことを書いていた。私はなぜ自分に母がいないのだろうかということは、あまりその頃は、考えたりもしなかったし、さびしいと思った時もなかった。

 私は小学校の時から勉強が嫌いだったため、そのぶん絵を書いたり、何かを作ったりして賞状をもらうのがとても大好きであった。小学校の頃にもらった賞状の数はあまり多いとはいえないが、けっこうもらったほうだと思う。

 そうして私の小学校の時代が終わり中学校の時代を迎えた。


ダンコウバイ
 
 私の通っていた中学は、少し環境が悪くて不良もいたせいか、いい友達よりかえって悪友がたくさんできた。しかしそれは反対にいえば、とても仲がよく、気が合う友達といえるかもしれない。中学時代は、あまり特別なことはなかったがとてもいい先生がたくさんいて、なにかと相談相手になってくれてとてもたすかった。それに、中学生になっても絵を描くことが好きであった。よくほかの授業の時に絵を書いていてしかられたこともしばしばであった。

 その中学では中二の時までいて、父が死んでしまったために、群馬県の方に転校して3年生を迎えた。こっちの人たちもとてもよい人で、すぐ仲良くなれた。しかし、もう3年生が終わってしまい、みんなバラバラになってしまうかと思うと、少しさびしい気もするが、それもしかたがないのである。

 そして今後の抱負としては、だれとでも仲良くしていき、いま、社会問題になっている「いじめ」をなくしていき、その他にも、一生懸命いろんなことに励み、だれにも負けないように、努力してゆきたいと思います。                                T.H

 
 
 しみじみしたところもあるし、正面から自分を見つめているいい作文でした。

 その数日後、事務室から職員室へ電話が回されてきました。ある中学からで、私に出てくれという。相手は、某中学校の3年生の担任でした。
 「こんど合格した○○君ですが・・・」
その名前はこの作文の生徒です。
 「ハイ、どうしましたか・・・」

 「祖父と一緒に来ましてどうしても高校入学を辞退したいと言い、祖父も引き止めるのですが本人の意志が固くて、けっきょく高校入学は辞退するということになりました。ご迷惑をお掛けしてすみません……」。
 高校は義務教育ではありませんから、「ハイそうですか」と入学辞退の申し出を受け取るしかありません。

 電話が終わりそうになった時、ふと思いついて私は訊(たず)ねました。
 「それで、○○君はどういう方面に進みたいというのですか、差し支えなかったらお聞かせください」
 すると中学の担任は
 「中学卒業で入れる美術専門学校があるから、自分はどうしてもそこへ入って絵の勉強をしたい、といってきかないのです」
 「そうですか…、高校としては残念ですが、がんばるように伝えて下さい」

 これで電話が切れて、手元に作文が残りました。印象的な作文と顛末がもったいなくて送り返す前にワープロに打ち込んで保存しました。
 たぶん、○○君はこの作文を書きながら自分を見つめ直し、両親がいない自分をこれから伸ばすには好きな絵の道しかない、と思ったのでしょう。それが伝わってくる作文でした。

 でも人生は思い通りに行くことばかりではありません。今はどうしているか、思い出すと会ってその後の人生を聴いてみたい「幻の生徒」です。相手は私のことをいっさい知りませんけれどー。
                                   (2016平成28年9月)